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日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ一覧

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経国集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安前期の漢詩文集。827年(天長4)、滋野貞主、良岑安世、菅原清公らによって編纂撰進された。書名は魏の文帝の「典論」にある、「(文章は)経国之大業而不朽」による。もともと20巻だったが、現存するのは巻1「賦」、巻10、11、13、14(以上、詩)、巻20
文華秀麗集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安前期の勅撰漢詩文集。818年(弘仁9)仲雄王、菅原清公、勇山文継、滋野貞主らによって編纂撰進された。詩を分類するのに、遊覧、宴集、餞別、贈答、詠史、述懐、艶情、楽府、梵門、哀傷、雑詠の11の部立てを立てるという斬新な方法を用いている。
新撰姓氏録(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
815年(弘仁6)に編纂された古代氏族の系譜書。本書の編纂は799年(延暦18)、諸国に本系帳の撰上を命じたことに始まる。814年に至り万多親王、藤原園人、同緒嗣らによって完成されたが、さらに源朝臣の条などを追加し、不備な点を補って翌年に
凌雲集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典・全文全訳古語辞典)
平安前期の漢詩文集。814年(弘仁5)小野岑守、菅原清公、勇山文継らによって編纂撰進された。序文に「凌雲新集」とあるが、普通には「雲を凌ぐほどにすぐれた詩を集めた詩集」の意味で凌雲集とよばれる。782年(延暦1)から814年までの範囲から詩人
懐風藻(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典・全文全訳古語辞典)
漢詩集。1巻。撰者については、淡海三船説、葛井広成説、石上宅嗣説などがあるが未詳。751年(天平勝宝3)成る(序文による)。近江朝以降、奈良朝中期の天平ごろまでの約八十数年間のわが国の詩人64人の漢詩120首を、ほぼ時代順・作者別に配列して
歌経標式(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良時代の歌学書。藤原浜成(はまなり)著。序、跋(ばつ)によれば、772年(宝亀3)5月勅命により成立。偽作説もあったが、真作と認めうる。最古の歌学書で、とくに歌病(かへい)論は平安時代以降、変化しつつも大きな影響を残した。序によれば書名は『歌式(かしき)』。
葵祭(賀茂祭)(日本大百科全書(ニッポニカ))
5月15日に行われる京都市北区上賀茂(かみがも)の賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(上賀茂神社)、左京区下鴨(しもがも)の賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)両社の祭り。元来、賀茂祭(かもまつり)と称し、平安時代に祭りといえば賀茂祭をさすほど有名であった。
牛祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市右京区太秦(うずまさ)の広隆寺境内にある大避(おおさけ)神社の奇祭。10月(もとは旧暦9月)12日夜、神灯、囃子方(はやしかた)、松明(たいまつ)を先頭に、特異な面をつけた摩多羅神(またらじん)(インド伝来の神)が牛に乗って四天王(白装束の赤鬼、青鬼)
海神祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
鹿児島県奄美(あまみ)諸島与論島、沖縄県国頭(くにがみ)郡一帯、島尻(しまじり)郡伊平屋(いへや)諸島などで行われる村の行事。地元では海神(うみがみ)(ウンガミ、ウンジャミなど)という。『琉球国(りゅうきゅうこく)由来記』(1713)には「海神折目(うみがみおりめ)」
神御衣祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
伊勢(いせ)神宮で天照大御神(あまてらすおおみかみ)に絹(和妙(にぎたえ))と麻(あさ)(荒妙(あらたえ))を、毎年5月・10月の14日に奉る祭典で、皇大(こうたい)神宮(内宮(ないくう))と荒祭宮(あらまつりのみや)に限って行われる。
御柱祭(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典・日本大百科全書)
長野県の諏訪大社において7年目ごと(申と寅年)の春に行われる式年大祭。地元では単に〈おんばしら〉といい,また〈みはしらさい〉とも呼ぶ。諏訪大社は上社の前宮と本宮,下社の春宮と秋宮のあわせて4宮からなり,それぞれの社殿四隅に山中から氏子が引き出してきた巨大な自然木
風祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
風害防除の祈願。稲への害をとくに恐れるため、収穫を直後に控えて台風の被害が憂慮される八朔(はっさく)や二百十日およびその前後に行われ、共同祈願の形式をとることが多い。方法は、村人が神社や堂で忌籠(いみごも)り精進(しょうじん)したり
神嘗祭(日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典・日本国語大辞典)
「しんじょうさい」「かんにえのまつり」ともいう。毎年10月15~17日に行われる、伊勢(いせ)神宮の年中行事きっての大祭。天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天上の高天原(たかまがはら)において、新嘗を食したとの神話に由来し、その年に収穫した新穀を由貴(ゆき)
鞍馬の火祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市左京区鞍馬寺の鎮守社由岐(ゆき)神社の祭礼であり、毎年10月22日の夜に行われる。鞍馬寺の参道の中央数か所にマツ・モミの根を束ねた大松明(たいまつ)を立て、各戸の前に大篝火(かがりび)を焚(た)き、青少年が向こう鉢巻の晴れ姿で、柴(しば)を束ねた1.5メートルほどの
