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東京タワー(日本大百科全書・世界大百科事典)
東京都港区のほぼ中央、芝公園(旧、増上寺(ぞうじょうじ)境内の一部)内にある総合電波塔。正式名称は日本電波塔。テレビ塔が林立するのを防ぐため、内藤多仲(たちゅう)(1886―1970)の設計で1958年(昭和33)12月に完成した。敷地2118平方
日露戦争(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
1904年(明治37)2月より翌1905年9月まで、日本とロシアが朝鮮と南満州(中国東北)の支配をめぐって戦った戦争。日本は12万の戦死、廃疾者を出し戦費15億円を費やした。[藤村道生]▲国際的背景三国干渉後、列強の中国分割が進行するなかで、アメリカ
日清戦争(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
1894年(明治27)の夏から翌年春にかけて、主として朝鮮の支配をめぐって戦われた日本と清国(中国)との戦争。中国では、1894年の干支(えと)から、甲午(こうご)中日戦争という。[中塚明]▲戦争前の日本と朝鮮・清国との関係日本では明治政府成立の直後
渋沢栄一伝記資料(国史大辞典)
財団法人竜門社の編纂・刊行による渋沢栄一の伝記資料。竜門社では、栄一の死後、嫡孫で相続人だった渋沢敬三の意見により伝記の執筆と伝記資料の蒐集編纂とを分けて行う方針をとり、伝記の執筆を幸田露伴に、伝記資料の蒐集編纂を幸田成友に依頼した。こうしてまず
徳川慶喜公伝 1(東洋文庫)
幕末・維新期の通史として最高水準にあるといわれる本書は,財界の大御所渋沢栄一が旧主の汚名をそそぐため明治26年に企画したもの。以後25年におよぶ歳月を費やして完成された。第1巻は,慶喜の誕生と幼児期について記す第1章から,安政の大獄にともなう隠居
昔夢会筆記 徳川慶喜公回想談(東洋文庫)
最後の将軍徳川慶喜は,毀誉褒貶にかこまれてその実体が捉えがたい。本書は私家版として25部だけひそかに刷られ,以後公刊されることのなかった稀覯本。読書人垂涎の書である。1966年10月刊【閲覧画面サンプル】【目次】表紙(扉)徳川慶喜公伝自序第一半弓と
与謝蕪村(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一七一六-八三江戸時代中期の俳人・画家。本姓谷口氏。与謝氏(「よざ」とも)を称するのは丹後からの帰洛後。俳号ははじめ宰町・宰鳥、蕪村号は寛保四年(延享元、一七四四)の『歳旦帖』から。代表的画号は宝暦十年(一七六〇)ころから謝長庚・謝春星、安永七年
一茶(日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸時代の文化・文政期(1804~30)に活躍した俳諧師(はいかいし)。本名は小林弥太郎。北信濃(きたしなの)の柏原(かしわばら)(北国(ほっこく)街道の宿場町。長野県信濃町)に生まれる。15歳(数え年)で江戸に出たが、晩年は生地に帰住した。父の
真珠湾攻撃(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
1941年(昭和16)12月8日午前3時20分(現地時間7日午前7時50分)、日本海軍の機動部隊が、ハワイのオアフ島真珠湾にあるアメリカ太平洋艦隊の基地に加えた奇襲攻撃。攻撃時に、日本側は交渉打ち切りの最後通告をアメリカ側に手交してもおらず、そのため
事始(国史大辞典)
(一)御事始・事八日ともいう。十二月八日(上方は十三日)に煤払(すすはらい)をして正月の準備を始めること。また二月八日に農事を始めることをもいう。月日に異同があり、十二月十三日を事始(『日次紀事』)、十三日(江戸城)または八日(江戸府中)を事納
煤払い(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
正月を迎えるにあたって、家の内外を清掃する年中行事。いろりで薪(たきぎ)を燃す生活では、煤のたまることが多かった。近来は実用的な大掃除(おおそうじ)の意味で、正月飾りの直前にあたる12月25日前後にする家が多いが、もとは年神(としがみ)祭りのための
日本三代実録(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典・国史大辞典)
50巻。六国史(りっこくし)の一つ。『文徳(もんとく)実録』に続く勅撰(ちょくせん)の歴史書。清和(せいわ)(在位858~876)、陽成(ようぜい)(在位876~884)、光孝(こうこう)(在位884~887)三天皇の時代30年を収めた編年体の実録。
日本文徳天皇実録(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典・国史大辞典)
『文徳実録』ともいう。勅撰(ちょくせん)の歴史書。10巻。六国史(りっこくし)の一つ。850年(嘉祥3)より858年(天安2)まで文徳天皇(在位850~858)一代の歴史の編年体の実録。藤原基経(もとつね)らが、871年(貞観13)に、清和(せいわ)
先代旧事本紀(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
平安初期に編纂(へんさん)されたと推定される歴史書。本書の序には、620年(推古天皇28)聖徳太子、蘇我馬子(そがのうまこ)らの撰録(せんろく)するところと記すが、『古事記』『日本書紀』『古語拾遺(しゅうい)』などからの引用があるので、本書は807年
黒本・青本(世界大百科事典)
江戸で刊行された初期草双紙の一類。赤本に次いで現れ,体裁もほぼ踏襲している。中本型5丁が定型で毎丁に挿絵,その余白に平仮名本文を記す。上下または上中下,まれに5~10冊で1編を構成する。黒本は黒色表紙,青本はおそらく萌黄色退色の藁色表紙で,意匠の
