ニッポン書物遺産

国史大辞典

episode.5
昭和45(1970)年からようやく執筆の始まった『国史大辞典』。だが、文章だけでは辞典は完成しない。寺社仏閣の写真や、図版も必要だ。組版や印刷の問題もある。
奔走した一人の編集者としての辞典作りの苦労を、吉川弘文館社長の前田求恭さんにうかがった。

重いカメラを担いで
日本全国を駆けまわった日々


──文字原稿だけでは辞典は完成しません。やはり大量の図版が必要です。どう取り組まれたのですか?
まず、図版のカード化を行ないました。項目カード作りと一緒ですね。一人の事務局員を指名して「君はほかのことは一切しなくていいから、図版のカード作りだけをしなさい」と、その作業に専念させました。図録や資料などから、図版の名前と所蔵場所をカード化していくのです。昭和44年ごろから始めて、2~3年かかりました。これものちに大変役に立ちました。
――図版のカード化が終われば、今度は撮影です。じつは、前田さんご自身が写真を撮っていた、とお聞きしましたが。
本が出ていないので、お金ばかり出ていくだけで、入ってくるものがありませんでしたから(笑)。編集経費をどう切り詰めるか、ということが、私たちの課題でした。となると写真撮影もプロのカメラマンを雇うわけにはいきません。またプロのカメラマンにお願いできたとしても、相手との交渉は編集者が行なわねばなりません。我々が撮れば仕上がり割付を考慮できるではないか。一挙両得ということで、私を含め、3人の事務局員が臨時カメラマンになりました。今だったら高性能のデジカメがありますが、当時はフィルムです。6×9や4×5、8×10といった、大型のカメラをリュックに詰めては、三脚とライト・5mm厚のガラスを手に、全国を駆け回りました。
――撮影の経験はおありだったんですか?
学生時代から山登りが趣味でしたから、リュックをかついでいくのは得意でした(笑)。ただ写真は素人です。東大史料編纂所(注1)の方が撮影されるのを拝見し、それを見て学びました。それでもプロではありませんから、現像が終わるまで、心配で眠れません。東大史料編纂所の技官に写真を現像してもらっていたのですが、その気持ちをわかってくれて、向こうもこちらの撮影の帰りを待ってくれている。深夜に現像してもらうということもたびたびありました。
――国宝級の史料も多いでしょうから、撮影には気も遣いますね。
国宝を実際にこの手で触ることができる。これは役得でした(笑)。ただ当然、準備には万全を期しました。例えば文書(もんじょ)などの撮影に行く際は、まず東大史料編纂所の影写本(注2)を見て、サイズを確認します。黒い紙をそのサイズに切って現場に持参し、これでピントを合わせるんです。そして、セッティング後に実物を持ってきてもらう。こんな手順で効率よくやりましたので、次第に信頼を得るようになっていきました。辛い思い出もあります。伊能忠敬の博物館で撮影するために、成田近辺を通ったときのことです。当時は学生運動盛んなりし時でしたから、検問も物々しい。警察からすれば、大きなリュックをかついでいる人物はまことに怪しい(笑)。「開けろ」「嫌だ」と押し問答した挙げ句――今となっては私の虫の居所が悪かったとしかいえませんが――交番に連れて行かれました。許してもらいましたが、苦い経験です。

"オフセット印刷"という
新しい技術を採用

――編纂開始から5年後の昭和45年、執筆依頼がスタートします。
この当時は、まだ活版印刷(注3)が全盛でした。しかしできあがりの美しさや、将来的なことを考えると、どうしてもオフセット印刷(注4)にしたい。ちょうどそのころ、東京・晴海で印刷関係の見本市があったのですが、東京印書館という会社が自社開発のオフセット印刷機械を展示していたんです。実際、その会社にも見学に行って「これはいい!」と。吉川圭三社長に直談判しました。そのうちに先方の下中直也社長と吉川社長とが意気投合し、「これは社会的な大事な仕事だ」ということで、協力体制が敷けたのです。結果、今日のデジタル化にも繋がるオフセット印刷による辞典が誕生することになったのです。
――校正、図版の整理……と作業は繁雑を極めます。
東京印書館には随分、こちらのわがままを聞いてもらいました。例えば図版の位置やサイズなど、専門家でないと間違いやすいものも多い。だから製版したフィルム管理はこちらで行ない、青焼きを切り貼りして、1台16ページごとに「この通りにやってください」とお願いしていました。そのくらいしないといいものはできない、というその一心でしたね。
  • 注1 東大史料編纂所
    東京大学にある、古代から明治維新までの日本史に関する史料を蒐集、研究するとともに、日本史研究の基礎となる史料集を編纂・出版する研究所。1793 (寛政5)年、江戸幕府の援助をうけて国学者塙保己一が開設した和学講談所の事業を継承したもの。1000冊を超える史料集を刊行している。
  • 注2 影写本
    写本の一つ。原本を敷き写しにして、書体などを忠実に写した本。
  • 注3 活版印刷
    1445年、ドイツのグーテンベルクが発明した、活版(活字を組み並べて作った印刷用の版)で印刷すること。
  • 注4 オフセット印刷
    印刷版から印刷せず、一度ゴムブランケットに転写してから紙に印刷する方式。ゴムの弾力性によって鮮明な印刷ができる。1970年代後半より、印刷方式は活版からオフセットに主流が変わった。

『国史大辞典』の図版ページ。まるでプロのカメラマンが撮ったような見栄え。前田さんをはじめとした事務局の“臨時カメラマン”は、相当の研さんを積んだことがうかがえる。

