岩波 世界人名大辞典のサンプルページ一覧
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ロダン(日本大百科全書・世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典)
フランスの彫刻家.パリの素描・数学学校(のちの国立装飾美術学校)でボワボードラン(HoraceLecoqdeBoisbaudran1802~97)に学び,J.C.カザン,ダルー等と交友.20歳の頃から彫刻家の助手や建築装飾彫刻の下働きなど徒弟的修業を

ガリレイ(Galileo Galilei)(岩波 世界人名大辞典・デジタル版 集英社世界文学大事典・世界大百科事典・日本大百科全書)
イタリアの物理学者,天文学者.ピサに生まれる.ピサ[1589]およびパドヴァ[92-1616]の各大学数学教授.ピサの聖堂の吊灯を見て振子の等時性を発見した[1583].ピサの斜塔で落体の実験を行い,アリストテレスの自然学の誤りを正し,近代的力学成立

ジャンヌ・ダルク(日本大百科全書・世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典)
フランスの愛国少女,聖女.ロレーヌとシャンパーニュの間の小村ドンレミの貧しい農家に生まれ,幼時から篤信で,13歳の時から大天使ミカエル,聖マルガレタ(Margareta†307頃)などの声を聞き,フランスをイギリス軍から解放しようとして故郷を去る

始皇帝(世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典・日本大百科全書)
中国の皇帝[前221/10].秦の荘襄王の子.秦は嬴(えい)姓の国で,始皇帝を〈嬴政〉と称するのは,姓と氏の区別がつかなくなった漢代以後の呼び方.〈趙政〉と称するのは,始皇帝が秦王の子ではなく,趙出身の娘が呂不韋(りょふい)の子をやどしたという説話に

孔子(国史大辞典・岩波 世界人名大辞典・世界大百科事典)
中国春秋時代の思想家.祖先は宋の人.父叔梁紇(しゅくりょうこつ)は魯の大夫で,陬(現,山東曲阜)を管轄していた.孔子はその次子で,陬の闕里で誕生.幼時に父を失い,貧しく身分も低かったが,古典や礼楽の勉強に努め,名声が上がり,少なからぬ門人を得た

釈迦(世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典・国史大辞典)
仏教の開祖.生没年代は東西の学者により種々論議され,異論が多く確定しがたいが,いずれもアショーカ王の即位年を基準にしている.まとまった純粋の歴史的記録はほとんど知りえず,多くは神話,伝説である.シャカ(śakya)族の出身者で父スッドーダナ

プーチン(岩波 世界人名大辞典)
ロシアの政治家.レニングラード生まれ.祖父はレーニン家など要人の料理人を務めた.レニングラード大学法学部卒業[1975].国家保安委員会(KGB)職員として東ドイツのドレスデンに勤務[80-].その後,サンクトペテルブルク市で大学の恩師ソプチャーク市

ヒトラー(日本大百科全書・世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典)
ヒトラー Hitler, Adolf 1889.4.20~1945.4.30 ナチス・ドイツの指導者.オーストリアのブラウナウの税関吏の家に生まれ,画家を志してウィーンに出るが美術学校入学に失敗.定職に就かず,遺族年金と自作の絵を売った金で暮らし,後に兵役を逃れてドイツのミュンヘンに移った

アレクサンドロス(日本大百科全書・岩波 世界人名大辞典・デジタル版 集英社世界文学大事典)
マケドニア王[前336/23].東方遠征によりペルシアを征服して大帝国を建設した.フィリッポス2世とオリュンピアスの子.少年時代にアリストテレスに師事し,ギリシア文化を深く身につける.父王の暗殺を受けて即位し[前336],王国内外の反乱を鎮圧して

