ニッポン書物遺産

国史大辞典

episode.1
最強の歴史データベースといわれる『国史大辞典』全15巻(全17冊)。いったい、どのような経緯で生まれたのだろうか。編集スタート時から同辞典に関わってきた、吉川弘文館の前田求恭社長にお話をうかがう。

"これまでの辞典を凌駕するものを"
『国史大辞典』刊行のきっかけ


──『国史大辞典』以前に、歴史の辞典はあったのでしょうか。
戦前、二つの大きな歴史辞典が発行されていました。一つが、わが社が明治41年に発行した旧版の『国史大辞典』です。日清戦争後、八代国治と早川純三郎が国史のよい参考書がないのを嘆き、10年かけて作り上げた、当時としては画期的なものでした。この辞典はその後、幾度か形を変えて出版され、とくに大正14年には大増訂版が出され、近時まで使用されていたものです。
昭和になって自国の歴史への関心がさらに高まり、皇紀2600年(注1)奉祝記念として昭和15年に冨山房から出されたのが『国史辞典』です。これは国史のほかに朝鮮史、満蒙史、中国史、西域史の一部も取り入れた辞典。全8巻の予定でしたが、戦争激化によって4巻で中断。戦後、継続発行されることもなく、未完のまま、幻の辞典となりました。戦後になると、いくつか日本歴史辞典が出版されました。いちばん大きなものは昭和31年に刊行が開始された河出書房の『日本歴史大辞典』(全20巻)。戦後の新しい国史学の成果を盛り込み、各地の百姓一揆や小作争議が多く掲載されていますが、残念なことに参考文献がありません。この三つが、それまでの"日本史三大辞典"といえるでしょう。
――先行する辞典があったにもかかわらず、それでも『国史大辞典』を発行しようと考えられたのはどうしてですか?
理由は二つあります。一つは日本史ブームです。戦後20年を経た昭和30年代後半から、歴史学は国粋主義を脱却しマルクス主義を経て、ようやくにして実証主義になりました。中央公論社から出た『日本の歴史』も大ヒット。昭和30年代から40年代にかけては、歴史ブームに日本が沸いた時代でもあったのです。二つ目は、信頼できる歴史辞典がほしいという学界、読書界からの強い要望です。そのころ、わが社が創業100周年を迎えていたこともあって、この記念事業としても、これまでの辞典を凌駕するものを作ろうじゃないか。そして今後のわが社の土台、柱にしたい、そういう思いから、新版『国史大辞典』が始まったのです。

根底にあったのは
四代目社長の熱き思い

――本や辞典は、出版社の編集者が作る。これが一般的ですが、新版『国史大辞典』では新しい試みをなされたと聞きました。
ええ、委員会組織を立ち上げました。昭和40年5月7日のことです。当時の吉川圭三社長(四代目)が、『国史大辞典』の企画を国史学の学界で大々的に発表したのです。そこで、各専門の先生方にうかがったところ、「これは国家的な仕事であって、個人会社でやるような仕事ではない」というご意見が出ました。ならばどうするか? 当代一流の研究者を集め、彼らが納得する最高の辞典を作るための委員会組織を作ることになりました。古代史が専門の坂本太郎先生を委員長に16名の委員会を、さらに東大史料編纂所の皆川完一先生を事務局長に事務局を立ち上げ、体制を整えました。私もこの事務局の一員として、参加しました。また、6名の先生方(古代の斎藤忠先生、竹内理三先生、中世の宝月圭吾先生、近世の児玉幸多先生、近代の大久保利謙先生、小西四郎先生という各界の泰斗)に編集顧問となっていただき、完璧を期しました。
――学界をも巻き込んだ、大事業です。
編纂が始まった昭和40年を振り返ると、プロ野球では当時南海ホークスのキャッチャーだった野村克也さんが、戦後初の三冠王を獲得した年です。長嶋茂雄さん、王貞治さんのON砲が活躍し、巨人のV9がスタートした年でもあります。昭和39年には、わが社では昭和4年から刊行が始まった『新訂増補国史大系』全60巻(66冊)がようやく完成をみていました。この『新訂増補国史大系』は三代目社長の林譲の悲願の事業。それを受け継いだ四代目吉川圭三は、この大事業の最中、新版『国史大辞典』の構想を練っていたのでしょう。『自分の最期の大仕事だ』、そう言っていたのを覚えています。『国史大辞典』という大事業は吉川圭三の思いから始まったのです。
  • 注1 皇紀
    『日本書紀』に記された神武天皇即位の年を元年として定められた紀元。皇紀元年は西暦紀元前660年にあたる。皇紀2600年の1940(昭和15)年は第二次世界大戦中。国民の疲弊を晴らすため、さまざまな記念行事や事業が盛大に行なわれた。

新版『国史大辞典』は1979(昭和54)年に刊行がスタート。だいたい年1冊というペースで出版され、1997(平成9)年に完結した。東京大学・國學院大学名誉教授の坂本太郎を委員長に編集委員20名、編集顧問6名、編集賛助員51名、そして執筆者は3500名と、まさに学界が総力を結集した大事業だった。

旧版『国史大辞典』の奥付。写真は版を重ねた昭和2年のもの。発行者は二代目社長の吉川半七名義となっている。

明治・大正期の有力新聞「萬朝報(よろずちょうほう)」(明治39年5月10日付け)に掲載された旧版『国史大辞典』の発売予告。明治39年6月30日までに申し込めば割引価格で購入可能、「見本を要求せよ」と大きく書かれている。

