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日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ一覧

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ルノワール(日本大百科全書・世界大百科事典)
豊後の国。郡は八所、〔郷は四十、里は百十〕駅は九所、〔みな小路〕烽は五所、〔みな下国〕寺は二所〔一つは僧の寺、一つは尼の寺〕である。豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
ショパン(日本大百科全書・世界大百科事典)
ピアノ音楽に比類ない境地を開いたポーランド出身の作曲家、ピアニスト。主要な作品のほとんどがピアノ曲で、その個性的で斬新(ざんしん)な書法はリリシズムを基調に、雄々しさ、気品、メランコリーなど多彩な性格をあわせもち、「ピアノの詩人」とたたえられ、世界的
山本周五郎(日本近代文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
本文:既存小説家。山梨県北都留郡初狩村八二番戸(現・大月市下初狩二二一番地)生れ。父清水逸太郎、母とくの長男。本名は三十六(さとむ)。家業は繭、馬喰、そのほか諸小売りであった。生前、本籍地の韮崎市若尾を出生地と語ったのは、そこが武田の御倉奉行と伝え
長篠の戦(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
天正三年(一五七五)五月二十一日織田信長・徳川家康連合軍が武田勝頼の軍を三河国設楽原(したらがはら、愛知県新城(しんしろ)市)で破った合戦。天正元年四月武田信玄が没し武田軍の上洛遠征が中断されると、徳川家康は再び北三河の奪回を図り、七月二十一日長篠城
姉川の戦(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
元亀元年(一五七〇)六月二十八日(新暦八月十日)、現在の滋賀県東浅井郡浅井町野村・三田付近の姉川河原において、織田信長・徳川家康連合軍が浅井長政・朝倉景健連合軍を撃破した戦い。織田信長は永禄の末年(永禄二年(一五五九)・同七年・同八―十年ごろという
武田勝頼(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五四六-八二戦国・安土桃山時代の武将。甲斐の武田信玄の四男。母は諏訪頼重の娘。天文十年(一五四一)六月、父晴信(信玄)が武田家当主となり、翌十一年信濃国諏訪郡を攻め、諏訪頼重を誅殺した際、その娘を側室として同十五年勝頼が生誕した。四男なので諏訪氏の
松平広忠(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五二六-四九戦国時代の三河国の武将。徳川家康の父。千松丸、仙千代、次郎三郎。父は清康、母は青木貞景女。大永六年(一五二六)岡崎生まれ。天文四年(一五三五)十二月に清康が尾張守山で死んだ時は十歳。織田信秀の来襲は撃退したが、桜井松平家の信定に追われて
浜松城(国史大辞典・日本大百科全書・日本歴史地名大系)
静岡県浜松市元城町にあった城。平山城。三方原洪積台地の最東南端に徳川家康が築城し、浜松城と称え、この地を引馬から浜松に改称した。引馬旧城主飯尾連竜は今川氏真に謀殺され、その留守を預かる老臣間の内紛を平定した家康が、元亀元年(一五七〇)、遠江経営と武田
築山殿(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
徳川家康の室。駿河御前(するがごぜん)ともいう。父は関口義広(よしひろ)(一説に氏広、また親永(ちかなが)など)、母は駿河の今川義元の妹。1556年(弘治2)義元の養女として、当時今川氏の人質となり駿府(すんぷ)にあった三河岡崎城主の家康に嫁し
伝通院(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
徳川家康の生母、お大(だい)の方。三河(愛知県)刈屋城主水野忠政女。1541年(天文10)岡崎城主松平広忠(ひろただ)に嫁し、翌年竹千代(たけちよ)(家康)を生む。ところがその翌43年父忠政が死去すると、兄信元は尾張(おわり)の織田(おだ)方につき
春一番(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
冬から春へと季節が移るころ、冬のうちとは風向きの異なる強風が急に吹き出すことがある。この現象を戒めたことばで、漁業従事者たちの間で、海難防止の意味合いで使われだしたといわれる。春一(はるいち)ともいう。冬のうちの北風、西風を吹かせた西高東低型の気圧
アイルランド文学(集英社世界文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
アイルランド文学は,文字に残されたものとしては,6世紀ごろまでさかのぼることができる。それまでの文学は口承によるもので,特別な修業を積んだ詩人たちが神々,英雄,美女,妖精(ようせい)の物語を語り伝えた。文字としては,石の角(かど)に長短の直線を刻み
ヘーゲル哲学(文庫クセジュ・日本大百科全書)
緒論一はじめにかつて、ヘーゲルは近代のアリストテレスであると言われた。じじつ彼の学説は、かつてひとりの哲学者によって構想された哲学体系のなかで、最も完結したものであり、そしておそらく最も深遠なものであろう。それは知の諸領域を一つのこらず網羅し
連獅子(日本大百科全書・世界大百科事典)
歌舞伎(かぶき)舞踊。長唄(ながうた)。河竹黙阿弥(もくあみ)作。能『石橋(しゃっきょう)』の替(かわり)の型からの名称で、1861年(文久1)5月、2世杵屋勝三郎(きねやかつさぶろう)が作曲、初世花柳寿輔(はなやぎじゅすけ)が子芳次郎(よしじろう)
ガンディー(日本大百科全書・世界大百科事典)
インドの政治指導者で思想家。「マハートマー(偉大なる魂)」「ラーシュトラ・ピター(国の父)」「バープー(父)」などいくつかの呼称をもち、今日なおインド人大衆の尊敬と親愛の的となっている。[内藤雅雄]▲アフリカ時代インド西部カーティアワール半島にあった
