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日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ一覧

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鳥浜貝塚(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
福井県三方上中郡若狭町鳥浜にある縄文時代前期から草創期にかけての貝層を伴う低湿地遺跡。1962年(昭和37)から10年間にわたり、若狭考古学研究会のメンバーを中心に発掘が行われ、多大の成果を収めた。また、自然科学の各分野の研究者が参加協力し、共同研究の実をあげた。
長谷寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良県桜井市初瀬にある寺。真言宗豊山派総本山。豊山神楽院長谷寺と号する。初瀬寺とも書かれ、豊山寺、長谷観音とも称する。本尊は十一面観音。西国三十三所第8番札所。686年(朱鳥1)弘福寺(川原寺)の道明上人が天武天皇の病気平癒祈願のため、法華説相図銅板(千仏多宝塔を鋳出)
新古今和歌集(日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
新古今和歌集序(仮名序)〔一〕和歌は、昔、天地が開け始めて、人の営みがまだ定らなかった時、日本の歌として、稲田姫の住んでいた素鵞の里から伝わっているということである。そうした時以来、和歌の道が盛んに興り、その流れは今日まで絶えることがなくて、恋愛に熱中したり
禅林寺(永観堂)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
京都市左京区永観堂町にある。浄土宗西山禅林寺派の総本山。山号は聖衆来迎山。一般に永観堂と呼ばれている。空海の高弟真紹が仁寿三年(八五三)藤原関雄の山荘を買い大日如来などの五像を安置し、貞観五年(八六三)定額寺に預かり、禅林寺の名を
談山神社(日本歴史地名大系・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
[現]桜井市大字多武峰 多武峯の御破裂山南腹に鎮座。藤原鎌足を祀る旧別格官幣社。鎌足の冠位にちなんで大織冠社・多武峯社ともいい、江戸時代までは多武峯寺と一体のものであった。多武峯寺の中核である妙楽寺と聖霊院の対立を防ぐために
ラクトン(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
環内にエステル基-COO-をもつ複素環式化合物の総称。環の大きさにより、4員環のβ(ベータ)-ラクトン、5員環のγ(ガンマ)-ラクトン、6員環のδ(デルタ)-ラクトン、……に分類される。β-、γ-ラクトン、……は、それぞれβ-、γ-ヒドロキシカルボン酸の環状エステルの構造をもつ
吏読(文字)(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
朝鮮で国字ハングルの創案(1443)以前に発達した漢字による朝鮮語の表記法のこと。吏道,吏吐,吏書などとも書く。広義には,漢字の音や訓を利用して行った朝鮮語表記の総称としても用いられ,三国時代の固有名詞や官職名の表記を含めていうこともあるが,狭義では,郷札,口訣
上代特殊仮名遣い(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
7、8世紀の日本語文献には、後世にない仮名の使い分けがあり、それは発音の違いに基づくというもの。キケコソトノヒヘミメモヨロおよびその濁音ギゲゴゾドビベの万葉仮名は、それぞれ二つのグループ(橋本進吉の命名により甲類、乙類とよんでいる)に分類でき、グループ間で
太夫(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
ある種の芸能人、神職、遊女などの称号または敬称。大夫とも書く。元来は中国の官制に倣った官位の一種で、五位の称である。古代に、五位の者が儀式およびそれに伴う芸能をつかさどったことから、転じて、神事芸能を奉仕する神職や芸能人の称となった。神事舞太夫、猿楽の太夫
久米舞(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
宮廷儀式に用いる国風歌舞の一つ。その起源は、早く王権に服属した古代の久米一族の風俗歌舞にあるといわれる。のちにこの久米集団は大伴連のもとで来目部(久米部)を形成し、主として戦闘に携わったが、その勇猛さは『日本書紀』と『古事記』神武天皇の条にみえる一連の来目歌
謡物(国史大辞典・日本大百科全書)
歌謡のうち、語りを主とする語り物に対し、特に旋律の豊かな韻文的なものをさす。歌うという根源的な行為によって成立するものとして和歌以降の詩歌の源泉をなすとともに、時代・環境を問わず存在し、内容上も田舎歌・都会歌、労作歌・遊宴歌、宗教歌・世俗歌、民謡・芸謡と多彩で
林邑楽(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
インド系の舞楽。天平八年(七三六)、波羅門僧菩提僊那、林邑僧仏哲によって伝えられたという。ただし仏哲については実在を否定する説がある。初見は『続日本紀』天平宝字七年(七六三)正月条で、唐楽・吐(度)羅楽・隼人舞の歌舞などとともになされたとみえるが
燕楽(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
中国で酒宴の席で奏せられた音楽。儀式の際に奏せられる雅楽に対して、俗楽と称せられ、雅楽が古法を守るのに対して、新しい流行や西域からはいった胡楽(こがく)も取り入れて行なった。*周礼‐春官・鐘師「凡祭祀饗食、奏
択捉島(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
千島列島中、最大の島で国後島の北東、得撫島の南西に位置する。面積は三一三九平方キロ。寛永二十年(一六四三)オランダ船によって発見され、スターテン=ラントと名付けられた。わが国には本島東部の蝦夷を通じて古くから知られていたが、直接交渉を持ったのは享保十六年(一七三一)
対馬(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
