日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ一覧

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ルノワール(日本大百科全書・世界大百科事典)
フランスの印象派の画家。裸婦や少女たちの豊かな魅力を備えた作品によって、国際的にも、日本でも、もっとも親しまれている画家。1841年2月25日リモージュに生まれる。幼年時代、一家とともにパリに移住。1854年、陶器の工房に絵付(えつけ)職人として
ショパン(日本大百科全書・世界大百科事典)
ピアノ音楽に比類ない境地を開いたポーランド出身の作曲家、ピアニスト。主要な作品のほとんどがピアノ曲で、その個性的で斬新(ざんしん)な書法はリリシズムを基調に、雄々しさ、気品、メランコリーなど多彩な性格をあわせもち、「ピアノの詩人」とたたえられ、世界的
山本周五郎(日本近代文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
小説家。明治36年6月22日、山梨県大月市初狩町下初狩に生まれる。本名清水三十六(しみずさとむ)。正則英語学校卒業。質店の徒弟、新聞・雑誌記者を経て小説家となる。1926年(大正15)『文芸(ぶんげい)春秋』4月号の懸賞に投じた『須磨寺附近』が文壇
長篠の戦(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
1575年(天正3)三河国長篠(愛知県新城(しんしろ)市)において行われた、武田勝頼(たけだかつより)と徳川家康・織田信長連合軍との合戦。長篠は信濃(しなの)(長野県)飯田(いいだ)から伊那(いな)の山間部を縫って三河吉田(豊橋(とよはし)市)に通じ
姉川の戦(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
1570年(元亀1)6月28日、近江(おうみ)(滋賀県)の姉川畔で繰り広げられた浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍の戦い。戦いのあった場所の地名をとって、野村合戦とも三田村合戦ともよばれる。戦いの発端となったのは同年4月、信長が越前(えちぜん)
武田勝頼(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
戦国期の武将。晴信(はるのぶ)(信玄(しんげん))の四男で、母は諏訪頼重(すわよりしげ)の娘。幼名四郎。1562年(永禄5)元服して諏訪氏の名跡を継ぎ勝頼と称す。信州伊那郡代(いなぐんだい)として高遠(たかとお)城を守る。67年に長兄の義信(よしのぶ
松平広忠(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
戦国時代の武将。三河(みかわ)松平家8代目。岡崎城主。清康(きよやす)の子。徳川家康の父。10歳のときに父清康が織田信秀(のぶひで)と戦うため、尾張守山(おわりもりやま)へ出陣中に家臣の阿部弥七郎(やしちろう)に刺殺(守山崩れ)されたため、大叔父信定
築山殿(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
徳川家康の室。駿河御前(するがごぜん)ともいう。父は関口義広(よしひろ)(一説に氏広、また親永(ちかなが)など)、母は駿河の今川義元の妹。1556年(弘治2)義元の養女として、当時今川氏の人質となり駿府(すんぷ)にあった三河岡崎城主の家康に嫁し
春一番(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
冬から春へと季節が移るころ、冬のうちとは風向きの異なる強風が急に吹き出すことがある。この現象を戒めたことばで、漁業従事者たちの間で、海難防止の意味合いで使われだしたといわれる。春一(はるいち)ともいう。冬のうちの北風、西風を吹かせた西高東低型の気圧
アイルランド文学(集英社世界文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
インド・ヨーロッパ語族のケルト語に属する一派にゴイデル語があり、それはさらにアイルランド・ゲール語、スコットランド・ゲール語、およびマン島ゲール語の三つに分類される。アイルランド固有の言語はアイルランド・ゲール語(以下ゲール語あるいはアイルランド語と
ヘーゲル哲学(文庫クセジュ・日本大百科全書)
定有(ていゆう)・定在(ていざい)・定存在(ていそんざい)いずれも原語はDaseinで、「規定された存在、質をもつ存在」の意。ヘーゲル以外の哲学者の用語としては「現存在」と訳されるが、それは「現に目の前に現れている」というところに強調点があるからで
連獅子(日本大百科全書・世界大百科事典)
歌舞伎(かぶき)舞踊。長唄(ながうた)。河竹黙阿弥(もくあみ)作。能『石橋(しゃっきょう)』の替(かわり)の型からの名称で、1861年(文久1)5月、2世杵屋勝三郎(きねやかつさぶろう)が作曲、初世花柳寿輔(はなやぎじゅすけ)が子芳次郎(よしじろう)
ガンディー(日本大百科全書・世界大百科事典)
インドの政治指導者で思想家。「マハートマー(偉大なる魂)」「ラーシュトラ・ピター(国の父)」「バープー(父)」などいくつかの呼称をもち、今日なおインド人大衆の尊敬と親愛の的となっている。[内藤雅雄]▲アフリカ時代インド西部カーティアワール半島にあった
シューベルト(日本大百科全書・世界大百科事典)
オーストリアの作曲家。歌曲をはじめ管弦楽曲、室内楽、ピアノ曲などに多くの優れた作品を残し、ドイツ・ロマン派初期を代表する。[石多正男]▲生涯1月31日、教員で敬虔(けいけん)なカトリック教徒の父フランツ・テオドールと、シュレージエン地方出身の母
スタンダール(デジタル版 集英社世界文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
フランスの小説家。本名アンリ・ベールHenriBeyle。19世紀前半のフランスの小説家としてバルザックと並び称されるが、ほかに文芸評論、旅行記、評伝、自伝などにも手を染めている。文筆活動以外にも、ナポレオン時代の軍人、軍属、また七月革命以後の外交官