暗闇祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
灯火を消して神儀を行う祭りをいう。東京都府中市の大国魂(おおくにたま)神社の5月5日の祭礼は、暗闇祭として有名である。かつては、当日の午後11時に境内の灯火をいっさい消し、12時に8基の神輿(みこし)が御旅所(おたびしょ)に渡御、暗黒のなかに祭儀を執行した。
管絃祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
神事には往々にして管絃を奉奏することが行われるが、とくにその規模を大きくして神輿(みこし)を船中に奉安し、管絃を吹奏して神霊をなぐさめる神事。広島県廿日市(はつかいち)市宮島町の厳島(いつくしま)神社、福井県敦賀(つるが)市の金崎宮(かねがさきぐう)などで行われている。
語物(日本国語大辞典・日本大百科全書)
筋のある物語を節をつけて語る芸能。平曲、幸若、説経節、祭文(さいもん)、浄瑠璃、薩摩琵琶、筑前琵琶、浪花節など。その詞章をもいう。謡物(うたいもの)。
幸若舞(東洋文庫・日本国語大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
東洋文庫355 荒木繁・池田廣司・山本吉左右編注 歴史上の人物や伝説的英雄の戦いと,複雑な人間模様につつまれた物語を謡い,舞う幸若舞。中世末期,民衆や武士に愛好されて広く流行した幸若舞は能や歌舞伎にもふかい影響を与えている。第1巻は,入鹿,大織冠
東寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市南区九条町にある寺。東寺真言宗の総本山。正しくは金光明四天王教王護国寺秘密伝法院(略して教王護国寺)という。本尊は薬師如来(にょらい)。794年(延暦13)の平安遷都に伴い、王城鎮護のために羅城門の左右に2か寺が建立され、それぞれ東寺(左寺、左大寺とも)、西寺
出羽三山神社(日本大百科全書(ニッポニカ))
山形県中央部に横たわる羽黒山、月山、湯殿山に鎮座する出羽神社、月山神社、湯殿山神社の総称。推古天皇の御代に崇峻天皇の皇子蜂子皇子によって開かれたと伝える。中世以降、修験道の一大霊場として栄えた。夏季以外の登拝が困難なため、3社の祭祀は羽黒山上の三神合祭殿(鶴岡市羽黒町手向)
首里城(日本大百科全書(ニッポニカ))
沖縄県那覇市首里当蔵にある城跡。琉球王国時代の王宮にあたり、東西最長約400メートル、南北最長約270メートル、全体に楕円形の城域をもつ。面積4万6167平方メートルの規模をもち、堅牢な石垣で囲まれていた。外郭に四つの石造拱門(アーチ門)、内郭に八つの門があり、その内部には正殿
井原西鶴集(日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典)
けした所が恋のはじまり。桜もすぐ散ってしまって嘆きの種だし、月も限りがあって山の端にはいってしまう。そんなはかない眺めよりもと、限りのない、女色・男色の二道に打ち込んで、夢介と替名を呼ばれる太尽は、その名も月の入佐山という歌名所のある但馬国生野銀山のあたりから、
平城京(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
8世紀、約70年間にわたって奈良に営まれた都城。710年(和銅3)に藤原京から遷都してきて以来784年(延暦3)長岡京に遷るまでの間であるが、藤原広嗣の乱(740)後の5年間ほどは難波を都としたため空白期間がある。奈良盆地の北端に位置しており、山背国(京都府)へ抜けると木津・淀川
大宝律令(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
律令時代盛期の基本法典。刑部親王らの撰。律六巻・令十一巻。施行期間は、令が大宝元年(七〇一)から、律が翌二年から、いずれも『養老律令』に代わった天平宝字元年(七五七)まで。『養老律令』に対して古律・古令という。かねてから夫の天武天皇とともに律令制定を命じていた
遣唐使(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
7世紀から9世紀にかけて日本から唐(618~907)に派遣された公式の使節。630年(舒明天皇2)8月に犬上御田鍬(耜)を派遣したのを最初とし、894年(寛平6)に菅原道真の建議によって停止されるまで、約20回の任命があり、うち16回は実際に渡海している。
養老律令(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
律令国家を規制した基本法典。律十巻・令十巻から成る。奈良時代の初め、政界の実力者になった右大臣藤原不比等は、さきにみずから実質上の編纂主任をつとめた『大宝律令』が、用字その他の点で若干の不備があることを考慮し、おそらく孫の首皇子(のちの聖武天皇、母は不比等の女宮子娘)
大化改新(日本大百科全書(ニッポニカ))
645年(大化1)の蘇我氏本宗の打倒に始まる内政改革。同年6月に中大兄皇子(後の天智天皇)や中臣鎌子(後の藤原鎌足)らを中核にしたクーデターが成功し、権力を握っていた蘇我蝦夷・入鹿父子が打倒された。これを乙巳の変とよぶが、これを発端にして650年(白雉1)ごろまでの
大和国家(日本大百科全書(ニッポニカ))
日本古代史上で、律令制国家成立以前の時期の国家。政権所在地は、おもに大和(奈良県)の地域および河内(大阪府)など。大和政権または大和朝廷ともいう。最近では、古代国家の成立を7世紀に求める考えが増えたので、大和政権ということが多い。なお、「大和」の表記は8世紀なかば
冠位十二階(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
603年(推古11)に制定された日本最初の冠位制度で,律令位階制度の源流をなすもの。従来,豪族たちは大和朝廷において氏ごとに一定の職務を世襲し,その政治的特権の表象として特定の冠を襲用してきたが,これは,それとは別に個人を対象とし,昇進の原則をもつ新しい冠位制度であった。
菜畑遺跡(日本大百科全書(ニッポニカ))
佐賀県唐津市菜畑字松円寺の衣干山の東麓に派生する丘陵の先端部に営まれた縄文晩期の水田を伴う集落跡。1980年唐津市教育委員会が都市計画道路建設の事前の発掘調査を行った。住居跡、水田跡、貝塚を主体とする遺跡でなかでも縄文晩期後半の水田、炭化米、農工具の発見により
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