長崎県北部、対馬海峡の東水道と西水道との間にある島。西海道一一か国の一つ。対馬海峡東水道を隔てて壱岐に、対馬海峡西水道を隔てて朝鮮半島に対する。早くから大陸との交通・軍事上の要地として開け、天智天皇三年(六六四)には防人(さきもり)と烽(とぶひ)が置かれた。
淡路島(日本歴史地名大系・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
瀬戸内海の東部に浮ぶ瀬戸内海最大の島。北は明石海峡、東は紀淡海峡によって本州と分たれ、西は鳴門海峡によって四国と分たれている。面積は約五九一平方キロ、本州・北海道・九州・四国および択捉島・国後島を除けば、沖縄島・佐渡島・奄美大島・対馬
水鏡(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
歴史物語。三巻三冊。鎌倉時代初期の成立か。作者は中山忠親かといわれるが、ほかに源雅頼をあてる説もある。ただし、雅頼説は注目を集めたものの反論も出ている。内容は、神武天皇より仁明天皇までの歴史を語るが、妄誕の記事がはなはだ多く、信頼できない話題が随所にあり
古来風躰抄(日本大百科全書(ニッポニカ))
藤原俊成の歌論書。俊成84歳の1197年(建久8)に式子内親王の依頼で初撰本、1201年(建仁1)に再撰本が書かれた。上巻は和歌本質論、和歌史論などの論述と『万葉集』抄出歌191首からなり、下巻は『古今集』から『千載集』に至る勅撰集抄出歌395首と若干の歌評とからなる。
無名草子(日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典)
〔一〕この世に生をうけて以来の八十三年間の年月が、ただ無為に過ぎてしまうことを思うと、大変悲しく、たまたま人間として生れてきた思い出に、死後の形見にするほどのこともなくて生涯が終ってしまいそうな悲しさに、髪を剃り、衣を墨染にして、どうにか姿ばかりは
近代秀歌(歌論書)(国史大辞典・日本国語大辞典・日本大百科全書・日本古典文学全集)
藤原定家著。承元三年(一二〇九)源実朝に送ったと思われる歌論書。最も原形に近い島原松平文庫本(一)およびその系統の流布本(二)と自筆本がある。まず紀貫之以後の和歌史を概観して、新古今歌風が反貫之・六歌仙歌風の復興であること、および今後の目標は「寛平以往(前)」
方丈記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉時代の随筆。著者鴨長明。一巻。広本と略本三種とがあり、広本の奥に、建暦二年(一二一二)三月末桑門の蓮胤(長明の法号)が外山(京都市伏見区日野の法界寺の南)の庵で執筆したとある。広本には、大福光寺本(重要文化財)などの古本系と嵯峨本などの流布本系の諸本があり
無名抄(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉初期の歌論書。一巻。鴨長明作。1211年(建暦1)以後まもなくの成立か。和歌詠作上の注意や技法、あるいは歌、歌論、歌人にまつわる説話など、長短約80の章を収める。藤原俊成、源俊頼、源頼政ら歌人たちの話の多くは、他書ではみられない興味深いものが多い。
金槐和歌集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉幕府第3代将軍源実朝の家集。「鎌倉右大臣家集」ともいう。「金槐」の「金」は「鎌倉」の「鎌」の偏、「槐」は「槐門」(大臣の位)の略で、鎌倉右大臣とよばれた実朝の家集を意味するといわれる。伝本は、藤原定家筆で、末尾に「建暦三年(1213)十二月十八日」
古事談(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉初期の説話集。王道后宮、臣節、僧行、勇士、神社仏寺、亭宅諸道の6巻からなる。源顕兼編で、編者の没年(1215)直前の成立か。称徳女帝の淫事、花山帝の出家の真相、在原業平と伊勢斎宮との密通事件とその事後処理など、貴族社会や政治にまつわる秘話や裏面話の数々があからさまに
発心集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
中世の仏教説話集。鴨長明の編著。流布本は八巻八冊、異本は五巻五冊である。長明が説話の蒐集に取りかかったのは、出家して、大原の別所にいたころからであろうが、成立の年次は明らかでない。おそらく『方丈記』の書かれた建暦二年(一二一二)よりは後であろう。流布本は百二話
保元物語(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
軍記物語の一つ。『保元記』ともいう。『平治物語』『平家物語』『承久記』とあわせ、四部合戦状とも呼ばれた。作者としては、葉室(藤原)時長(『醍醐雑抄』『参考保元物語』)、中原師梁(『参考保元物語』)、源瑜(『旅宿問答』(『続群書類従』雑部所収)、ただし『安斎随筆』
平治物語(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
軍記物語の一つ。『平治記』ともいう。『保元物語』『平家物語』『承久記』とあわせ四部合戦状(四部之合戦書)とも称される。作者としては、『保元物語』と同じく、葉室(藤原)時長(『醍醐雑抄』、『参考平治物語』凡例)、源瑜僧正(『旅宿問答』(『続群書類従』雑部所収)
建春門院中納言日記(たまきはる)(日本国語大辞典・日本大百科全書)
鎌倉前期の日記。一冊。建春門院中納言(藤原俊成の娘で定家の同腹の姉。八条院中納言、健御前とも)の著。建保七年(一二一九)成立。作者が老後に女房としてすごした時代を回想して記したもの。建春門院への追慕の情などを淡々と語る
西郷隆盛(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八二七 - 七七 明治維新の指導的政治家。文政十年(一八二七)十二月七日鹿児島城下加治屋町で、父吉兵衛隆盛・母マサの長男として生まれた。諱は隆永。維新後は隆盛と改めた。幼名小吉、のち吉之介・善兵衛・吉兵衛・吉之助と称し、号は止水、のち南洲とした。家格は城下士の下級の
大山綱良(大山格之助)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八二五 - 七七 幕末・維新期の薩摩国鹿児島藩士。初代鹿児島県令。通称は格之助、角右衛門ともいう。文政八年(一八二五)十一月六日、鹿児島藩士樺山善之進の次子として鹿児島に生まれ、のち大山四郎助の養子となった。家禄百三十六石。
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