2019年の大学センター試験で、古文の問題として出題された『玉水(たまみず)物語』が試験の当日から話題になった。その理由というのが面白く、センター試験で「百合物語」を出題するのかというのである。この「百合」ということばの意味は、辞書に載っていない。若者ことばで、女性の同性愛を意味するらしい。かくいう私もその意味を今回のことで初めて知った。
 『玉水物語』は室町時代に成立した御伽草子(おとぎぞうし)である。「御伽草子」とは室町時代から江戸初期にかけて作られた短編物語で、空想的・教訓的な内容で童話風の作品が多い。
 『玉水物語』も高柳(たかやなぎ)の宰相の美しい姫君を見そめた雄ギツネが姫君のおそばにいたいと思い、美少女に変じてある家に養われ、ついに望み通り姫に仕えるというストーリーである。「玉水」というのは姫に仕えたキツネが「玉水の前」と呼ばれたことによる。だが、やがて悲しくも切ない結末が訪れるのだが、ここではそれを詳しく述べることが目的ではない。結末をお知りになりたければ、京都大学図書館機構がインターネットでわかりやすいあらすじを公開しているので、そちらをお読みいただきたい。
 ではこの『玉水物語』の何を話題にしたかったのかというと、文中で使われているオノマトペについてなのである。オノマトペとは、ものの音や声などをまねた擬声語と事象の状態などをまねた擬態語のことだが、一般庶民を対象に書かれた御伽草子にはこれらのことばがけっこう多く使われている。
 センター試験の問題となったのはこの小説のほんの一部分だが、それでも「つくづくと座禅して」「さめざめとうち泣きて」「つやつやうちとくる気色もなく」「ぐちぐち申しければ」などが出てくる。中には現代語としても今でも使われているものもある。
 「つやつやうちとくる気色もなく」の部分は設問にもなっている。「この娘、つやつやうちとくる気色もなく、折々はうち泣きなどし給ふ」という文章について、娘はどのような思いからこのような態度を示したのか、という設問である。これは「つやつや」の意味が分からないと答えられないかもしれない。「つやつや」は古語の重要語で、ここでは下に打ち消しの表現を伴って、まるっきり、きれいさっぱり、まったく、少しもという意味で使われている。この娘(キツネが化けた娘)がまったく打ち解けるようすもなく、ときどきお泣きになる、という意味である。姫君にお仕えする前の、養家での娘の様子を描写した部分で、そのような態度をしているわけは、養母がもってきた縁談を喜ばず沈んだようすを見せれば、自分の願いを養母に伝えるきっかけが得られるだろうという期待からである。高柳の姫君に仕える手だてを練っている、娘(キツネ)のいちずな思いが伝わってくる場面といえる。
 また、「ぐちぐち申しければ」の「ぐちぐち」も面白い。現代語だと「ぐちぐちと文句を言う」の「ぐちぐち」である。ものの言い方が、つぶやくようでよく聞き取れないという意味である。
 この語が使われている場面は、娘が姫に仕えるようになってからのこと。五月半ばのある夜に、ほととぎすがやって来て飛び去っていったので、姫が、ホトトギスが遠く離れたところで鳴いているという意味の和歌の上の句を詠むと、娘が、深い思いと同じようなことで鳴いているのだろうと続けたのである。そしてすぐに娘は、「私の心のうち」とぼそぼそとつぶやくように申し上げたのだ。遠くで鳴くホトトギスの声に、届かぬ姫に対する自分の秘めた思いをなぞらえているのはいうまでも無い。うまい描写だと思う。
 それはさておき、『玉水物語』は古文とはいっても比較的読みやすい文章だと思う。こうした内容の古文をもっと若い人たちに読んでもらったら、古文が面白いと思う人も増えるかもしれない。大学入試の問題で使うだけではもったいない気がして、ついこのような文章を書いてしまった。

『悩ましい国語辞典』が文庫本に!
 「日本語、どうでしょう?」をベースにした本『悩ましい国語辞典』が文庫本になって登場!  「舌鼓は、したつづみ? したづつみ?」「“まじ”は江戸時代から使われていた!?」……など思いがけない形で時代とともに変化する編集者泣かせの日本語の不思議に迫る、蘊蓄満載のエッセイの数々を1冊にまとめた本。ぜひこの機会にお求めください。
『悩ましい国語辞典』は角川ソフィア文庫で2/23(土)発売!

