国史大辞典のサンプルページ一覧
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光明天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
一三二一 - 八〇 一三三六―四八北朝在位。元亨元年(一三二一)十二月二十三日後伏見天皇の皇子として誕生。母は西園寺公衡の女広義門院藤原寧子である。翌二年二月親王宣下あり、豊仁(とよひと)と命名。建武三年(延元元、一三三六)六月
光厳天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一三一三 - 六四 一三三一―三三在位。正和二年(一三一三)七月九日、持明院統の後伏見天皇の第一皇子として一条内経の一条邸で生誕。母は前左大臣西園寺公衡の女寧子(のちの広義門院)。名は量仁。大覚寺統の後醍醐天皇の皇太子には、同統の邦良親王
長慶天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
一三四三 - 九四 一三六八―八三在位。南朝第三代の天皇。名寛成。後村上天皇の皇子。興国四年(北朝康永二、一三四三)生まれる。母は嘉喜門院と考定される。晩年出家して覚理と号したらしく、同天皇の称号長慶院は禅宗寺院の一坊たる長慶院に
後村上天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
一三二八 - 六八 一三三九―六八?在位。南朝第二代の天皇。後醍醐天皇の第七皇子。母は阿野公廉の女新待賢門院廉子。諱は義良(のりよし)、のちに憲良(のりよし)。嘉暦三年(一三二八)に生まれる。元弘三年(一三三三)後醍醐天皇が鎌倉幕府を
後醍醐天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
一二八八 - 一三三九 一三一八―三九在位。正応元年(一二八八)十一月二日後宇多天皇の第二皇子として誕生。母は藤原忠継の女談天門院忠子。諱は尊治。延慶元年(一三〇八)九月十九日、持明院統の花園天皇の皇太子となり、文保二年(一三一八)
花園天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
一二九七 - 一三四八 一三〇八―一八在位。伏見天皇の第四皇子(一説に第二皇子)。母は左大臣洞院(とういん)実雄の女、顕親門院季子。名は富仁。永仁五年(一二九七)七月二十五日誕生。正安三年(一三〇一)八月十五日、着袴の儀があり、同日親王宣下
後宇多天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一二六七 - 一三二四 一二七四―八七在位。名は世仁。文永四年(一二六七)十二月一日、亀山天皇の第二皇子として土御門殿で誕生。母は左大臣藤原実雄の女の皇后佶子(京極院)。翌五年六月親王宣下、八月立太子。当時院政を行なっていた後嵯峨上皇が
亀山天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
正嘉二年(一二五八)八月、兄後深草天皇の東宮にたつ、時に十歳。正元元年(一二五九)八月二十八日、十一歳で元服。同年十一月二十六日、父母のはからいで践祚、同十二月二十八日、即位。皇子世仁親王も文永五年(一二六八)二歳で東宮となる
後深草天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
寛元元年(一二四三)六月十日今出川殿で生まれ、二十八日久仁と命名、親王に立てられた。同四年正月四歳で践祚、父の後嵯峨上皇が院政を行なった。康元元年(一二五六)十一月母の妹公子(東二条院)が入内、翌正嘉元年(一二五七)正月中宮となった
後嵯峨天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一二二〇 - 七二一二四二―四六在位。名は邦仁。承久二年(一二二〇)二月二十六日誕生。土御門天皇の第三皇子。母は参議源通宗の女で典侍の通子(贈皇太后)。翌三年の承久の乱の結果、父の土御門上皇が土佐(のち阿波)に流されて以後は母の叔父の
四条天皇(国史大辞典・日本人名大辞典)
一二三一 - 四二 一二三二―四二在位。諱は秀仁(みつひと)。寛喜三年(一二三一)二月十二日一条室町亭で誕生。後堀河天皇の第一皇子。母は藻壁門院藤原子(九条道家の娘)。同年四月十一日親王、十月二十八日皇太子となる
仲恭天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一二一八-三四 一二二一在位。順徳天皇の皇子。母は九条良経女の立子(のち東一条院)。諱は懐成(かねなり)。建保六年(一二一八)十月十日に生誕し、間もなく翌月二十六日に立太子。順徳天皇が後鳥羽上皇(順徳父)の討幕計画に熱心に関わり譲位したため
順徳天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
一一九七-一二四二 一二一〇―二一在位。諱は守成(もりなり)。後鳥羽天皇の第二(または第三)皇子として建久八年(一一九七)九月十日卯刻に生誕した。生母は、従三位式部少輔藤原範季を父とする重子(のち修明門院)、乳母は又従兄弟
土御門天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一一九五-一二三一 一一九八―一二一〇在位。諱は為仁。後鳥羽天皇の第一皇子。母は内大臣源通親女の在子(のち承明門院)、実は法印能円の女ともいう。建久六年(一一九五)十一月一日(または十二月二日)生まれる。同九年正月十一日、四歳で践祚
後鳥羽天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
