幼いころ、転んでひざ小僧をすりむいたときなどに、母親から「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの飛んで行け!」と言われた。すると、不思議なことになんとなく痛みが消えたものだ。
 ところが自分が親になって、子どもがけがをしたときに、「痛いの痛いの飛んで行け」とは言ったが、「ちちんぷいぷい」とは言わなくなった。
 「ちちんぷいぷい」とはいったい何だったのだろうか。
 『日本国語大辞典(日国)』を引いてみると、「ちちんぷいぷい」は、「『ちちんぷいぷい御世(ごよ)の御宝(おたから)』の略」とある。その後に「御世の御宝」などという言い方が続くとは知らなかった。そこで、「ちちんぷいぷい御世の御宝」を引いてみると、

 「幼児が転んだり、ぶつけたりして体を痛めたときに、痛む所をさすりながら、すかしなだめること。また、そのときに唱えることば。手品などを子どもに見せるときに呪文のように唱える場合にもいう」

と説明されている。
 そこに引用されている用例は、滑稽本『古朽木(ふるくちき)』(1780年)や洒落本の『五臓眼(ごぞうめがね)』(1789~1801年)で、この例から、少なくとも江戸時代中期にはこのように言っていたことがわかる。しかも、『日国』の解説にもあるように、この滑稽本と洒落本の例は、子どもをすかしなだめる場面ではなく、手品の呪文を思わせる例である。実際にそのような呪文を手品で唱えていたのだろうか。
 もう一例、江戸時代の太田全斎が編纂した国語辞書『俚言集覧(りげんしゅうらん)』(1797頃)の例を引用しているが、それには、

 「ちちんぷいぷい御代の御宝 小児を誘ふ児語」

とある。「ちちんぷいぷい」は同じ頃から、子どもに対しても使われていたことがわかる。
 では、なぜ「ちちんぷいぷい」なる言い方が生まれたのか。『日国』には「一説には、智仁武勇は御世の御宝の意ともいわれる」という説明がある。これは、子どものころ泣き虫だった徳川三代将軍家光を、乳母の春日局(かすがのつぼね)があやしたときに唱えたことばだという俗説もあるようだ。だが、真偽のほどはわからない。
 「智仁勇」なら、儒教で「三達徳(さんたっとく)」と呼ばれるもっとも基本的な三つの徳のことだが、儒教でいう「勇」は「武勇」とは違うので、「智仁武勇」とはどこからきたのだろうか。「武勇」は「ぷいぷい」と言わせるための、こじつけのような気がしないでもない。
 「ちちんぷいぷい」は、昔話にも使われている。「屁ひり爺」「竹切り爺」と呼ばれる話だが、地方によっては、爺さまが「ちちんぷいぷい」と唱えておならをする。手品の呪文と昔話とどちらが先かわからないが、何かをしてみせるときの呪文としては確かに愉快な響きがある。
 ちなみに「痛いの痛いの飛んで行け」は今でも使われるが、辞書では私が調べた限り『デジタル大辞泉』にしか載っていない。このおまじないは、実際に痛みを緩和させる効果のあることが医学的にも証明できるらしい。だとすると、辞書に載せてもいいような気がする。

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 あまりいいことばではないが、悪く人ずれがして、厚かましい女性を罵るときに使う「あばずれ」という語がある。
 「ずれ」は、「すれっからし」などの「すれ」だということはわかる。だが、「あば」は何なのだろうか。実はよくわからない、謎のことばなのである。
『日本国語大辞典(日国)』の「語源説」欄を見ると、以下の3つの語源説が紹介されている。

 (1)アバレ者から出た語〔両京俚言考〕。
 (2)オ場ズレの転か、または世話ズレの上略か〔大言海〕。
 (3)アバは中国語の、父母と同列以上にある血族関係の婦人をいう阿婆から。これに擦れからしのスレをつけたもの。または悪場ズレの略か〔すらんぐ=暉峻康隆〕。

 また、やはり『日国』では、次のような例が引用されている。

*楽屋図会拾遺〔1802〕下「あばつれ是は伊勢の方言にして、実は阿波蹉(あはすれ)なり。阿州の人勢州に至り逗留の内古市にあそび酒興のたわむれもよく人にすれたるをもって此里にて阿波蹉と呼しなり。あばずれとはあやまり也」

