ニッポン書物遺産

新編
日本古典
文学全集

episode.1
21世紀の現在に、何百年も昔に書かれた「古典」を読む意義はどこにあるのか。「古典」を後世に残す意味はどこにあるのか。
「古典」をめぐるクロストーク──新旧の『新編 日本古典文学全集』編集長、佐山辰夫さんと土肥元子さんにお話を伺う、第1回。

古典に触れない人生なんてもったいない

──「古典」は学校で教わったけれど、今は手にしない、という人も数多くいます。一般人からすると非常にハードルが高いんです。

土肥「あるフランス人の国文学者からこんなふうに羨ましがられたことがあるんです。『フランスでは1000年前の文学はもう読まないし読まれない。しかし、日本では源氏物語が今でも読まれている。これはすばらしいことだ』と。しかも、専門的な知識がなくても、つらつら眺めているとなんとなく内容がわかってくる。たとえば、光源氏に捨てられた女性の気持ちは、今でも感覚的に共感できます」

佐山「古典は、言葉を厳選してつづっているせいか、非常に合理的にできています。ですからみなさんが思っているより、ハードルが高いものではないんですね」

土肥「私自身も、決して古典の専門家というわけではありませんでした。19年前にこの部署に配属され、初めて触れたようなものでしたが、なんとかやってこれました」

──ではその「古典」の魅力とは?

佐山「この全集で、『源氏物語』などに関わっていただいた秋山虔(けん)先生は、古典について『きわめて独自な主題・構造・表現の一回性を主張する』と定義されました。つまり同じジャンルでも、2番手、3番手の作品は、残っていかないのです。長い年月をかけてためつすがめつ読み比べた結果、あるひとつの作品が選ばれました。それは、日本人が大切に育んできたいわば"美しさの粋"です。これを知らずに済ますのは、人生にとって大きな損失でしょう」

──すると、古典に描かれた"精神"や"美意識"が現代社会に根付いている、と。

土肥「それ以上かもしれません。例えば、世阿弥の『風姿花伝』(第88巻『連歌論集・能楽論集・俳論集』所収)(注1)を読むと、私にはこの中に、現代のショー・ビジネスの基本があるようにも思えるんです。『風姿花伝』から600年経っていますが、人間が600年分進化したかといえばそうではありません。古典には"永遠性"があります」

佐山「1000年前の『源氏物語』に勝る恋愛小説だって、なかなか誕生していませんね。私たちは、心のどこかで『時代とともにすべては進歩する』と信じているようなところがありますが、すべてにわたって、古い時代より新しい時代が勝っているわけではないと思います」

古典に親しんで日本を知る

──そういう中で、『日本古典文学全集』および『新編 日本古典文学全集』が生まれていった。

佐山「これら全集の発行は、先人たちが守り伝えてきた古典を、最新の研究成果を採り入れて、より完全なかたちで、後世に残すということです。出版人として誇り高い義務だという思いもありました。私たちは、たまたま日本に生まれたから『日本人』というわけではなくて、こうした文化の蓄積を享受したとき初めて、日本人となるのではないでしょうか」

土肥「古典によって私たちは、時を遡って日本人の美意識を追体験することができます。そこに新しい発見が生まれます。その感覚が蜘蛛の巣のように広がっていって、そのシナプスが突然、結びついていくんです。これが面白いんですね。古典を読む醍醐味です」

佐山「今、残っている古典は、いわば、各ジャンルのチャンピオンです。印刷技術の未発達な昔に、高価な紙を使って書き伝えられたわけですから、それ相応の価値がなければ、残そうとは思われないわけです。大変な手間も時間もお金もかかっていますからね(笑)。なにかの拍子にふと、あらためて富士山の美しさに気付く──いまや私たちにとって、古典とは、そういう存在なのかもしれませんね」

  • 注1 『風姿花伝』
    能の大成者世阿弥の能楽論で、日本を代表する芸術論。1400(応永7)年に三編までがまとめられ、父観阿弥(かんあみ)の教えに基づいて著したものである。ただ1人の真実の後継者に能の真髄を伝えようとして書かれた秘伝であるが、汎(はん)演劇論として、芸術論として、教育論、人生論、魅力の美学として、不滅の価値をもつ。

『新編 日本古典文学全集』は1994年2月~2002年10月刊行。全88巻からなる壮大なシリーズ。第一期刊行の48巻は『源氏物語』など日本を代表する古典の中からベーシックでポピュラーな作品を収録。第二期の40巻は中古、中世、近世にわたり、ぜひ読んでおきたい名作を厳選。巻末には、作品の成立や時代背景などを解説、さらに地図・系図・年表・索引なども加えて、古典初心者にも親しみやすい内容となっている。
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現存する『源氏物語』は紫式部による直筆原稿ではなく、何代にもわたって書き継がれたもの。多くの人の手で書写されたことによってその文学性が高められ、いまや「日本の文化遺産」であり「世界最高の文学」といわれるようになった。

