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日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ一覧

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江戸三座(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書)
江戸で公許された中村座、市村座、森田座の三芝居。元禄期(1688‐1704)には山村座を含め四座存在したが、正徳四(1714)年、江島生島事件によって山村座が廃絶、以降明治に至るまで三座に限って興行が公認された。中村座は堺町、市村座は葺屋町、森田座は木挽町において興行したが
コミックマーケット(日本大百科全書)
日本最大の漫画同人誌展示即売会。コミケット、コミケと略す。近年は、毎年8月(夏コミ)と12月(冬コミ)の年2回、3日間の会期で東京国際展示場(東京ビッグサイト)で開催される。漫画、アニメーション、ゲームおよび関連分野を中心に、同好会や出版社、ゲームメーカーなどの企業が
鳥獣人物戯画(鳥獣戯画 、鳥獣人物戯画巻)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
京都市高山寺蔵。国宝。紙本墨画。四巻。甲巻縦三〇・七センチ、全長一一五〇・八センチ。乙巻縦三〇・八センチ、全長一二二一・七センチ。丙巻縦三一・三センチ、全長一一一四・六センチ。丁巻縦三〇・九センチ、全長九四三・〇センチ
歌舞伎(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞伎という表記は当て字であるが、歌(音楽)、舞(舞踊)、伎(伎芸)をそれぞれ意味し、日本独自の様式的演劇の特質を巧まずして表現しているため、今日では広く用いられている。かつて江戸時代には「歌舞妓」と書かれるのが普通であったが、もっと古くは「かぶき」と仮名で書かれた
宝塚歌劇団(日本大百科全書(ニッポニカ))
日本の代表的な女性だけの歌劇団。兵庫県宝塚市に本拠を置く。箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)が開発した遊園地の中の宝塚新温泉に、1913年(大正2)7月、湯客向けのアトラクションとしてつくった宝塚唱歌隊がその前身で、これは当時東京の三越デパートにあった少年音楽隊に倣ったもの
松竹歌劇団(日本大百科全書(ニッポニカ))
松竹によって創設されたレビュー団。宝塚少女歌劇団に対抗して、1922年(大正11)大阪の松竹分室に「松竹楽劇部生徒養成所」が開設され、中之島公会堂で第1回試演会を行ったのに始まる。翌1923年大阪松竹座の専属となり、1926年に上演した「春のおどり」の好評が発展の動機になった
炬燵(こたつ)(日本国語大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
床に炉を設け、上にやぐらを置き、ふとんを掛けて暖をとるもの。掘りごたつ。また、簡便にやぐらの底に板を張ってこれに火入れをおく置きごたつもある。室町時代に禅宗から広まり、古くは、やぐらそのものをこたつと呼んだ。今日では熱源に電気を用いる
イエス・キリスト(日本大百科全書・世界大百科事典・世界人名大辞典・日本国語大辞典)
キリスト教の始祖。その生誕年が西暦紀元とされるが、実際には差があると考えられている。「イエス」は「ヤーウェ(イスラエルの神)は救いである」という意味のヘブライ語の人名イェホーシューア(短縮形ヨシュア)のギリシア語音訳(正確にはイエースース)。「キリスト」は本来
キリスト教用語集(日本大百科全書(ニッポニカ))
アガペー*『新約聖書』で「愛」を意味するギリシア語。神の愛。他者中心(自己否定)的、無償的愛を意味し、イエスの受肉と十字架と復活のなかにその愛の成就がみられるとする。広く人間の愛を意味したギリシア語の「エロス」としばしば比較される。アーメン*「まことに」「たしかに」
キリスト教(日本大百科全書(ニッポニカ))
イエスをキリスト(救世主)と信じる宗教と定義づけることができる。本項目では、キリスト教を歴史的に概観する。その主眼はキリスト教思想史であるが、教会史も織り込み、さらに日本の場合、社会、文化への影響にも触れる。歴史的展開の理解が、キリスト教全般への目を開かせ
プロテスタンティズム(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
ルターやカルバンなどによる宗教改革に端を発し、今日では、ローマ・カトリック教会、東方正教会と並ぶキリスト教の一大勢力となった諸教派およびその思想の総称。プロテスタントということばは、神聖ローマ帝国皇帝カール5世の改革否認に対する抗議宣言に由来するが、単なる抗議を超えて
愚管抄(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代初期に成った日本の通史。慈円(慈鎮)作。七巻。『本朝書籍目録』に六巻とあるのはあるいは第一・二巻を合わせた表現か。また『愚管抄』第二巻記述中に、山門のことを記した「一帖」があるとみえるのは、別に現存する、延暦寺勧学講の記録断簡にあたると思われる
承久記(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
承久の乱に関する軍記物語。一名、『承久兵乱記』。異本が多く、同名異書もある。すべて作者・成立年代未詳。古くは、『公定公記』応安七年(一三七四)四月二十一日条に「承久物語三帖」、『蔗軒日録』文明十七年(一四八五)二月七日条に
閑居友(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
随想的性格の強い中世の仏教説話集。二巻。古く慈円の著といわれてきたが、書中に著者が入宋したと述べているのを手がかりとして、契沖は慶政が著者であろうと推測した。決定的資料を欠くが内部徴証や各種情況証拠からみて、慶政著作説は動かないと思われる。成立は跋文相当箇所に
海道記(国史大辞典・日本大百科全書)
鎌倉時代の京都・鎌倉間の紀行。一冊。『鴨長明海道記』と題した本もあり、源光行・如願法師を著者とする説もあるけれど、いずれも年齢的に合わないので誤り。著者は不明であるが本書の序の部分に、白河のわたり中山の麓に閑居幽棲する侘士で齢は五旬、遁世して頭陀を事としている者とある