サン・テグジュペリ(集英社世界文学大事典・岩波 世界人名大辞典・世界大百科事典)
フランスの小説家,飛行士.北西アフリカ,南大西洋,南米航空路の開拓者,夜間飛行の先駆者の一人.この時期の体験を書いた《南方郵便機▼:Courrier sud, 1928》,アンデス山脈やパタゴニアの自然とたたかう郵便事業の夜間飛行士たちの尊厳に満ちた

王羲之(日本大百科全書・世界文学大事典・世界人名大辞典)
中国東晋の政治家,書人.瑯琊臨沂(現,山東臨沂)の人.生没年については諸説がある.303 [太安2]~61 [升平5],306 [光熙1]~64 [興寧2],321 [太興4]~79 [太元4].ここでは魯一同《王右軍年譜》の説によった

エリザベス1世(世界人名大辞典・世界大百科事典)
イングランドおよびアイルランド女王 [1558/1603].ヘンリー8世とアン・ブーリンの娘としてロンドンに生まれ,議会の承認を得た父の遺言により,異母弟エドワード6世および異母姉メアリ1世につぐイングランド(およびアイルランド)王位継承者となる

カトリーヌ・ド・メディシス(世界人名大辞典・世界大百科事典)
フランス王アンリ2世の王妃.フィレンツェのメディチ家のロレンツォ・ディ・メディチ(Lorenzo de' M. 1492~1519)の娘.フランソワ2世,シャルル9世,アンリ3世の母.不幸な結婚生活 [1533-59]を送り,夫王の死後は政治的野心

カルバン(世界文学大事典・世界人名大辞典)
スイス(フランス生まれ)の宗教改革者.ノワヨンに生まれる.コヴァン(Cauvin)の姓をラテン化,さらにフランス化してカルヴァンと称した.トゥールーズ,オルレアンで法律を学び,パリ大学で神学を研究した.〈突然の回心conversio subita〉

パッラディオ(世界人名大辞典・日本大百科全書)
イタリアの建築家.パドヴァに生まれる.ヴィチェンツァで人文主義者トリッシノに出会い,ウィトルウィウスをはじめ古代ローマ建築の研究を始める.田園の別荘住宅に古代建築の要素を持ち込んだ.円柱,アーチ,ペディメントを自在に重ね構成されるスタイルは

スレイマン1世(世界大百科事典・世界人名大辞典・日本大百科全書)
オスマン帝国の第10代の君主 [1520/66].父セリム1世の唯一の男子だったとみられる.即位後しばらくは,若いスルタンの即位を好機とする内外勢力の動きで情勢が混乱するが,シリアでの反乱を鎮圧,さらにベオグラード [1521],ロドス島

ミケランジェロ(世界大百科事典・日本大百科全書・世界人名大辞典)
イタリアの彫刻家,画家,建築家,詩人.カプレーゼでフィレンツェの古い市民の子として生まれる.13歳でフィレンツェのギルランダイオの工房に入るが1年ほどでやめ,メディチ家のロレンツォ(Lorenzo de' Medici 1449~92)の庇護を受け

コペルニクス(世界大百科事典・世界人名大辞典)
ポーランドの天文学者.トルンに生まれ,クラカウ大学で医学を学び,ボローニャ,ローマ,パドヴァ,フェラーラに留学して神学,天文学を修めた [1496-1504].フラウエンブルクの聖堂で働き,ハイルスベルクで医者の仕事をする [06-12]

レオナルド・ダ・ビンチ(世界大百科事典・世界人名大辞典・世界文学大事典)
Leonardo(Lionardo) da Vinci1452.4.15~1519.5.2イタリアの画家,彫刻家,建築家,自然科学者,工学技術者.エンポリ近郊のヴィンチに公証人の庶子として生まれる.13歳の頃フィレンツェに出 [1465],ヴェロッキオの工房に入門

キング(世界大百科事典・世界人名大辞典)
アメリカの黒人解放運動家.ジョージア州アトランタにバプテスト派牧師の子として生まれる.クローザー神学校卒業 [1951].ボストン大学大学院在学中にスコット(Coretta Scott 1927~2006)と結婚 [53],神学博士号取得 [55]