一一八〇-一二三九 一一八三―九八在位。高倉天皇の第四皇子。母は修理大夫坊門信隆の娘殖子(七条院)。治承四年(一一八〇)七月十四日、五条町の亭に生まれた。この年五月には平氏打倒の兵を挙げた以仁王が敗死し、六月には遷都があって祖父後白河法皇
安徳天皇(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
一一七八-八五 一一八〇―八五在位。治承二年(一一七八)十一月十二日高倉天皇の第一皇子として誕生。母は平清盛の女の中宮平徳子(のちの建礼門院)。諱は言仁。十二月八日親王宣下をうけ、十二月十五日皇太子となる。時に生後一ヵ月余
高倉天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
一一六一-八一 一一六八―八〇在位。後白河天皇の第四皇子。諱は憲仁。母は贈左大臣平時信の女建春門院滋子。応保元年(一一六一)九月三日生誕。永万元年(一一六五)十二月親王宣下、翌仁安元年(一一六六)十月立太子。同三年二月十九日六条天皇
二条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一一四三-六五 一一五八―六五在位。後白河天皇の第一子。諱は守仁。母は大炊御門経実の女贈皇太后懿子。康治二年(一一四三)六月十七日生まれる。鳥羽天皇の皇后美福門院得子に養育され、仁和寺覚性法親王の弟子となったが、久寿二年(一一五五)
後白河天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
一一二七-九二 一一五五―五八在位。大治二年(一一二七)九月十一日、三条殿で誕生。鳥羽上皇第四皇子。母は権大納言藤原公実の娘、待賢門院璋子。同年十一月雅仁と命名、親王宣下。近衛天皇の死去に伴い、久寿二年(一一五五)七月二十四日
近衛天皇(国史大辞典・日本人名大辞典)
一一三九-五五 一一四一―五五在位。諱は体仁(なりひと)。保延五年(一一三九)五月十八日、鳥羽上皇の皇子として誕生。母は権中納言藤原長実の女得子(美福門院)。同年七月親王となり、八月早くも皇太弟に立つ。永治元年(一一四一)十二月
崇徳天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
一一一九-六四 一一二三―四一在位。諱は顕仁。元永二年(一一一九)五月二十八日、鳥羽天皇の第一皇子として誕生。母は藤原公実の女、皇后璋子(待賢門院)。保安四年(一一二三)正月二十八日、曾祖父白河法皇の意向により、父天皇の禅りを受け五歳で践祚し
鳥羽天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
一一〇三-五六 一一〇七―二三在位。堀河天皇の第一皇子。母は大納言藤原実季の女、贈皇太后苡子である。康和五年(一一〇三)正月十六日、左少弁藤原顕隆の五条邸に誕生、その年六月親王宣下あり、宗仁と命名され、八月には早くも皇太子に立った
堀河天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一〇七九-一一〇七 一〇八六―一一〇七在位。白河天皇の第二皇子。母は関白藤原師実の養女、皇后賢子(実父は右大臣源顕房)。承暦三年(一〇七九)七月九日誕生。同年十一月親王宣下あり、善仁と命名。応徳三年(一〇八六)十一月二十六日立太子
白河天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一〇五三-一一二九 一〇七二―八六在位。諱は貞仁。天喜元年(一〇五三)六月十九日、皇太子尊仁親王(後三条天皇)の第一王子として誕生。母は権中納言藤原公成の女、贈皇太后茂子である。茂子の養父で、関白藤原頼通の異母弟である春宮大夫能信の庇護のもとに成長し
後三条天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
一〇三四-七三 一〇六八―七二在位。諱は尊仁(たかひと)。長元七年(一〇三四)七月十八日、東宮敦良親王(後朱雀天皇)の第二王子として誕生。母は三条天皇の皇女禎子内親王(陽明門院)。同九年父親王の践祚後間もなく親王宣下をうけ
後冷泉天皇(国史大辞典・日本人名大辞典)
一〇二五-六八 一〇四五―六八在位。万寿二年(一〇二五)八月三日、東宮敦良親王(後朱雀天皇)の第一王子として誕生。母は藤原道長の女嬉子。諱は親仁。長元九年(一〇三六)十二月二十二日、親王宣下。長暦元年(一〇三七)七月二日、十三歳で元服
後一条天皇(国史大辞典・日本人名大辞典)
一〇〇八-三六 一〇一六―三六在位。寛弘五年(一〇〇八)九月十一日一条天皇の第二皇子として誕生。母は藤原道長の女彰子。諱は敦成。同年十月十六日親王宣下。同八年六月十三日三条天皇の皇太子となる。時に四歳。長和五年(一〇一六)正月二十九日九歳で受禅
三条天皇(国史大辞典・世界大百科事典)
一〇一一―一六在位。貞元元年(九七六)正月三日、冷泉天皇の第二皇子として誕生。母は藤原兼家の女超子。諱は居貞。天元元年(九七八)十一月二十日、親王宣下。寛和二年(九八六)七月十六日、十一歳で兼家の南院第において元服。同日、立太子
花山天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
九八四―八六在位。諱は師貞(もろさだ)。出家ののち入覚と号した。冷泉天皇の第一皇子、母は太政大臣(一条摂政)藤原伊尹の女の女御懐子。安和元年(九六八)十月二十六日誕生、同二年八月十三日立太子、永観二年(九八四)八月二十七日叔父円融天皇
朱雀天皇(国史大辞典)
九三〇―四六在位。延長元年(九二三)七月二十四日、醍醐天皇第十一皇子として誕生。母は藤原基経の女皇后穏子。諱は寛明。延長三年に三歳で皇太子となり、同八年九月二十二日八歳で受禅。在位中藤原忠平が摂政・関白として執政する。穏子の偏愛の中で育ち