シューベルト(日本大百科全書・世界大百科事典)
オーストリアの作曲家。歌曲をはじめ管弦楽曲、室内楽、ピアノ曲などに多くの優れた作品を残し、ドイツ・ロマン派初期を代表する。[石多正男]▲生涯1月31日、教員で敬虔(けいけん)なカトリック教徒の父フランツ・テオドールと、シュレージエン地方出身の母
スタンダール(デジタル版 集英社世界文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
フランスの小説家。本名アンリ・ベールHenriBeyle。小説のほか,文芸批評,美術・音楽論,旅行記,評伝,自伝なども手がけており,未定稿や日記,書簡の類いを併せれば,執筆量は膨大なものになる。文筆活動以外にも,ナポレオン時代の軍人・軍属としての経歴
小谷の方(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
?-一五八三安土桃山時代の女性。名は市、織田信長の妹。永禄十年(一五六七)末か翌年の初めごろ、近江浅井郡小谷城主浅井長政のもとに嫁し、長政が天正元年(一五七三)八月信長に滅ぼされた時城を脱出して織田氏のもとへ帰った。『総見記』によれば、信長は妹という
松平信康(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五五九-七九戦国時代の武将。竹千代、次郎三郎。永禄二年(一五五九)三月六日駿府で誕生。徳川家康の長男。母は関口義広女(築山殿)。桶狭間の戦後も駿府に抑留されていたが、同五年人質交換で母とともに岡崎へ引き取られた。六年三月、織田信長の女五徳(徳姫)と
平岩親吉(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五四二-一六一一戦国時代末期徳川家康に仕えた武将で、江戸時代初頭に譜代大名となる。天文十一年(一五四二)三河国に生まれる。父は松平宗家譜代の親重。母は天野清右衛門貞親の女。幼時より徳川家康に仕え、家康が幼名竹千代のころ、人質として駿府の今川義元のも
鳥居元忠(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五三九-一六〇〇戦国・安土桃山時代の武将。天文八年(一五三九)生まれ。鳥居忠吉の子で、徳川家康が今川氏の人質となったとき駿府に随従し,のち,家康の三河統一、遠江経略の戦に従軍する。元亀三年(一五七二)の三方原の戦で負傷して跛になったという。天正十年
榊原康政(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五四八-一六〇六安土桃山時代の武将。徳川家康の四天王の一人で、武功派の中心的存在で勇名を大いに喧伝された功臣である。幼名小平太。式部大輔。天文十七年(一五四八)三河国上野に生まれる。長政の次子、母は道家氏の女。榊原氏は、先祖が伊勢国壱志郡榊原に住居
井上靖(日本近代文学大事典・日本大百科全書)
既存小説家。北海道上川郡旭川町で生れたが、旭川は父の勤務地で、郷里は静岡県田方郡上狩野かみかの村大字湯ケ島字久保田。父隼雄はやおは同村門野原の旧家石渡いしわた家の出で、母八重は井上文次の長女。井上家は七代ほど前の明和(1764~1771)のころ
良寛(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
?-一八三一江戸時代後期の越後の禅僧。幼名栄蔵、のちに文孝。字を曲という。薙髪して良寛と称し大愚と号した。越後国三島郡出雲崎町で宝暦八年(一七五八)に生まれたとされるが、宝暦七年生誕説もある。家は出雲崎町の名主を務めていた橘屋山本氏で、慶長三年
駅伝競走(日本大百科全書・世界大百科事典)
道路上を走る長距離のリレー競走。距離、区間、人数にとくに規定はないが、一般的には5~10区間、1人が走る距離は5~20キロメートルとなっている。各走者は自分の区間を走ったあと、たすきを次走者に渡す。たすきはかならず肩からわきの下に掛け、渡すときは投げ
浮世風呂(国史大辞典・日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
式亭三馬の滑稽本。角書きに「諢話(おどけばなし)」とある。四編九冊。北川美丸・歌川国直画。文化六年(一八〇九)―十年刊。前・四編が「男湯之巻」、二・三編、「女湯之巻」という構成で浴客の会話を中心に銭湯の情景をありありと写し出している。銭湯は町人の
花粉症(日本大百科全書・世界大百科事典)
花粉に対するアレルギー反応により、アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎が引き起こされる現象。おもな症状は、鼻ではくしゃみ、鼻水(鼻漏)、鼻づまり(鼻閉)、眼(め)ではかゆみである。花粉が鼻腔(びくう)粘膜、結膜に付着することにより発症するため、原因と
三味線(新版 歌舞伎事典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
日本の絃楽器。〈さみせん〉ともいい、三絃(弦)ともいう。【伝来】祖型は中国の三絃で、およそ永禄の頃(16世紀後半)に南方から渡来したと考えられている。その後次第に改良が加えられ、慶長初年ごろ歌舞伎、人形浄瑠璃と結びついて発達した。【発達】まず比較的
日本舞踊(日本大百科全書・世界大百科事典)
邦舞ともよび、西洋舞踊(洋舞)と大別される。広義には、舞楽(ぶがく)、能(のう)、歌舞伎(かぶき)舞踊(古典舞踊)、新舞踊、創作舞踊、民俗舞踊(郷土舞踊)などをいう。狭義には、これらのうち一般的によく知られている歌舞伎舞踊をいうことが多い。「舞踊」と
かぐや姫(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・日本国語大辞典)
『竹取物語』の主人公。「光り輝く姫」の意。物語本文には「(名を)なよ竹のかぐや姫とつけつ」とある。「竹取の翁」と呼ばれる老人が、山中で竹の中に身長三寸ほどの少女がいるのを見つけて連れ帰り、籠に入れて育てた。三月ほどで少女は成人し、その美しさに多くの
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