リンカーン(世界大百科事典・世界人名大辞典)
アメリカ合衆国第16代大統領 [1861/65].ケンタッキー州ハーディンの貧しい大工兼農夫の家に生まれる.インディアナに移る [1816].学校教育は生涯を通して1カ年に満たなかったが,継母の指導と読書により独学した.イリノイのメーコンに移り

チャーチル(日本大百科全書・世界大百科事典・世界人名大辞典)
イギリスの政治家.R.H.S.チャーチルの長男.母はニューヨークの金融業者の娘.ハロー校に進み [1888],2度の入試失敗を経て陸軍士官学校に入学 [93].卒業して騎兵士官となり [95],インドで勤務 [96-99].一時スーダンでマフディー

コロンブス(世界大百科事典・世界人名大辞典)
イタリアの航海者,アメリカ〈発見〉者.無名時代の経歴は不詳の点が多く,生年を含め異説がある.父(Domenico Colombo)はジェノヴァの毛織物業者.船乗りとなり,リスボンに住みつき [1476],アイスランド,アイルランド,マデイラ諸島などへ

イブン・ハルドゥーン(世界大百科事典・世界人名大辞典・世界文学大事典)
アラブの歴史家,思想家.チュニスの有力名家に生まれるが,祖先はアラビア半島の出身.イスラーム諸学を学び,マグリブやイベリア半島の諸王朝に仕え,波乱に富んだ政治生活を送った.失意のうちに政治から隠退 [1375],歴史的事件の原因と真理を追究するための

金正恩(世界人名大辞典)
1984.1.8~北朝鮮の政治家.金正日(キムジョンイル)の3男.生年は1983年説もある.北朝鮮で生まれ,スイスの公立学校に在学しドイツ語などを学んだ [96-2000].帰国後,金日成総合大学を経て,金日成軍事総合大学特設班で砲術を学んだ [02-07]とされる

イブン・バットゥータ(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1304.2.24~68・9(77)アラブの大旅行家.モロッコのタンジール生まれ.21歳の時にマッカ(メッカ)巡礼に出立 [1325],エジプトに入り,アラビア半島,イラク,イラン,シリア,アナトリア,東アフリカ,南ロシア,コンスタンティノポリスを歴訪

ダンテ(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1265.5.21(-6.21)~1321.9.13(14)イタリアの詩人,哲学者.フィレンツェに生まれる.若い頃から詩人カヴァルカンティやチーノ・ダ・ピストイアらと交友があり,ラティーニに師事して修辞学を学ぶ.この頃イタリア語での詩作を始め,いくつかは《詩集:Rime》に収められている

マルコ・ポーロ(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1254~1324.1.8ヴェネツィアの商人,東洋旅行家.父(Niccolo P.)および叔父(Matteo P.)は,クリミア半島からキプチャク・ハン国に至ったが,戦乱のため帰路を閉ざされてさらに東方に向かい,モンゴル帝国の首都ドロンノール(上都開平府)においてクビライに拝謁した

トマス・アクィナス(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1225(-27)~74.3.7イタリアの盛期スコラ学最大の神学者,哲学者,聖人.アクィーノ伯家に生まれる.モンテ・カッシーノおよびナポリで教育をうけ,ドミニコ会に入った [1244].パリおよびケルンに赴き,主としてパリに滞在して [45-59],アルベルトゥス・マグヌスに師事

クビライ(世界人名大辞典・国史大辞典)
尊号:セチェン・カーンSečen Qaγan 諡号:聖徳神功文武皇帝 廟号:世祖〔漢〕忽必烈1215.9.23~94.2.18[世祖至元31.1.22]モンゴル帝国の第5代カーン(元朝皇帝) [1260/94].トルイの4男,チンギス・カンの孫,生母はソルカクタニ・ベキ.モンケがカーンに即位すると