改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧
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「国史大辞典」「日本古典文学全集」「日本国語大辞典」「世界大百科事典」「日本大百科全書」など80種類以上の辞書・事典をパソコン、タブレット、スマートフォンで利用できます。
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大嘗祭(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
おおにえのまつり,践祚(せんそ)大嘗祭,大嘗会(だいじようえ)などともいう。古代から続く天皇即位の儀式。天子が年毎の稲の初穂を,皇祖神に供えて共食する祭りを新嘗祭(にいなめさい)といい,それとほぼ同じ内容を,天子一代に一度の大祭として行うのが大嘗祭で

十訓抄(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉時代の説話集。〈じっくんしょう〉とも。のちに出家して智眼(ちげん)と名のり,六波羅二﨟左衛門(ろくはらにろうさえもん)入道とも呼ばれた湯浅宗業(むねなり)が,まだ京都六波羅に仕えていたころに執筆したもの,と推測されている。1252年(建長4)

古今著聞集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の説話集。橘成季(たちばなのなりすえ)編。1254年(建長6)成立。20巻。序において,編者みずから本書を《宇治大納言物語》《江談抄》を継承するものとして位置づけ,〈実録(正統の歴史)〉を補おうとする意気ごみを述べている。跋(ばつ)には,詩歌

釈日本紀(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代に書かれた《日本書紀》の注釈書。著者は卜部(うらべ)兼方(懐賢)。28巻。略して《釈紀》とも。著作年代は未詳だが,兼方の父兼文が1274-75年(文永11-建治1)ころ前関白一条実経に講義したときの説にもとづいており,また1301年(正安3)

弁内侍日記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉時代の日記。《後深草院弁内侍家集》ともいう。著者は中務大輔藤原信実の娘(実名不詳)で,肖像画の名手藤原隆信の孫に当たる。後深草天皇に皇太子時代から仕えた。日記の期間は1246年(寛元4)の後深草天皇即位から52年(建長4)ころまで,内容は200首

十六夜日記(国史大辞典・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉時代の紀行・日記。1巻。著者は藤原為家の側室阿仏尼(あぶつに)。為家没後,実子為相(ためすけ)と為家の嫡子為氏との間に播磨国細川荘をめぐる相続争いが起こり,その訴訟のため弘安2年(1279)阿仏尼が鎌倉へ旅立った際の日記。内容は,旅の動機を述べた

沙石集(世界大百科事典・日本古典文学全集)
説話集。無住編。10巻。1279年(弘安2)に起筆し,83年に脱稿したが,その後も編者自身の手で数次にわたる加筆補訂が施された。序文によると,狂言綺語(きようげんきご)も仏果菩提の縁とする平安時代以来の伝統的文学観に立ち,卑近な世俗的話題を通して深遠

一言芳談(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉後期の仏教書。念仏行者の信仰を伝える法語153条を集めたもので,無常の認識と現世の否定に徹すべきことを説くその思想と,簡潔なかなまじりの文章から,中世の仮名法語を代表する書とされている。敬仏,法然,明禅ら30余人の法語を収め,《徒然草》に引用され

玉葉和歌集(世界大百科事典)
〈二十一代集〉中第14番目の勅撰和歌集。20巻。伏見院の院宣により1312年(正和1)に京極為兼が撰進。《玉葉集》と略称。後の《風雅和歌集》とともに,京極派の歌風を中心とする勅撰集として,《新古今集》以降の勅撰集のなかで異彩を放っている。当時の歌壇に

元亨釈書(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代末の日本仏教史の書。30巻。虎関師錬著。師錬は初期の五山文学を代表する詩僧で,東福寺,南禅寺などの住持をつとめた。1307年(徳治2),29歳の年に,来日した一山一寧に参禅した際,中国の事のみくわしく,自国の事に無知であることをとがめられた。

神皇正統記(国史大辞典・世界大百科事典)
南北朝時代に北畠親房が著した歴史書。3巻。神代から後村上天皇即位までの歴史を,簡潔で力強いかなまじり文で叙述し,広く読まれた。摂関家藤原氏につぐ門地を誇る村上源氏の一門に生まれた親房は,後醍醐天皇に仕えた後,いったん出家の身となったが,建武新政の下で

尊卑分脈(国史大辞典・世界大百科事典)
諸家の系図を集成したもので,姓氏家系を調べるのには欠くことのできない重要な史料である。洞院公定(とういんきんさだ)(1340-99)著。内題には《新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集》とあるが,普通《尊卑分脈》の名で呼ばれ,また《大系図》とも称される。公

寛永諸家系図伝(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
寛永年間(1624-44)に江戸幕府が編修した系譜集。仮名本・真名本各186冊。清和源氏・藤原氏・平氏・諸氏の4類,および医者・同朋・茶道に分け収録。1641年2月7日に太田資宗が諸家の系図を編修し差し上ぐべき旨の上意をうけ,同人が総裁,林羅山・鵞峰

寛政重修諸家譜(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
寛政年間(1789-1801)に江戸幕府が編修した系譜集。1530冊。1812年(文化9)完成。《寛永諸家系図伝》の続集を編修する意図のもとに着手されたが,途中より改訂編修に切り替えられ,1799年に官制を整え,総裁堀田正敦以下を任命し編修を開始,1

ややこ踊(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
出雲のお国が歌舞伎踊を創始する以前に演じていた芸能。1581年(天正9)ごろから文献に残されている。はじめは幼い少女2人の踊りであったので,その幼さを強調して〈ややこ〉(赤ん坊)踊と呼ばれたのが,やがてお国一座の芸能の通称となったものと思われる。実体