21世紀の現在に、何百年も昔に書かれた「古典」を読む意義はどこにあるのか。「古典」を後世に残す意味はどこにあるのか。
「古典」をめぐるクロストーク──新旧の『新編 日本古典文学全集』編集長、佐山辰夫さんと土肥元子さんにお話を伺う、第1回。


古典に触れない人生なんてもったいない

──「古典」は学校で教わったけれど、今は手にしない、という人も数多くいます。一般人からすると非常にハードルが高いんです。

土肥「あるフランス人の国文学者からこんなふうに羨ましがられたことがあるんです。『フランスでは1000年前の文学はもう読まないし読まれない。しかし、日本では源氏物語が今でも読まれている。これはすばらしいことだ』と。しかも、専門的な知識がなくても、つらつら眺めているとなんとなく内容がわかってくる。たとえば、光源氏に捨てられた女性の気持ちは、今でも感覚的に共感できます」

佐山「古典は、言葉を厳選してつづっているせいか、非常に合理的にできています。ですからみなさんが思っているより、ハードルが高いものではないんですね」

土肥「私自身も、決して古典の専門家というわけではありませんでした。19年前にこの部署に配属され、初めて触れたようなものでしたが、なんとかやってこれました」

──ではその「古典」の魅力とは?

佐山「この全集で、『源氏物語』などに関わっていただいた秋山虔(けん)先生は、古典について『きわめて独自な主題・構造・表現の一回性を主張する』と定義されました。つまり同じジャンルでも、2番手、3番手の作品は、残っていかないのです。長い年月をかけてためつすがめつ読み比べた結果、あるひとつの作品が選ばれました。それは、日本人が大切に育んできたいわば"美しさの粋"です。これを知らずに済ますのは、人生にとって大きな損失でしょう」

──すると、古典に描かれた"精神"や"美意識"が現代社会に根付いている、と。

土肥「それ以上かもしれません。例えば、世阿弥の『風姿花伝』(第88巻『連歌論集・能楽論集・俳論集』所収)(注1)を読むと、私にはこの中に、現代のショー・ビジネスの基本があるようにも思えるんです。『風姿花伝』から600年経っていますが、人間が600年分進化したかといえばそうではありません。古典には"永遠性"があります」

佐山「1000年前の『源氏物語』に勝る恋愛小説だって、なかなか誕生していませんね。私たちは、心のどこかで『時代とともにすべては進歩する』と信じているようなところがありますが、すべてにわたって、古い時代より新しい時代が勝っているわけではないと思います」


古典に親しんで日本を知る

──そういう中で、『日本古典文学全集』および『新編 日本古典文学全集』が生まれていった。

佐山「これら全集の発行は、先人たちが守り伝えてきた古典を、最新の研究成果を採り入れて、より完全なかたちで、後世に残すということです。出版人として誇り高い義務だという思いもありました。私たちは、たまたま日本に生まれたから『日本人』というわけではなくて、こうした文化の蓄積を享受したとき初めて、日本人となるのではないでしょうか」

土肥「古典によって私たちは、時を遡って日本人の美意識を追体験することができます。そこに新しい発見が生まれます。その感覚が蜘蛛の巣のように広がっていって、そのシナプスが突然、結びついていくんです。これが面白いんですね。古典を読む醍醐味です」

佐山「今、残っている古典は、いわば、各ジャンルのチャンピオンです。印刷技術の未発達な昔に、高価な紙を使って書き伝えられたわけですから、それ相応の価値がなければ、残そうとは思われないわけです。大変な手間も時間もお金もかかっていますからね(笑)。なにかの拍子にふと、あらためて富士山の美しさに気付く──いまや私たちにとって、古典とは、そういう存在なのかもしれませんね」

  • 注1 『風姿花伝』
    能の大成者世阿弥の能楽論で、日本を代表する芸術論。1400(応永7)年に三編までがまとめられ、父観阿弥(かんあみ)の教えに基づいて著したものである。ただ1人の真実の後継者に能の真髄を伝えようとして書かれた秘伝であるが、汎(はん)演劇論として、芸術論として、教育論、人生論、魅力の美学として、不滅の価値をもつ。

佐山辰夫(さやま・たつお) 佐山辰夫(さやま・たつお)

1940年生まれ。63年小学館に入社。人事部を経て、67年より『日本古典文学全集』の立ち上げから編集に携わる。編集長として90年、88巻からなる『新編 日本古典文学全集』を刊行。社史編纂室に異動し、2002年には『小学館の80年 1922~2002』を完成させた。

土肥元子(とい・もとこ) 土肥元子(とい・もとこ)

1960年生まれ。現在、小学館出版局歴史・美術編集長。90年に入社後、『新編 日本古典文学全集』の編集を担当。以後、古典文学を中心に多くの書籍を手がける。近年は、『日本の古典をよむ(全20巻)』シリーズや『永遠の詩』シリーズ(刊行中)を編集している。