東京印書館が『国史』のために作ったオリジナルの書体(青枠部分)。

昭和45(1970)年からようやく執筆の始まった『国史大辞典』。だが、文章だけでは辞典は完成しない。寺社仏閣の写真や、図版も必要だ。組版や印刷の問題もある。
奔走した一人の編集者としての辞典作りの苦労を、吉川弘文館社長の前田求恭さんにうかがった。

重いカメラを担いで
日本全国を駆けまわった日々


──文字原稿だけでは辞典は完成しません。やはり大量の図版が必要です。どう取り組まれたのですか?
まず、図版のカード化を行ないました。項目カード作りと一緒ですね。一人の事務局員を指名して「君はほかのことは一切しなくていいから、図版のカード作りだけをしなさい」と、その作業に専念させました。図録や資料などから、図版の名前と所蔵場所をカード化していくのです。昭和44年ごろから始めて、2~3年かかりました。これものちに大変役に立ちました。
――図版のカード化が終われば、今度は撮影です。じつは、前田さんご自身が写真を撮っていた、とお聞きしましたが。
本が出ていないので、お金ばかり出ていくだけで、入ってくるものがありませんでしたから(笑)。編集経費をどう切り詰めるか、ということが、私たちの課題でした。となると写真撮影もプロのカメラマンを雇うわけにはいきません。またプロのカメラマンにお願いできたとしても、相手との交渉は編集者が行なわねばなりません。我々が撮れば仕上がり割付を考慮できるではないか。一挙両得ということで、私を含め、3人の事務局員が臨時カメラマンになりました。今だったら高性能のデジカメがありますが、当時はフィルムです。6×9や4×5、8×10といった、大型のカメラをリュックに詰めては、三脚とライト・5mm厚のガラスを手に、全国を駆け回りました。
――撮影の経験はおありだったんですか?
学生時代から山登りが趣味でしたから、リュックをかついでいくのは得意でした(笑)。ただ写真は素人です。東大史料編纂所(注1)の方が撮影されるのを拝見し、それを見て学びました。それでもプロではありませんから、現像が終わるまで、心配で眠れません。東大史料編纂所の技官に写真を現像してもらっていたのですが、その気持ちをわかってくれて、向こうもこちらの撮影の帰りを待ってくれている。深夜に現像してもらうということもたびたびありました。
――国宝級の史料も多いでしょうから、撮影には気も遣いますね。
国宝を実際にこの手で触ることができる。これは役得でした(笑)。ただ当然、準備には万全を期しました。例えば文書(もんじょ)などの撮影に行く際は、まず東大史料編纂所の影写本(注2)を見て、サイズを確認します。黒い紙をそのサイズに切って現場に持参し、これでピントを合わせるんです。そして、セッティング後に実物を持ってきてもらう。こんな手順で効率よくやりましたので、次第に信頼を得るようになっていきました。辛い思い出もあります。伊能忠敬の博物館で撮影するために、成田近辺を通ったときのことです。当時は学生運動盛んなりし時でしたから、検問も物々しい。警察からすれば、大きなリュックをかついでいる人物はまことに怪しい(笑)。「開けろ」「嫌だ」と押し問答した挙げ句――今となっては私の虫の居所が悪かったとしかいえませんが――交番に連れて行かれました。許してもらいましたが、苦い経験です。

"オフセット印刷"という
新しい技術を採用

――編纂開始から5年後の昭和45年、執筆依頼がスタートします。
この当時は、まだ活版印刷(注3)が全盛でした。しかしできあがりの美しさや、将来的なことを考えると、どうしてもオフセット印刷(注4)にしたい。ちょうどそのころ、東京・晴海で印刷関係の見本市があったのですが、東京印書館という会社が自社開発のオフセット印刷機械を展示していたんです。実際、その会社にも見学に行って「これはいい!」と。吉川圭三社長に直談判しました。そのうちに先方の下中直也社長と吉川社長とが意気投合し、「これは社会的な大事な仕事だ」ということで、協力体制が敷けたのです。結果、今日のデジタル化にも繋がるオフセット印刷による辞典が誕生することになったのです。
――校正、図版の整理……と作業は繁雑を極めます。
東京印書館には随分、こちらのわがままを聞いてもらいました。例えば図版の位置やサイズなど、専門家でないと間違いやすいものも多い。だから製版したフィルム管理はこちらで行ない、青焼きを切り貼りして、1台16ページごとに「この通りにやってください」とお願いしていました。そのくらいしないといいものはできない、というその一心でしたね。
  • 注1 東大史料編纂所
    東京大学にある、古代から明治維新までの日本史に関する史料を蒐集、研究するとともに、日本史研究の基礎となる史料集を編纂・出版する研究所。1793 (寛政5)年、江戸幕府の援助をうけて国学者塙保己一が開設した和学講談所の事業を継承したもの。1000冊を超える史料集を刊行している。
  • 注2 影写本
    写本の一つ。原本を敷き写しにして、書体などを忠実に写した本。
  • 注3 活版印刷
    1445年、ドイツのグーテンベルクが発明した、活版(活字を組み並べて作った印刷用の版)で印刷すること。
  • 注4 オフセット印刷
    印刷版から印刷せず、一度ゴムブランケットに転写してから紙に印刷する方式。ゴムの弾力性によって鮮明な印刷ができる。1970年代後半より、印刷方式は活版からオフセットに主流が変わった。

前田求恭(まえだ・もとやす) 前田求恭(まえだ・もとやす)

1942年生まれ。株式会社吉川弘文館代表取締役社長。國學院大学文学部史学科卒業。1965年、同社に入社すると同時に、『国史大辞典』の事務局スタッフとして編集者人生をスタート。97年の完成まで『国史大辞典』の制作ひとすじ。その後『日本の時代史』(全30巻)などを手掛けた。2006年より現職。