建礼門院右京大夫集(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉初期の私家集。二巻。建礼門院右京大夫の歌を収める。自撰。貞永元年(一二三二)頃の成立。承安四年(一一七四)からの歌約三六〇首をほぼ年代順に収めたもの。建礼門院への宮仕え、平資盛との恋愛、平家没落、大原の建礼門院訪問、後鳥羽院への
拾遺愚草(日本大百科全書(ニッポニカ))
藤原定家の家集。「拾遺」は侍従の唐名で定家の官職名。上中下の3巻は1216年(建保4)に成立し、その後も出家時の1233年(天福1)まで増補。上巻は初学百首から関白左大臣家百首までの15種の百首、中巻は韻歌128首から女御入内屏風歌の12種の作品、下巻は四季、賀、恋、雑の部類歌を収める。
新勅撰和歌集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第九番目の勅撰和歌集。撰者は藤原定家。春(上・下)・夏・秋(上・下)・冬・賀・羈旅・神祇・釈教・恋(一―五)・雑(一―五)の二十巻から成る。歌数千三百七十四首。貞永元年(一二三二)六月十三日、後堀河天皇から古今の歌を撰進せよとの勅命
小倉百人一首(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
百人の歌人から秀歌を一首ずつ集めたもの。最初は、嵯峨の小倉山荘の障子に張った色紙和歌の意の「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙形」の名称であったものが、内容的名称の「百人一首」となり、さらに、のちの『新百人一首』『武家百人一首』と区別するため「小倉百人一首」となった
正法眼蔵随聞記(国史大辞典・日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典)
道元が門下に示した示誡を孤雲懐奘が聞くに随って記録し、これをその門下が編集したもの。六巻。道元が宋から帰朝してのち、初開の道場である京都深草の興聖寺において、嘉禎年間(一二三五―三八)その門下の僧衆に示した示誡の集録である。明和七年
八雲御抄(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の最大の歌学書。順徳天皇の御撰。全六巻。承久三年(一二二一)までに成ったと思われる原稿本は伝存不明。佐渡において増補されたのが草稿本(内閣文庫蔵本など)であり、さらに増補し藤原定家に与えられたものが広く伝存し、後人が私記を追加したものがあり
東関紀行(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の紀行文学。伝本により『長明道之記』『親行道之記』などとも題するが、作者は鴨長明や源親行とは考えられず、不明。一巻。仁治三年(一二四二)成立か。五十歳に近づいた作者がこの年八月はじめて関東に下ることになり、馴れぬ旅路に十余日を経て鎌倉に着くまでの
撰集抄(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の仏教説話集。著者不明。九巻九冊もしくは三冊の広本と九巻三冊の略本とがあり、広本は説話数百二十一、略本は五十八。巻末に、寿永二年(一一八三)讃州善通寺の方丈の庵で記したとあるが、認め難い。成立年代については、多くの内部徴証を勘案した諸説があって
井戸茶碗(国史大辞典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
朝鮮茶碗の一種。李朝前期に焼かれた陶器。古来朝鮮茶碗のうち最も有名なもので、茶人の間で、大名物・名物と称して特に珍重されている。その特色、見所としては、形はのびのびとした椀形で、素地は砂まじりの荒い土である。全面には枇杷色と呼んでいる淡い褐色の釉薬が厚くかかり
高麗茶碗(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
朝鮮半島で焼かれた茶の湯茶碗の総称。高麗の名は時代の意ではなく、室町・桃山時代には朝鮮を俗に高麗と称していたことによる。実際には高麗時代の作例はまれで、多くは李朝初・中期(15、16世紀)に焼かれている。わが国では室町時代後期(16世紀)に、それまでの書院茶にかわって
天目茶碗(日本大百科全書(ニッポニカ))
抹茶茶碗の一種。この呼称は、鎌倉時代に中国浙江省の禅寺天目山に学んだ僧侶が帰国に際して持ち帰った黒釉のかかった茶碗をわが国で天目とよんだのに始まるとされ、のちにはこの器形(天目形)のものを天目茶碗とよぶようになった。天目茶碗の基本形は、低く小さな輪高台をもち
元禄文化(日本大百科全書(ニッポニカ))
元禄(1688~1704)前後の上方中心の町人文化。広義には、17世紀後半から18世紀前半の長い時代文化を含むので、町人文化だけにはとどまらない。しかし幕藩制社会の確立の時代にあたるため、小市民社会の形成と封建的武家支配との間に緊張関係があって、封建的な武家文化との対抗のなかで
化政文化(日本大百科全書(ニッポニカ))
文化・文政(1804~1830)ころの江戸中心の町人文化。大江戸文化ともいう。しかし広義には、18世紀後半から19世紀前半の長い時代文化のことをさすので、その様式も広範囲にわたり、その内容も複雑多岐になる。その中心は小市民的な合理主義や美的情緒であるが、幕藩制社会の弛緩の時代に
竪穴住居(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
地面を円形や方形に数十センチメートル掘りくぼめて、垂直に近い壁や平らな土間の床をつくり、その上に屋根を架した半地下式の住居である。おもに考古学的調査で発見され、日本では旧石器時代から中世まで使われた主要な住居様式の一つである。一般的には、一辺あるいは径が数メートルで
三内丸山遺跡(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
青森市三内字丸山に所在する縄文時代の遺跡。沖館川右岸の河岸段丘上にあり、標高は約二〇メートル。範囲は約三八ヘクタールと推定。江戸時代から知られ、山崎立朴の『永禄日記』や菅江真澄の『栖家の山』にも遺物発見の記載がある
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