 『楽屋図会拾遺(がくやずえしゅうい)』は、大坂の浮世絵師松好斎半兵衛 (しょうこうさいはんべえ)が書いたもの。これによれば、「あばずれ」は伊勢国(三重県)の方言だというのだ。しかももともとは「阿波(あわ)すれ」で、阿波国(徳島県)の人が伊勢の歓楽街古市に来て、人に乱暴を働いたことを言った語だという。つまり「あば」は、「阿波」だというのだ。阿波国の人には聞き捨てならないだろうが、江戸時代にはそのような説もあったのかもしれない。
 その真偽は別として、『日国』では、さらに

 「『楽屋図会拾遺』の流行語の項に『あばつれ』があり、また、『大坂繁花風土記』の『今世はやる詞遣ひ』の一つに挙げられており、享和・文化期の流行語であることが分かる」(語誌欄)

と説明している。
 『楽屋図会拾遺』は享和2年(1802年)の刊行で、『大坂繁花風土記(おおざかはんかふどき)』は砭泉老人(へんせんろうじん)の著で文化11年(1814年)の序があるため、「享和・文化期の流行語」としたのだろう。だが、『日国』には江戸時代のものだが、享和以前の例も引用されているので、ことば自体は享和・文化期に生まれたわけではなさそうだ。
 「あば」は『すらんぐ』(暉峻康隆(てるおか・やすたか))が述べているように、「アバは中国語の、父母と同列以上にある血族関係の婦人をいう阿婆から」という気もしないではないが、漢字ではふつう「阿婆」と書くものの、どうやらこれは当て字らしい。また、『日国』には、「あばずれ」は「古くは男女ともにいった」とあり、確かに引用されている用例は、男について使っている例もあるので、女性と限定することはできないだろう。
 だとすると、『すらんぐ』がもう一つ挙げている「悪場ズレ」や、『大言海』のいう「オ場ズレ(「オ」はおそらく悪の意味だろう)」という説のほうが、可能性がある気がする。根拠はないのだが。

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 書きことばとしては使わないが、会話の中では多くの人が使っているはずのことばがある。「ええ(と)」「あの(う)」といったことばである。多くの場合、すぐに次のことばが出なくて考えているときや、次のことばへのつなぎとして、ことばの初めや中間にはさんで使われる。
 これらのことばは、「場つなぎ表現」などと呼ばれているが、国語辞典では感動詞として扱っている。
 このような「場つなぎ表現」は、たとえば同じ「ええ」と言うのでも、「え」と短く言ったり、「えーっ」と少し伸ばして言ったりと、使う人や、使う場面でさまざまだろう。
 一見必要のないことばのようだが、話しことばの中では、けっこう効果的に使われている気がする。よく、「えーっ、本日はお日柄もよく」と、人前で挨拶をするときに冒頭で言う人がいる。最初に「えーっ」と発声した方が、人に聞いてもらえそうな気がするから、実に不思議なことばだ。
 これらのことばを国語辞典に載せるかどうかは編集者の判断によるのだが、どの辞典もわりあい積極的に載せている気がする。ことば自体に意味がなくても、日本語の中でしっかりと機能しているという判断だと思う。
 たとえば、『日本国語大辞典(日国)』では、「え」「ええ」「ええと」「あのう」「そのう」といった語が立項されている。ほとんどが、次のことばがすぐ出ないときや、言いにくくてためらうとき、人に話しかけるときに発することばといった説明がなされている。
 興味深いのは、そこで引用されている用例である。

【え】「滑稽本・浮世床」「人情本・春色梅児誉美」「浮雲〈二葉亭四迷〉」
【ええ】「滑稽本・酩酊気質」「滑稽本・浮世床」「吾輩は猫である〈夏目漱石〉」
【ええと】「滑稽本・浮世床」「浮雲〈二葉亭四迷〉」「吾輩は猫である〈夏目漱石〉」
【あのう】「滑稽本・浮世風呂」「人情本・春色梅児誉美」「浮雲〈二葉亭四迷〉」
【そのう】「浮雲〈二葉亭四迷〉」

