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倭の五王(日本大百科全書・世界大百科事典)
中国史料にその名が伝えられた5世紀の5人の倭国王。『宋書(そうじょ)』と『南史』では讃(さん)・珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ)、『梁書(りょうしょ)』では賛・彌・済・興・武と記す。しかし、讃と賛は音通、珍と彌も一見文字の違いは大きいが
ヒトラー(日本大百科全書・世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典)
ドイツの政治家。第三帝国の総統兼首相、ナチスの指導者。[村瀬興雄]▲青壮年期オーストリア・ハンガリー帝国の税関吏の子として4月20日ブラウナウ(現オーストリア)に生まれる。若くして両親を失い、ウィーンで画家になろうとして失敗し、同市の公営施設を定宿と
北条五代記(国史大辞典・世界大百科事典)
小田原北条氏にかかわる記事を集録した文献。十巻。著者は北条氏の家臣であった三浦茂正(法名浄心)。その序文に『慶長見聞集』の著者三浦茂正の旧友であった某が、同書の中から小田原北条氏に関する記事を選び出して十冊にまとめ、『北条五代記』と名付けたと記して
応仁記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
応仁・文明の乱を題材とした室町時代の戦記文学。著者は明らかでないが、成立の時期は応仁・文明の乱の直後、それも文明五年(一四七三)からさほど時間を経ないころの作と考えられる。内容は三巻からなっているが、各巻とも何々事という見出しを付したいくつかの話に
文官分限令・文官懲戒令(日本大百科全書)
1899年(明治32)3月に第二次山県有朋(やまがたありとも)内閣の手で公布された、一般文官の身分および職分の保障に関する規定と、懲戒に関する規定。前者では、官吏の身分保障、免官、休職、降任、休職中の俸給、復職などについての原則が規定され、官吏の身分
文久永宝(国史大辞典・世界大百科事典)
文久三年(一八六三)から慶応三年(一八六七)までの間(「旧貨幣表」では文久二年―慶応元年)、江戸深川の銀座と浅草金座で鋳造された銅銭。文久銭ともいう。一枚を以て並銭四枚にあてて通用させるという通用開始の触書は文久三年二月に出されている。直径は八分七厘
近世説美少年録(日本古典文学全集・世界大百科事典・日本大百科全書)
大将であった菊池武政の嫡子肥後守武朝の残党の、菊池肥後太郎武俊と呼ばれる者が、亡くなった武朝に縁のある者を集めて、肥後国阿蘇郡の阿蘇山の古城に立て籠り、近郷や隣郡を襲撃して、もっぱら猛威を振るう実情を、九州の守護大伴親春・太宰少弐らが上京させた急使が
菅原道真(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
平安前期の律令(りつりょう)官人。政治家、文人、学者として名が高い。是善(これよし)の子で母は伴(とも)氏。本名は三、幼名を阿呼(あこ)といい、後世菅公(かんこう)と尊称された。従(じゅ)二位右大臣に至る。承和(じょうわ)12年6月25日、父祖三代の
二・二六事件(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
陸軍皇道派青年将校によるクーデター事件。1936年(昭和11)2月26日早暁、歩兵第一・第三連隊、近衛(このえ)歩兵第三連隊など約1500人の在京部隊が、首相・蔵相官邸、警視庁はじめ、政府首脳や重臣の官・私邸、朝日新聞社などを襲撃した。指揮にあたった
鶴岡八幡宮(国史大辞典・日本歴史地名大系)
神奈川県鎌倉市雪ノ下に鎮座。旧国幣中社。源氏の氏神であり、鎌倉の町の中心として存在してきた社で、明治の神仏分離までは鶴岡八幡新宮若宮(いまみやわかみや)・鶴岡八幡宮寺とも称した。大分県の宇佐、京都府の石清水(いわしみず)両宮とともに全国の八幡宮を代表
藤原秀衡(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
古代末期東北の武将。清衡(きよひら)の孫、基衡(もとひら)の子。鎮守府将軍。陸奥守(むつのかみ)に任ぜられて、平泉(ひらいずみ)政権を北方の独立王国の地位に高めるとともに、平氏、源氏と並ぶ第三の政治勢力として評価されるまで権威あるものにした
三浦義澄(日本大百科全書・国史大辞典)
鎌倉初期の武将。義明(よしあき)の子。幼名荒次郎。三浦介(すけ)。相模(さがみ)国守護。1180年(治承4)畠山重忠(はたけやましげただ)・河越重頼(かわごえしげより)・江戸重長らに攻められて本拠地三浦の衣笠(きぬがさ)城(神奈川県横須賀市)が落城し
三善康信(日本大百科全書・世界大百科事典)
鎌倉幕府初代問注所執事(もんちゅうじょしつじ)。法名善信(ぜんしん)。三善氏は明法(みょうぼう)・算道(さんどう)をもって朝廷に仕える中流貴族であったが、母が源頼朝(よりとも)の乳母(めのと)の妹であった関係で、伊豆に配流されていた頼朝に京都の情報を
比企能員(日本大百科全書・世界大百科事典)
鎌倉時代初期の武将。能員の養母比企尼は源頼朝(よりとも)の乳母(うば)であり、頼朝が伊豆に配流されると武蔵(むさし)国比企郡(埼玉県比企郡・入間郡)に移り住み、なにかと頼朝のめんどうをみた。その関係から能員も早くから頼朝に仕え、平氏打倒、奥州征伐にも
アレクサンドロス(日本大百科全書・岩波 世界人名大辞典・デジタル版 集英社世界文学大事典)
