日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第506回
「雑草」という草はないが、「雑草」はある

 「雑草という草はない」は、植物学者・牧野富太郎のことばとして知られている。牧野は、NHKの朝ドラ「らんまん」の主人公槙野万太郎のモデルである。
 この牧野のことばは、これまで牧野が語ったものだという確実な根拠は見つかっていなかったらしい。
 その根拠になる史料が、ついに見つかったようだ。1年ほど前の高知新聞の記事(「『雑草という草はない』は牧野富太郎博士の言葉  戦前、山本周五郎に語る 田中学芸員(東京・記念庭園)が見解」2022年8月18日)でその詳細が報じられている。木村久邇典(くにのり)著『周五郎に生き方を学ぶ』(1995年、実業之日本社)にその根拠となる内容が記載されているというのだ。木村は山本周五郎の研究者として知られている。
 若かりし頃雑誌記者をしていた周五郎が牧野のもとに取材に行ったとき、周五郎が「雑草」ということばを口走ると、牧野はなじるような口調で「世の中に“雑草”という草はない。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている」と言ったのだそうだ。
 「雑草という草はない」ということばは、辞書にできるだけ草の名を載せたいと思っている辞書編集者としても、まさにその通りだと思う。
 ただ、辞書にかかわる者としては別のことも気になる。「雑草」という語は、いったいつ頃から使われていたのかということである。
 というのは、『日本国語大辞典(日国)』によれば、「雑草」の例は『和蘭字彙(おらんだじい)』(1855~58年)の「onkruid 雑草」という用例が一番古い。『和蘭字彙』は幕末に刊行された蘭日辞書である。長崎のオランダ商館長ドゥーフが編纂した『ドゥーフハルマ』を、蘭方医の桂川甫周(かつらがわほしゅう)らが編集して刊行したものである。オランダ語onkruid の訳語を「雑草」としているところから、「雑草」はそれ以前に使われていた語に違いないと私なりに推測していたのである。
 そこで調べてみると、『日国』第2版には載せられなかったが、『和蘭字彙』よりも50年ほど古い『本草綱目啓蒙(ほんぞうこうもくけいもう)』(1803~06年)で「雑草」の用例を見つけることができた。『本草綱目啓蒙』は小野蘭山(おのらんざん)述の本草書である。同書の巻17に「雑草」という小見出しがあり、いくつかの植物がそこに分類されている。「百草(ひゃくそう)」という語も見える。「百草」は、『日国』によればいろいろな草という意味である。
 ところが、現行よりも古い用例が見つかったので、『日国』の次の版では文句なしに採用できると喜び勇んでいたところ、いささか判断に迷う用例が他に見つかってしまった。ちょうど、『和蘭字彙』と『本草綱目啓蒙』の間となる、小西篤好(あつよし)著の『農業余話』(1828年)と、宮地簡著の『農家須知(のうかすち)』(1840年)の用例である。
 前者には「雑草」に「ザツグサ」、後者には「ざう(ママ)くさ」とふりがなが付けられている。「雑」という漢字は、ゾウ(ザフ)が呉音、ザツが慣用音である。この2つの例を見る限り、この時代「雑草」の読みは一定していなかったのかもしれない。しかも、呉音、慣用音の違いはあるが、「草」はいずれも「くさ(ぐさ)」と読んで重箱読みになっている。「雑草」を意味する語は、古くは単に「草」と言っていたようなので、そのためなのだろうか。「雑草」は「ザッソウ」以外に読めないだろうと思っていただけに、『農業余話』と『農家須知』の用例をどのように扱うべきなのか実に悩ましい。ふりがなのない『和蘭字彙』『本草綱目啓蒙』の用例は「ざっそう」と読みたいのだが、そうなると『農業余話』『農家須知』の用例はどうしたらいいのだろう。補注にすべきなのだろうか。
 なお、以下は蛇足である。かねがね、「害虫」という語はあるのに、なぜ「害草」という語はどの辞書にも載っていないのだろうかと不思議に思っていた。その「害草」の用例が、『農業余話』で見つかったのである。「雑草」の用例のすぐ近くにあった(上巻・苗代)。この「害草」は「ガイサウ」と読ませている。それはそれで、思いがけない収穫だった。

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