日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第100回
「子供」と書くか「子ども」と書くか?

 「常用漢字表」は一般の社会生活で使われる漢字の目安を示したものである。ところが、あくまでも筆者の好みなのだが、使うのにいささか抵抗を感じる漢字がないわけではない。たとえば「子供」という表記がそれである。 
 「常用漢字表」では「供」の訓「とも」の例欄に「供、子供」が掲げられていて、公用文などでも何ら問題なく使えることになっている。にもかかわらず、つい「子ども」と書きたくなってしまうのだ。どうしても、「供」が当て字のような感じがしてならないからである。
 「子ども」は元来は親に対する「子」の意味で、複数を表す語であった。たとえば、『万葉集』に見える山上憶良の有名な歌、「瓜(うり)はめば 胡藤母(コドモ)思ほゆ 栗(くり)はめば ましてしぬはゆ」(巻5・802)の「こども」は一人っ子ではない。それというのも、「ども」は複数を表す接尾語だからである。ところが「常用漢字表」に載せられた漢字「供」にはそもそも複数を表す意味はない。
 さらに「供」には「社長のお供をする」などと使われるように、人につかえるといった意味もある。そのため、考えすぎかもしれないが大人に従属する存在というニュアンスすら感じさせてしまうのである。そういったこともあって教育現場などでは「子ども」と書く人がけっこう多いらしい。また、新聞などでも「子供」「子ども」両用の表記を認めているのが現状である。さらに五月五日の祝日は、「国民の祝日に関する法律」での表記に従って「こどもの日」と書かれる。国語辞典でも「子供」「子ども」の両用の表記を示しているものが多い。
 別に「常用漢字表」に盾突こうというわけではないが、何でも漢字で書かなければいけないなどと、あまり杓子(しゃくし)定規に考えなくてもいいのかもしれない。

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