かぶき者(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
江戸時代前期,江戸その他の都市を舞台に反体制的行動を展開した武士,奉公人などを指す。〈かぶき(傾き)〉という言葉はかたよった異様な風俗や行動をいう。歌舞伎の源流である〈かぶき踊〉と同じ時代相を背景として発生し,ともに異端的なものとして受け取られていた

下座音楽(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞伎の演出に,効果,修飾,背景,伴奏音楽として,原則として舞台下手の板囲いをし上部の窓に黒いすだれをさげた〈黒御簾(くろみす)〉で演奏される歌舞伎囃子の通称。〈黒御簾音楽〉〈陰囃子〉(略して〈黒御簾〉〈陰〉とも)などの別称がある。ただし〈陰囃子〉は

鳥獣人物戯画(鳥獣戯画 、鳥獣人物戯画巻)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
京都市高山寺に伝わる4巻一組の白描絵巻で,人物の戯画も含み《鳥獣人物戯画》ともいわれる。鳥羽僧正筆として名高いが,各巻ごとに内容や画風を異にし,それに従って制作時期も12世紀中ごろのものから13世紀中ごろまで相前後することから,同一シリーズとはみなし

歌舞伎(世界大百科事典)
歌舞伎は,舞楽,能,狂言,人形浄瑠璃などとともに日本の代表的な古典演劇であり,人形浄瑠璃と同じく江戸時代に庶民の芸能として誕生し,育てられて,現代もなお興行素材としての価値を持っている。明治以後,江戸時代に作られた作品は古典となり,演技・演出が

炬燵(こたつ)(日本国語大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
炉の上に櫓(やぐら)をかけ布団で覆って暖を採る設備。炬燵,火燵,火闥,火榻などと書くが,日本での造語である。掘りごたつと置きごたつとあり,掘りごたつは囲炉裏から,置きごたつは火鉢から発達している。掘りごたつのほうが古く,室町時代に出現した。最初は,囲

イエス・キリスト(世界大百科事典・世界人名大辞典・日本国語大辞典)
一般にキリストはイエスの別名のように考えられている。実際,新約聖書の中でもパウロの手紙などではキリストとイエスとが区別されていない場合もあるし,古代ローマの歴史家たち(タキトゥスやスエトニウスなど)は,多くの場合キリストを固有名詞と思っていた。しかし

プロテスタンティズム(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
16世紀の宗教改革にはじまり,そこから発展・分化したキリスト教の一群を包括する名称。ローマ・カトリック教会,東方正教会とならぶ,キリスト教の三つの大きな流れの一つ。〈プロテスタント主義〉とも訳される。日本で慣用されている訳語〈新教〉は正しくない。プロ

愚管抄(国史大辞典・世界大百科事典)
鎌倉時代初頭の歴史書。7巻。慈円著。《愚管抄》は内容からみて3部に分けることができる。第1部は〈皇帝年代記〉と題される部分で,巻一,二がそれに当たり,神武から後堀河までの歴代天皇の摘要と,治世の主要な事項を列挙する形をとっている。それに対して,第2部

承久記(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
承久の乱の顚末を描いた軍記物。2巻。作者不明。成立年代は一般に鎌倉末期~南北朝初期と推定されている。もっとも現存諸本中の最古態本または祖本,さらには別系統本ともいわれる慈光寺本《承久記》については,乱後,鎌倉中期の成立とする説が有力。内容は,後鳥羽院

閑居友(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の説話集。慶政上人(けいせいしようにん)著。上下2巻,全32話。慶政上人(1189-1268)は1217年(建保5)渡宋し,帰国後,京都西山に法華山寺を創建している。本書は,入宋前に編述していたが,帰国後,さる高貴の女性の求めに応じて最終的に

建礼門院右京大夫集(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
私家集。鎌倉初期の成立。2巻。総歌数350余首。作者は能書の家として名高い世尊寺家に生まれ,高倉天皇の中宮平徳子(のちの建礼門院)に仕えた建礼門院右京大夫(生没年不詳)。父は藤原伊行(これゆき),母は箏の名手夕霧。歌集といっても平重盛の次男資盛(すけ

新勅撰和歌集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の歌集。勅撰和歌集の第9番目。藤原定家撰。20巻。歌数1374首。1232年(貞永1)に後堀河天皇の勅により編纂に着手したが,上皇の他界を悲しみ稿本を焼却したり,再度の作業過程中にも,対幕府関係をおもんばかる関白道家・教実父子の意向により10

小倉百人一首(国史大辞典・世界大百科事典)
鎌倉初期成立の歌集でもっとも親しまれてきた〈百人一首〉。藤原定家撰。1235年(嘉禎1)成立か。古代から平安時代を経て鎌倉時代初期までの有力歌人100人を選び,それぞれの和歌1首を掲げたもの。歌はすべて《古今集》以下の勅撰集を典拠としている

正法眼蔵随聞記(国史大辞典・日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典)
道元が嘉禎年間(1235-38),日常その門下に語った修行の心がまえを,弟子の懐奘(えじよう)(1198-1280)が克明に記録したもの。6冊の書冊にまとめられたのは懐奘没後のことである。嘉禎1年は,道元が京都郊外の深草に興聖寺を建立して2年目にあた

今物語(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の説話集。1冊。藤原信実(1176?-1266ころ)編。成立年時は未詳であるが,作中に延応1年(1239)の年紀が見えることから,それ以後,信実の晩年にかけての著述であろう。書名の由来は,言い古された昔物語に対して,当世の新しい話題を集めたこ