マケドニア王(在位前336~前323)。「大王」(マグヌスMagnus)とよばれたのは、ローマ共和政末期の軍人や政治家が彼らの業績の大きさをアレクサンドロスのそれに対比させたことに始まる。父はフィリッポス2世、母はマケドニアの西エペイロスの王族の娘
古代オリエント文明(日本大百科全書)
紀元前3200年ごろから紀元前4世紀後半のアレクサンドロス大王による統一まで、およそ3000年間、西アジア、エジプトに栄えた世界最古の文明。[高橋正男]▲古代オリエント学の誕生現在のイラン、イラク、シリア、トルコ、レバノン、ヨルダン、イスラエル
伴天連追放令(世界大百科事典)
キリシタン宣教師の国外追放を規定した法令のこと。(1)1587年(天正15)豊臣秀吉が九州平定後,筑前筥崎(はこざき)で発令した6月19日付け〈定〉5ヵ条。要旨は,日本は神国・仏教国であり,邪法キリスト教が説かれることは不適当であるから,宣教師は
大友宗麟(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五三〇-八七戦国時代の武将。豊後・筑後・肥後・筑前・豊前・肥前六ヵ国守護。享禄三年(一五三〇)生まる。大友氏二十代義鑑の長子。幼名塩法師丸、のち五郎また新太郎。左衛門督、従四位下。諱は義鎮(よししげ)。入道宗麟・円斎・三非斎。キリスト教名
江華島事件(国史大辞典・世界大百科事典)
明治八年(一八七五)九月二十日、日本軍艦雲揚号が朝鮮国江華島付近に侵入し、同島砲台と交戦して、砲台を破壊し、永宗島を占領した事件。雲揚号事件ともいう。明治初年以来、朝鮮が日本の国書を従来の形式と相違することを理由に受理しなかったため、国交回復は懸案と
岩倉使節団(日本大百科全書・世界大百科事典)
1871年(明治4)11月から1873年9月にかけて、約1年10か月、米欧12か国を歴訪した、出発時46名よりなる使節団。特命全権大使は右大臣岩倉具視(いわくらともみ)で、副使は参議木戸孝允(きどたかよし)、大蔵卿(おおくらきょう)大久保利通
古事記伝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
『古事記』の注釈書。著者、本居宣長。四十四巻、附巻一。出版開始、寛政二年(一七九〇)、完了、文政五年(一八二二)。本居宣長は賀茂真淵に面会(宝暦十三年(一七六三))したのち、『古事記』を解読、注釈することの意志をかため、真淵に入門し、『万葉集』の訓読
飛鳥美術(日本大百科全書・世界大百科事典)
日本に仏教が伝来した6世紀の中ごろから、645年の大化改新までの約1世紀間にわたり、大和(やまと)(奈良県)の飛鳥地方に開花した美術。百済(くだら)の聖明王が仏像、経典などをわが朝廷に献じたのが538年(宣化(せんか)天皇3)あるいは552年(欽明
寺院建築(国史大辞典・世界大百科事典)
仏教寺院に属する建築。ただし寺院内にあっても、鎮守とその付属建物は神社建築として扱い、書院・客殿などの居住用建物は住宅史で取り上げている。しかし、居住用建物でも、僧房・庫裏など仏教寺院独特のものは含む。仏教は六世紀の中ごろ伝来し、大陸の建築様式を伝え
神社建築(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
神社の社殿およびその付属建築。古代人は、神霊のよる神聖な場所を神籬(ひもろぎ)として崇(あが)め、また祖先の霊を祀(まつ)るために、伝来の宝物を御霊代(みたましろ)として崇めた。したがって、神籬のある場所、御霊代を祀る場所が、その神の社地として定着し
仏教建築(日本大百科全書)
仏教に関する祭祀(さいし)、信仰、布教などのために建てられた建築。紀元前5~前4世紀の仏教勃興(ぼっこう)当初は、礼拝(らいはい)対象とする仏像も、それを納める仏堂もなかった。宗教施設としての構築物がみられるのはブッダ(仏陀)の没後(前486ないし
ライチョウ(日本大百科全書・世界大百科事典)
広義には鳥綱キジ目キジ科ライチョウ亜科に属する鳥の総称で、狭義にはそのうちの一種をさす。この亜科Tetraoninaeは7属16種からなる。短く頑丈な嘴(くちばし)と、先が丸い短い翼をもつ。尾は長くない。キジ目のほかの鳥とは、とくに足に違いがあり
とりべ野(栄花物語)(日本古典文学全集)
〔一〕こうして八月ごろになると、皇后宮(定子)は、ただなんとなく心細いお気持になられて、明け暮れ御涙に濡れて、おいたわしいご様子でお過しになる。荻の葉を鳴らす風も萩の下枝に置く露もいちだんと御心にとまるような御有様でお過しあそばすにつけても
あて宮(うつほ物語)(日本古典文学全集)
〔一〕さて、あて宮が東宮に入内なさることは、十月五日と決定した。求婚なさっていた人々は、これを聞いてうろたえなさることこのうえない。そのなかにも、源宰相と御兄の侍従は、すっかり落胆して、ただもう死にそうだと心を惑わしいらだって
藤原の君(うつほ物語)(日本古典文学全集)
〔一〕昔、藤原の君と申しあげる一世の源氏がおいでになった。幼少の時から評判のお方で、容貌や心がまえ、才覚などすべてにほかの人よりも優れ、学問の道にも熱心に励んで、音楽の方面にも習熟しておられた。当時、この君を知る人は、「やはり賢明なお方だ
日中戦争(世界大百科事典)
1937年(昭和12)から45年までおもに中国大陸で戦われた日本と中国との全面戦争で,太平洋戦争が起こるとその一環となった。その結果,明治以来の日本の植民地帝国が崩壊したばかりでなく,東アジアの情勢も大きな変革をとげた。前史日本は1931年以来武力に
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