 語は違っても、引用されている例は、ほとんどが同じ作品ばかりなのだ。
【ええ】の『酩酊気質(なまえいかたぎ)』と『浮世風呂(うきよぶろ)』は、他の語の例と重複していないが、いずれも『浮世床』と同じ式亭三馬(しきていさんば)(1776~1822年)作の滑稽本である。
 用例を引用した作品が重複しているからといって、ことばの採取に手抜きをしたわけではない。これらの作品だけしか使用例がない、ということでもない。いずれも江戸時代の代表的な文学作品で、こうした滑稽諧謔を旨とする滑稽本や、江戸市民の恋愛や人情の葛藤を描いた人情本は、登場人物の会話がそのまま描かれていることが多いので、この「場つなぎ表現」が頻出しているということなのである。
 庶民の会話をこのように正確に写し取ったこれらの先品は、江戸時代後期に生まれたものだが、その時代の口語を知る上で、貴重な資料となる。そして、それから、私たちが使っている「場つなぎ表現」がこの時代にも使われていたことがわかるわけである(この時代に「場つなぎ表現」が生まれたという意味ではない。念のため)。
 そして明治以降の用例が、二葉亭四迷『浮雲』、夏目漱石『吾輩は猫である』というのも面白い。『浮雲』はご存じのように、言文一致体で描かれた、日本最初の本格的写実小説である。『吾輩は猫である』も苦沙弥先生の飼猫「吾輩」の眼を通して、その家や出入りする変人たちの言動をユーモラスな筆致で写し取り、批判、風刺した作品である。
 いずれの作品も、「場つなぎ表現」が効果的に使われている。
 このような表現は、使いすぎると話が幼稚に聞こえたり、たどたどしく感じられたりするが、適度に使いこなせば、逆に会話に自然に聞こえる効果がある気がする。

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 辞典には、ことわざだけを集めた「ことわざ辞典」と呼ばれるものがある。辞書編集者として私は、この「ことわざ辞典」を担当したことがない。別に避けていたわけではなく、機会がなかっただけである。
 それが最近になって、小学生向けのことわざ辞典に目を通す機会がたまたまあった。かつて勤務していた出版社の『例解学習ことわざ辞典』(第二版)という辞典である。第二版は2002年の刊行なので、刊行からすでに20年たっている。
 ことわざはある程度形が決まっているものなので、20年前のものでも、あまり変わりはないだろうと思って読み始めた。ところが、現在の感覚からするとどうなのだろうかと思うものがいくつかあった。
 たとえば、このコラムの第92回で書いた「蛇ににらまれた蛙」もそうだ。これは、「蛇に見込まれた蛙」が本来の言い方だが、近年は「蛇ににらまれた蛙」と言う人の方が多い。そのようなこともあって、私が担当した小学生向けの国語辞典『例解学習国語辞典』では、「蛇ににらまれた蛙」にしていると、そのコラムで書いた。
 『例解学習ことわざ辞典』では、本来の形の「蛇に見込まれた蛙」で立項されている。だが、もはや「蛇ににらまれた蛙」でいいのではないかと思った。
 そういう目で見ていくと、他にもある。
 「一銭(いっせん)を笑(わら)う者(もの)は一銭(いっせん)に泣(な)く」もそうだろう。本来の形は「一銭」だが、もはや「一円を笑う者は一円に泣く」がふつうだと思う。
 ここで、話が少しだけ脱線することをお許しいただきたい。この「一銭を笑う者は一銭に泣く」に関して、『故事俗信ことわざ大辞典』(小学館)におもしろい解説が載っている。

 「貯蓄奨励用に公募され、二等に選ばれた標語が定着したもの。ことわざとしては作者が明らかな珍しい例である。大正八年のこの標語は、逓信省為替貯金局の公式の標語として最も古いものという」