最強の歴史データベースといわれる『国史大辞典』全15巻(全17冊)。いったい、どのような経緯で生まれたのだろうか。編集スタート時から同辞典に関わってきた、吉川弘文館の前田求恭社長にお話をうかがう。

"これまでの辞典を凌駕するものを"
『国史大辞典』刊行のきっかけ


──『国史大辞典』以前に、歴史の辞典はあったのでしょうか。
戦前、二つの大きな歴史辞典が発行されていました。一つが、わが社が明治41年に発行した旧版の『国史大辞典』です。日清戦争後、八代国治と早川純三郎が国史のよい参考書がないのを嘆き、10年かけて作り上げた、当時としては画期的なものでした。この辞典はその後、幾度か形を変えて出版され、とくに大正14年には大増訂版が出され、近時まで使用されていたものです。
昭和になって自国の歴史への関心がさらに高まり、皇紀2600年(注1)奉祝記念として昭和15年に冨山房から出されたのが『国史辞典』です。これは国史のほかに朝鮮史、満蒙史、中国史、西域史の一部も取り入れた辞典。全8巻の予定でしたが、戦争激化によって4巻で中断。戦後、継続発行されることもなく、未完のまま、幻の辞典となりました。戦後になると、いくつか日本歴史辞典が出版されました。いちばん大きなものは昭和31年に刊行が開始された河出書房の『日本歴史大辞典』(全20巻)。戦後の新しい国史学の成果を盛り込み、各地の百姓一揆や小作争議が多く掲載されていますが、残念なことに参考文献がありません。この三つが、それまでの"日本史三大辞典"といえるでしょう。
――先行する辞典があったにもかかわらず、それでも『国史大辞典』を発行しようと考えられたのはどうしてですか?
理由は二つあります。一つは日本史ブームです。戦後20年を経た昭和30年代後半から、歴史学は国粋主義を脱却しマルクス主義を経て、ようやくにして実証主義になりました。中央公論社から出た『日本の歴史』も大ヒット。昭和30年代から40年代にかけては、歴史ブームに日本が沸いた時代でもあったのです。二つ目は、信頼できる歴史辞典がほしいという学界、読書界からの強い要望です。そのころ、わが社が創業100周年を迎えていたこともあって、この記念事業としても、これまでの辞典を凌駕するものを作ろうじゃないか。そして今後のわが社の土台、柱にしたい、そういう思いから、新版『国史大辞典』が始まったのです。

根底にあったのは
四代目社長の熱き思い

――本や辞典は、出版社の編集者が作る。これが一般的ですが、新版『国史大辞典』では新しい試みをなされたと聞きました。
ええ、委員会組織を立ち上げました。昭和40年5月7日のことです。当時の吉川圭三社長(四代目)が、『国史大辞典』の企画を国史学の学界で大々的に発表したのです。そこで、各専門の先生方にうかがったところ、「これは国家的な仕事であって、個人会社でやるような仕事ではない」というご意見が出ました。ならばどうするか? 当代一流の研究者を集め、彼らが納得する最高の辞典を作るための委員会組織を作ることになりました。古代史が専門の坂本太郎先生を委員長に16名の委員会を、さらに東大史料編纂所の皆川完一先生を事務局長に事務局を立ち上げ、体制を整えました。私もこの事務局の一員として、参加しました。また、6名の先生方(古代の斎藤忠先生、竹内理三先生、中世の宝月圭吾先生、近世の児玉幸多先生、近代の大久保利謙先生、小西四郎先生という各界の泰斗)に編集顧問となっていただき、完璧を期しました。
――学界をも巻き込んだ、大事業です。
編纂が始まった昭和40年を振り返ると、プロ野球では当時南海ホークスのキャッチャーだった野村克也さんが、戦後初の三冠王を獲得した年です。長嶋茂雄さん、王貞治さんのON砲が活躍し、巨人のV9がスタートした年でもあります。昭和39年には、わが社では昭和4年から刊行が始まった『新訂増補国史大系』全60巻(66冊)がようやく完成をみていました。この『新訂増補国史大系』は三代目社長の林譲の悲願の事業。それを受け継いだ四代目吉川圭三は、この大事業の最中、新版『国史大辞典』の構想を練っていたのでしょう。『自分の最期の大仕事だ』、そう言っていたのを覚えています。『国史大辞典』という大事業は吉川圭三の思いから始まったのです。
  • 注1 皇紀
    『日本書紀』に記された神武天皇即位の年を元年として定められた紀元。皇紀元年は西暦紀元前660年にあたる。皇紀2600年の1940(昭和15)年は第二次世界大戦中。国民の疲弊を晴らすため、さまざまな記念行事や事業が盛大に行なわれた。

前田求恭(まえだ・もとやす) 前田求恭(まえだ・もとやす)

1942年生まれ。株式会社吉川弘文館代表取締役社長。國學院大学文学部史学科卒業。1965年、同社に入社すると同時に、『国史大辞典』の事務局スタッフとして編集者人生をスタート。97年の完成まで『国史大辞典』の制作ひとすじ。その後『日本の時代史』(全30巻)などを手掛けた。2006年より現職。