赤本(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
江戸中期の草双紙(くさぞうし)の一種。幼童向けの絵本で、表紙が丹色(にいろ)(赤)のためこの名がある。寛文(かんぶん)末年(1670ころ)より、江戸で正月に出版され、享保(きょうほう)(1716~1736)ごろより、大半紙半切の中本型、5丁
奈良絵本(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
御伽草子(おとぎぞうし)、舞(まい)の本(幸若(こうわか)舞)などに彩色の挿絵を入れた古写本。奈良絵本は興福寺などの絵仏師が注文や売品としてつくったものであるといわれるが、その名称は明治中期ころにつけられたもので、江戸時代には単に古写本、かき本などと
謡本(日本大百科全書・世界大百科事典・狂言事典)
能の台本に謡曲稽古(けいこ)用の譜をつけたもの。能として上演されるときの狂言方が担当する部分は省略されるのが普通であり、またワキ方の分担する部分も、シテ方の流儀の台本で統一されているので、実際の能の上演脚本とはいいがたい。15世紀ごろの世阿弥
群書治要(日本大百科全書・世界大百科事典)
中国、唐朝の太宗の勅命で魏徴(ぎちょう)ら学識ある高官たちが編纂(へんさん)した50巻の書。631年に成る。経書をはじめ正史や諸子の書六十数種から、為政者の参考となる箇条を抜き出してまとめたもの。中国では早く散逸したが、日本に伝わったものが皇室や武家
孔子家語(日本大百科全書)
孔子の言行、逸話を集録した書。略して『家語』ともいう。『漢書(かんじょ)』芸文志(げいもんし)の六芸(りくげい)略論語類には、撰者(せんじゃ)不明の『孔子家語』27巻が記載されている。原書はつとに亡失したようで、10巻44編からなる現行本は、三国魏
キリシタン版(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
九州三侯(大友、有馬、大村)による天正(てんしょう)遣欧使節の舶載した西洋印刷機および同種機を用いて、日本イエズス会が1591年(天正19)ごろから約20年間に、おもに九州の各地で印刷した図書・出版物(加津佐版、天草版、長崎版など)をいう。またその前
大和国(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
五畿内(きない)の一部。近畿地方の中央やや南寄り、現在の奈良県全体を含む地域の旧名。古代には奈良盆地内のみを意味し、吉野、宇智(うち)、宇陀(うだ)、東山中(ひがしさんちゅう)は、その後に繰り込まれたが、この地が大和政権発生の本源地であることから
法華経義疏(国史大辞典)
鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』二十七品を註釈したもの。四巻。聖徳太子撰。太子親筆とされるものが御物(ぎょぶつ)となっている。太子三経義疏の一つで、成立は義疏中もっとも遅い推古天皇二十二年(六一四)から翌年にかけての太子四十一歳から四十二歳のころとみられて
紫式部日記(日本古典文学全集)
〔一〕秋の色合いが、あたり一帯に立ちそめるにつれて、ここ土御門のお邸のたたずまいは、言いようもなく風情がある。池の岸辺の木々の梢や、遣水の汀の草むらなど、とりどり一面に色づいて、空一帯の様子も夕映え美
(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
黒石と白石を持った2人の対局者が盤上に交互に石を置き、囲った地の大小を争う室内ゲーム。一方または双方が複数で合議する相談碁、相談なしにグループに分かれて行う連碁、男女のペア2組が組み、4人で交互に打ち合うペア囲碁などもある。7、8歳以下から80歳以上
将棋(日本大百科全書・世界大百科事典)
将棋盤を挟み2人の競技者(対局者)がルールに基づいて勝ち負けを競う室内遊戯の一つ。相手の玉(ぎょく)(王)を早く擒(とりこ)(詰める)にしたものを勝ちとする。日本以外にもチェス(西洋将棋)、中国象棋(しょうぎ)、朝鮮将棋など各国に将棋がある。
三島由紀夫(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
小説家。本名平岡公威(きみたけ)。父梓(あずさ)と母倭文重(しずえ)の長男として大正14年1月14日東京四谷(現新宿区)に生まれる。満年齢が昭和の年数と一致するという点にも時代との関係がみられる。1931年(昭和6)学習院初等科に入り、高等科まで学習
中浜万次郎(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八二八-九八江戸時代後期の漂流民、幕臣、英学者。ジョン万次郎とも称す。文政十一年(一八二八、あるいは文政十年)土佐国幡多郡中ノ浜(高知県土佐清水市中浜)の漁師悦助の次男に生まれる。天保十二年(一八四一)正月五日西浜の伝蔵ら四人と近海の漁に出て暴風の
オランダ正月(日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸時代、長崎出島(でじま)のオランダ商館では、在留オランダ人が故国の生活様式と習慣に従い、太陽暦の1月1日に新年の祝宴を開いていた。この日、長崎奉行所の役人、町年寄、出島乙名(おとな)、オランダ通詞ら日ごろオランダ商館に関係の深い日本人が招かれた。
尾高惇忠(国史大辞典)
一八三〇-一九〇一明治時代前期の殖産興業推進者の一人。幼名新五郎、字は子行、藍香と号す。天保元年(一八三〇)七月二十七日、武蔵国榛沢郡手計村(埼玉県深谷市)の名主尾高保孝の子として生まれた。母は同郡血洗島村渋沢宗助の娘。農耕と藍玉商売のかたわら剣術と
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