というのだ。少し補足をすると、これは大阪の朝田喜代松さんが作った標語で、二等になった標語は別にもう一つある。一等はというと、「貯金は誰も出来るご奉公」というものであった。いかにも時代を感じさせるが、これにくらべて「一銭を笑う者は一銭に泣く」は、「貯蓄奨励」という枠を超えた、秀逸で普遍的な標語だったと思う。これのみ後世に残った理由もうなずける。
 よく言われることだが、「早起きは三文の徳」ももはや「三文の得」でいいような気がする。漢語の原義でも、「徳」は「得」に通じると考えられるからである。「徳」とも書くという注記は必要かもしれないが。
 「読書百遍義自ずからあらわる」はどうだろう。このことわざには出典があって、中国の歴史書『魏志‐王粛伝』の注に引く「魏略」に拠っている。原文には「読書百徧而義自見」とあり、「読書百徧義自ずから見(あらわ)る」と訓読される。だが、これはふつう「意自ずから通ず」という形で通用しているのではないだろうか。
 ことわざ辞典も、見出し語は広く通用している形に変えていいのではないか。本来の形にこだわることも大事だが、ことわざも変わるものだということを、受け入れるべきなのではないかと思う。

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 「絆(きずな)」については、このコラムの第364回で一度書いたことがある。そこでは、「絆」と結合して使われることが多い動詞は、「深まる」「深める」か、あるいは「強まる」「強める」かということについて考察した。詳しくはそのコラムをお読みいただきたい。
 その中で、「絆」は、今でこそ人と人との断つことのできない結びつきの意味で使われているが、もともとは馬、犬、鷹(たか)などの動物をつなぎとめる綱のことだったとも書いた。
 たとえば、平安末期の歌謡集『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』には、次のような歌がある。

 「御厩(みまや)の隅(すみ)なる飼ひ猿は絆離れてさぞ遊ぶ」(353)

お馬小屋の隅にいる飼い猿は、綱を離れて(うれしそうに)遊んでいる、という意味で、これが「きずな」のもともとの意味である。この歌からも、「きずな」は古くはあまりいい意味の語ではなかったことがわかる。
 そして、つなぎとめるものということから、人と人とを離れがたくしているもの、断つことのできない結びつきという意味で用いられるようになる。ただしそれは、出家や往生をさまたげるものとして捉えられていたようだ。
 たとえば『平家物語』では、以下のように使われている。この例は『日本国語大辞典(日国)』で引用されているが少し補った。

 「妻子といふもの無始曠劫(むしこうごう)より以来(このかた)、生死(しようじ)に流転(るてん)するきづななるがゆゑに、仏は重ういましめ給ふなり」(10・維盛入水)

妻子というものは、遠い昔から生と死との世界に流転させる分かちがたい結びつきだから、仏は強く妻子への愛情を戒めていらっしゃるのだ、という意味である。『日国』ではこの『平家物語』の例はもっとも古い例として引用されているが、『平家物語』で初めて「絆」がこの意味で使われたわけではないだろう。この例から何がわかるのかというと、「絆」が表す断つことのできない結びつきとは、仏教的な考えが影響して、古くは出家や往生をさまたげるもの妻や子だったということである。以後の例も、『日国』で引用されているのは、ほとんどが断ち切れないもの、断ち切らなければならないものという意味で使われている。
 これがのちに、現在のような広く人と人との結びつきという意味で使われるようになる。ただ、その意味が生じたのはいつ頃なのか、実はよくわからない。推測の域を出ないのだが、明治以降なのかもしれない。その頃になると、今と同じような意味で使われている例が散見されるからである。
 「きずな」の例は『平家物語』のものがもっとも古い例だと書いたが、「きずな」とほとんど同じ意味で使われ、それよりも古い例のある語が存在する。「ほだし」である。しかもこの語は、「絆」と書かれることもあった。「ほだし」は動詞「ほだす(絆)」の連用形が名詞化した語で、馬などをつないで放れないようにするという意味だが、語源はよくわからない。現在ではほとんど使われることのない語だが、受身の助動詞「れる」の付いた「ほだされる」だけは、今でも使われている。「情にほだされる」などというときの「ほだされる」がそれである。相手の情にひきつけられて、心や行動の自由がしばられるという意味である。
 「きずな」と「ほだし」は同じような意味で使われてきた語だが、「ほだし」は忘れ去られてしまったのに、「きずな」の方にだけ人と人との結びつきというプラスの意味が生じ、使われ続けきたわけで、それはそれでとても興味深い。

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