キーワード:


 立春を過ぎるころになると、「三寒四温」ということばをよく聞く。寒い日が3日続くと、その後の4日ほどは温暖な日が続き、このような寒暖が繰り返される現象のことである。
 あるとき『日本大百科全書(ニッポニカ)』でこの「三寒四温」の解説を読んでいたら、以下のような文章に目がとまった。
 「三寒四温は日本の本土の天候にはあまりはっきりとは現れず、ひと冬に1回あるかないかという程度である」
 『ニッポニカ』は署名原稿で、この項目は気象研究家の故根本順吉さんが書いている。根本さんは気象に関するエッセーなども書き、テレビにもよく出演していたので、お名前をご存じのかたも多いであろう。その根本さんが「三寒四温」は「ひと冬に1回あるかないか」だと述べているのである。これを読んで、私の長年の疑問は氷解した。「三寒四温」という語はあまりにも有名なのに、実感としてはそのように感じることはほとんどなかったからである。私はその理由は、関東に住んでいるからだろうと思い込んでいた。
 ほとんど日本では現れない現象だということはわかった。だが今度は、そんなことばなのになぜこの季節になるとよく使われるのかという疑問がわいてくる。根本さんの解説をさらに読むと、「(「三寒四温」は)中国北部や朝鮮半島でいわれる俚諺(りげん)である」と書かれているではないか。「俚言」とはその土地特有の言い回しという意味である。日本ではほとんど実態のない現象を表すことばが、どうして日本で使われるようになったのだろうか。
 それを解く鍵が、『日本国語大辞典(『日国』)』で引用しているひとつの用例にありそうだ。こんな例である。

*尋常小学国語読本〔1917~23〕〈文部省〉一〇・一三「三日四日続いて寒ければ、其の次には又其のくらゐの間暖さが続くといふやうに、寒さと暖さがほとんど規則正しく交替することです。こちらでは昔から之を三寒四温といってゐるさうです」

 『尋常小学国語読本』は、第一次世界大戦後の大正デモクラシーの時代に改訂された国定第3期の国語の教科書で、1918年(大正7年)から使用された。巻一が「ハナ ハト マメ マス」から始まっているため、俗に「ハナハト読本」と呼ばれている。1933年(昭和8年)に、巻一が「サイタ サイタ サクラガ サイタ」で始まるいわゆる「サクラ読本」になるまで使用された。
 「三寒四温」はこの「ハナハト読本」の巻十に出てくる。『日国』の引用文には書かれていないのだが「京城の友から」という文章である。「京城」は現在の大韓民国の首都ソウルのことだが、日本が1910年の韓国併合とともに朝鮮総督をおき、京城府と改めたことによる旧称である。「京城の友から」はその京城に三か月前に家族と日本から移ってきた友だちが、日本に住む友人に書き送った手紙形式の文章となっている。
 この「ハナハト読本」を使った世代はすでに90歳以上になっていると思われるので、この文章を覚えている人はもはやあまりいないであろう。だが、国の機関が著作、編集した教科書の影響力は大きく、のちのちの時代まで実態はなくてもことばだけが伝えられたのではないかと考えられるのである。そして、私の勝手な語感だが、「サンカンシオン」という読みもなんとなく調子がよくて記憶に残りそうな気がしないでもない。

キーワード:


 今回は謝罪が必要な内容かもしれない。
 まずは『日本国語大辞典(『日国』)』の「串カツ」の語釈をお読みいただきたい。

 「(カツは「カツレツ」の略)一口大の豚肉と葱、または玉葱とを交互に竹串にさして、カツのようにあげたもの」

 この文章を読んでも、おそらく関東のかたなら特に疑問を感じないかもしれない。私もそうなので。だが、関西のかたはいかがであろうか。大事な何かが足りないとお思いになるのではないだろうか。魚介・肉・野菜などを串に刺して揚げたもの、ソースの「二度づけ禁止」のお店で出すあれのことである。あの食べ物は単独の食材を串に刺して揚げていて、ネギやタマネギを間にはさんではいない。この語釈にはその説明がないのだ。おまけに、『日国』で引用されている用例がかなり怪しい。

*軽口浮世ばなし〔1977〕〈藤本義一〉一二・一「大阪の片隅新世界のジャンジャン横丁あたりで串カツ一本五円、コップ酒(この界隈では一合一勺をもって一杯とする)八十円を胃袋に詰め込んでは」

という例なのだが、著者の藤本義一さんが食べたのは、場所や値段から考えても『日国』に説明のない、単独の食材を串に刺して揚げたもののことであろう。
 だとすると「串カツ」には二種類あることになる。その疑問を大阪ではなく京都でだが、京都で長年修業をした行きつけの割烹料理店の主人にぶつけたところ、実に明快な答えが返ってきた。関西で「串カツ」というと、さまざまな食材を串に刺して揚げたものと、豚肉とネギやタマネギをはさんで揚げたものと両方指すのだという。さらに、東京では前者を「串揚げ」と呼ぶことがあるのだが「串揚げ」との関係を聞いてみたところ、関西で「串揚げ」などと言ったら、「あほ、そんなものあるか!」と板場でしかられたというのである。
 大阪では二種類の「串カツ」があるというのは、喜劇役者だった古川緑波の『古川ロッパ昭和日記〈戦前篇〉』の昭和14年(1939年)の記事からも納得できる。「十月二日(月曜)」の記事だ。

「阪神で梅田へ。堀井と梅田地下のスエヒロで串カツとカレーライス」

 文中の「スエヒロ」は戦前に梅田地下にあった洋食屋だったらしい。現在も新梅田食堂街に「スエヒロ」というビフテキと欧風料理の店があり、私も大阪に行くときはよく寄るのだがそことの関連は分からない。それはそれとして、このとき緑波がカレーと一緒に食べたのは、豚肉と、ネギやタマネギを交互に串に刺した「串カツ」であろう。緑波は東京の生まれだが、何の疑問も感じずに食べているところをみると、店のメニューは「串カツ」だったに違いない。
 冒頭で『日国』の「串カツ」の語釈を引用したが、実は他の国語辞典も私が調べた限りではほとんどが『日国』と同じである。中には関東で言う「串揚げ」を立項しているものもあるが、関西での「串カツ」には触れていない。唯一、『三省堂国語辞典』だけは「串揚げ」も立項して、「串カツ」の②の意味として、「〔関西で〕くしあげ」としている。だが、これだけだと関東目線なので、京都の割烹料理店の主人にしかられそうだ。
 私が謝罪しなければならないというのは、東西で意味の違いがある語は辞書では極力それに配慮すべきで、『日国』も他の辞書もそれが足りないということなのである。

キーワード:


 まずは以下の文章をお読みいただきたい。

 「おまえ、笑うと普通にかわいいんだよな。どうせならスマイルの練習もしとけ。笑顔が足りねえんだよ、おまえは」(平山瑞穂『マザー』2008年)