小谷の方(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
?-一五八三安土桃山時代の女性。名は市、織田信長の妹。永禄十年(一五六七)末か翌年の初めごろ、近江浅井郡小谷城主浅井長政のもとに嫁し、長政が天正元年(一五七三)八月信長に滅ぼされた時城を脱出して織田氏のもとへ帰った。『総見記』によれば、信長は妹という
松平信康(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
近世初期、三河(みかわ)(愛知県)岡崎城主。徳川家康の嫡子、2代将軍秀忠(ひでただ)の兄。母は正室関口氏(築山殿(つきやまどの))。幼名竹千代、通称次郎三郎。1567年(永禄10)9歳で織田信長の女(むすめ)織田氏徳姫と結婚。70年(元亀1)家康が
榊原康政(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
安土(あづち)桃山時代の武将。徳川家康直属の有力部将で譜代(ふだい)大名。幼名小平太、官名は式部大輔(しきぶたいふ)。三河一向一揆(いっこういっき)で家康に敵対した家老酒井忠尚(ただなお)の小姓(こしょう)であったといわれる。1560年(永禄3)
井上靖(日本近代文学大事典・日本大百科全書)
小説家。明治40年5月6日、北海道旭川(あさひかわ)生まれ。井上家は代々伊豆湯ヶ島の医家であった。父隼雄は軍医で、旭川第七師団勤務中に長男靖が生まれた。3歳のとき父母のもとを離れて湯ヶ島に帰り、曽祖父(そうそふ)潔の妾(めかけ)であったかのの手で育て
駅伝競走(日本大百科全書・世界大百科事典)
道路上を走る長距離のリレー競走。距離、区間、人数にとくに規定はないが、一般的には5~10区間、1人が走る距離は5~20キロメートルとなっている。各走者は自分の区間を走ったあと、たすきを次走者に渡す。たすきはかならず肩からわきの下に掛け、渡すときは投げ
浮世風呂(国史大辞典・日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
式亭三馬(しきていさんば)作の滑稽本(こっけいぼん)。4編9冊。1809~13年(文化6~10)刊。『諢話(おどけばなし)浮世風呂』とも。江戸庶民の社交場であった銭湯を舞台に、そこに集まる雑多な人物の動作を、会話を主として克明に描いた作品である。前編
三味線(新版 歌舞伎事典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
日本の弦鳴楽器の一つ(リュート属長頸撥弦(ちょうけいはつげん)楽器)。中国の三絃(さんげん)に由来する楽器で、16世紀後半に琉球(りゅうきゅう)を経由して泉州(大阪)の堺(さかい)に伝えられたとされる。伝来後は急速に普及し、改良を施されながら、日本の
日本舞踊(日本大百科全書・世界大百科事典)
邦舞ともよび、西洋舞踊(洋舞)と大別される。広義には、舞楽(ぶがく)、能(のう)、歌舞伎(かぶき)舞踊(古典舞踊)、新舞踊、創作舞踊、民俗舞踊(郷土舞踊)などをいう。狭義には、これらのうち一般的によく知られている歌舞伎舞踊をいうことが多い。「舞踊」と
かぐや姫(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・日本国語大辞典)
『竹取物語』の主人公の名。物語には「なよ竹のかぐや姫」とある。竹の中から生まれて竹取の翁(おきな)夫婦に育てられ美しい姫に成長するが、5人の貴公子の求婚に難題を課して退け、帝(みかど)の求愛をも断って、八月十五夜、天人に迎えられて月の世界に昇天する。
沖田総司(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
幕末の新選組隊士。父勝次郎は江戸詰の白河(しらかわ)藩士で、総司2歳のとき死去。江戸・市ヶ谷の近藤周助(勇(いさみ)の養父)の内弟子となり、天然理心流を学び剣技に優れた。のち塾頭となり、多摩郡に出稽古(でげいこ)に歩いた。1863年(文久3)2月に
六波羅探題(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
鎌倉幕府が京都の六波羅に設置した機関、およびその長官。ただし探題という称呼は南北朝時代以後のもので、鎌倉時代には単に六波羅、六波羅守護などとよんだ。1185年(文治1)以来、幕府は京都守護を置いたが、1221年(承久3)の承久(じょうきゅう)の乱
永井荷風(日本近代文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
小説家、随筆家、劇作家。明治12年12月3日東京・小石川に生まれる。本名壮吉(そうきち)。別号に断腸亭(だんちょうてい)主人、金阜(きんぷ)山人など。父久一郎は尾張(おわり)藩の出身でアメリカ留学後官吏となり、のち日本郵船上海(シャンハイ)
ナポレオン1世(日本大百科全書・世界大百科事典)
フランス第一帝政の皇帝(在位1804~14、15)。本名ナポレオン・ボナパルトNapoléonBonaparte。[井上幸治]▲生い立ちコルシカ島は14世紀以来、イタリアのジェノバ領であったが、18世紀初期から住民は独立運動を開始し、同世紀中ごろから
パスツール(日本大百科全書・世界大百科事典)
フランスの化学者、微生物学者。父ジャン・ジョセフJean-JosephPasteur(1791―1865)はナポレオン軍の下士官も務めた小さな皮革業者で、その長男として12月27日、ドール市に生まれた。幼時の天才児らしい話は残っていない。パリの高等師
ファーブル(世界大百科事典・日本大百科全書)
フランスの昆虫学者、博物学者。『昆虫記』の著者として知られる。南フランスのサン・レオンに生まれ、生活は貧しかったが、勉学欲に燃え、昆虫に対する関心を抱いた。アビニョンの師範学校を卒業し、小学校教師となったが、その後もモンペリエ大学で物理学
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