 文中にある「普通にかわいい」だが、かわいいのかどうか疑問に感じなかっただろうか。「普通」という語には、名詞・形容動詞としての用法と、副詞としての用法があるのだが、名詞・形容動詞としての「普通」は、ごくありふれている、珍しくない、特に変わりがなく平均的、一般的であるという意味で使われる。つまり、ニュートラルな意味合いか、時として「変わりがない」「平均的」というマイナスの意味で使われてきた。
 ところが引用文の「普通にかわいい」は、ニュートラルの意味合いどころかプラスの意味で使っているように見受けられる。このようなプラスの意味合いで使われた「普通に」の例を探してみると、「普通にきれい」「普通においしい」「普通に面白い」などが見つかる。また、「普通に気持ちが悪い」などという例もあるので、意味としては「とても」に近いのかもしれない。
 「普通」がこのよう意味で使われ始めたのがいつごろからなのか、特定はできないのだが、2000年以降に使用例が多くなるようだ。冒頭で引用した文章も2008年に発表されたミステリ小説である。
 新語に敏感な『三省堂国語辞典(三国)』(第7版)は他の辞書に先駆けてこの意味を載せているのだが、「二十一世紀になって広まった言い方」と注記している。ちなみに『三国』ではこの新しい「普通に」の意味を、「べつに変なところがなく。とても」と「当然(であるかのように)」と説明している。「普通に」が「とても」の意味になったのは、『三国』にもある「べつに変なところがなく」という意味から、変なところがないのだから「とても」とか「非常に」とかいった意味に変化していったのかもしれない。
 なぜこのような「普通に」の意味が広まったのであろうか。私は、この「普通に」自体は、ごくありふれている、珍しくないという本来の意味でも日常的に頻繁に耳にすることばであり、さらに同じ「とても」の意味で若者の間で使われている「ブチ」「オニ」「デラ」などと違って俗語的な用法ではあっても俗語っぽさを感じさせないところから、簡単に受け入れられたのではないかと考えている。今後さらに広まりそうな気がする。

キーワード:


「一富士(いちふじ) 二鷹(にたか)三茄子(さんなすび)」は、夢に見ると縁起が良いとされているものを順にならべた文句である。正月二日に見る初夢について言われる。
 実は私は子どものころからこの文句が不思議で仕方がなかった。といっても、なんで富士と鷹と茄子なのかということではない。なぜ「なす」ではなく、「なすび」なのかということである。勝手に、「さんなす」と言うよりは、5音の「さんなすび」と言った方が据わりがいいからそう言うのだろうかなどと思っていた。私の周りには、八百屋でこの野菜を見たとき、「なす」とは言っても「なすび」と言う人は誰もいなかったからである。
 「なす」を「なすび」とも言うと知ったのはたぶん中学生になってからで、さらに「なすび」の方が古い言い方だと知ったのは辞書編集者になってからである。
 ナスの起源地はインド東部らしいのだが、西域(せいいき)を通って中国に入り、さらに日本に伝わったらしい。『日本国語大辞典(日国)』によると、『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年頃)という日本最初の漢和薬名辞書に「茄子 和名奈須比」とあり、この「奈須比」が「ナスビ」の例としてはもっとも古い。
 一方の「なす」はというと、やはり『日国』で引用されている、

*御湯殿上日記‐文明一五年〔1483〕五月一五日「松木よりなすの小折まいる」

という例がもっとも古い。『御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)』は、室町時代、禁中の御湯殿(宮中にある天子の浴室)に奉仕する女官が交代でつけた日記で、かな文で書かれている。その中には女房詞が多数見られ、「なす」も女房詞だった可能性が高い。ただ、なぜ「なすび」が「なす」になったのかはよく分からない。
 なお、『日国』は、古くはナスビといったその語末のビは、「アケビ(木通)、キビ(黍)などの植物名に通じるものか」と推測している(「なす(なす)」の語誌)。ではこの「ビ」とは何だろうと思うのだが、残念ながらそこまでは言及していない。だが確かに他にも「アセビ」「ワラビ」など、語末が「ビ」の植物はある。
 また『日国』は、「女房詞の『ナス』が全国的に広まり、近代以降はナスが主流となる。ただ、現在でも西日本ではナスビ、東日本ではナスの形を用いる傾向が見られる」とも述べている。千葉県出身の私が「なすび」を不思議に思っていたのは、このようなわけだったようである。皆さんはいかがであろうか。

キーワード:


  次へ>>