今年の9月25日に平成29年度の「国語に関する世論調査」の結果が発表された。そのとき、TBSテレビの朝の情報番組から取材を受け、今回の調査項目にあった「なし崩し」「檄を飛ばす」「ほぼほぼ」などに関して、なぜ従来なかった意味や言い方が生まれたのか、かなりくわしく解説した。ところが発表と同じ日の夕方に、大相撲の貴乃花親方の引退記者会見があったものだから、放送時間の枠が予定の3分の1ほどになってしまい、収録した分もかなりカットされてしまった。
 中には、収録中に時間枠が減らされることがわかり、収録すらできなかったテーマもあった。それが今回取り上げた「外来語」と「カタカナ語」の違いについてである。
 文化庁の調査項目の中に「外来語や外国語などのカタカナ語の意味がわからずに困ることがあるか」というものがあったために、そもそも「外来語」と「カタカナ語」は同じものなのかどうか解説してほしいと、ディレクターさんから頼まれたのである。
 「外来語」と「カタカナ語」の違いに関しては諸説あるのだが、辞書にかかわっている人間としては、一応使い分けをしている。ただそれはあくまでも各辞書独自の考えなので、一般のかたには確かにわかりにくいかもしれない。
 この2語の違いは、2語とも項目のある『デジタル大辞泉』の解説がわかりやすい。

外来語:他の言語から借用し、自国語と同様に使用するようになった語。借用語。日本語では、広義には漢語も含まれるが、狭義には、主として欧米諸国から入ってきた語をいう。現在では一般に片仮名で表記される。[補説]外来語と外国語との区別は主観的なもので、個人によって異なることがある。

カタカナ語:片仮名で表記される語。主に外来語を指すが、和製英語についてもいう。

 つまり、「外来語」と「カタカナ語」を比較して考えた場合、「外来語」は、主として欧米諸国から入ってきた語で、自国語と同様に使用するようになった語ということがポイントである。これに対して、「カタカナ語」は現在の日本で、カタカナで表記される語を指す。「外来語」は「自国語と同様」、すなわち日本語の中に取り込まれて使われることばであるのに対して、「カタカナ語」は普通カタカナで表記される語で、それは必ずしも日本語の中に同化して使われている語ではないということになる。
 この違いはけっこう大きく、それによって「外来語」「カタカナ語」の意味の違いもかなり鮮明になるのではないだろうか。この考え方からすれば、例えば、「ゴールイン」「スキンシップ」「バックミラー」などの「和製英語(日本で英語の単語をもとに、英語らしく作った語)」はカタカナ語ではあっても厳密な意味で外来語とは言えないことになる。また、今回の文化庁の調査にもあった「ガイドライン」「コンソーシアム」「インバウンド」といった語は、確かに日本語に同化しているかと聞かれると疑問である。私もそうであるが、それぞれ「指針」「共同事業体」「訪日外国人旅行者」と日本語で言われた方が理解しやすいのではないだろうか。あくまでも辞書編集者としての私の個人的な意見だが、これらの語は外来語ではなく、カタカナ語と考えられるのである。

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 不平、不満などを解消して、気を晴らすことを「溜飲(りゅういん)」という語を使って「溜飲を―」と言うが、この「―」の部分をなんと言っているだろうか。
 結論から先に述べると、本来の言い方は「溜飲を下げる」である。ところが、「溜飲を晴らす」と言う人がかなりいるようなのである。
 文化庁は「国語に関する世論調査」で、この言い方について、2007(平成19)年度と今年9月に結果を発表した2017(平成29)年度の2回調査を行っている。
 その結果を比較すると、本来の言い方である「溜飲を下げる」を使う人の数がわずかではあるが減少し、新しい言い方である「溜飲を晴らす」を使う人が逆に増えている。そして2017年度の調査では、前者が37.4パーセント、後者が32.9パーセントとそれぞれの割合の差はかなり迫っていることがわかる。
 「溜飲」とは胃の不調による胸焼けなどのことである。それを「下げる」と胸がすっきりするという意味で、「溜飲を下げる」と言い方になった。ただ、日常会話の中で普通に使う語ではないせいか、「溜飲を下げる」という言い方自体よく知らないという人もけっこういそうである。
 文化庁の調査でも、どちらも使わないという人と、わからないという人とを合わせると28.6パーセントもいる。「溜飲を晴らす」と答えてしまった人の中にも、よくわからないままなんとなくこちらの意味だろうと思って、そう答えてしまった人がいるかもしれない。また、「溜飲を晴らす」はふさいだ気持ちを発散させるという意味の「気を晴らす」と意味が似ているので、「晴らす」を使うのではないかと類推した人もいそうである。今年発表された調査でも、10代では56.6パーセントの人が「溜飲を晴らす」を使うと答えているのも、実際に使っているわけではなく、とっさにそのように類推してしまったように思えてならない。
 もしその推察通りだとすると、別の問題も見えてくる。年配者の間ではまだ普通に使われることばを、若い世代にどのように伝えていくかということである。私には従来無かった言い方の「溜飲を晴らす」の割合が増えることよりも、こうしたことばを若者にどうつなげていくかという問題の方が大きいような気がする。

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 「遺憾」という語は、「今回の決定に対して遺憾の意を表明する」といった言い方で、おなじみだと思う。だが、意外と本来の意味は知らないという人が多いのではないだろうか。政治家がよく使うが、だからと言って政治用語ではない。簡単に言えば、残念に思う、という意味である。この残念だという意味から、釈明をしたり、抗議や非難をしたりする意味になったのである。
 『日本国語大辞典(日国)』によれば、「遺憾」の語が文献に登場するのは室町時代からである。室町時代中期の国語辞書である『文明本節用集(ぶんめいぼんせつようしゅう)』に「遺憾 イカン」とあるのだが、残念ながら意味の説明はない。ついで『日国』では以下のような『信長記(しんちょうき)』(1622年)の、
 「功あって洩れぬる人、其遺憾(イカン)いかばかりぞやとおもふままに、かつかつひろひもとめ、これを重撰す」(起)
という例を引用している。「起」は前書きのことで、執筆の動機などが書かれている部分である。『信長記』は小瀬甫庵(おぜほあん)が太田牛一(おおたぎゅういち)の『信長公記』をもとに物語風に加筆、潤色を加えた織田信長の伝記である。
 ここで使われている「遺憾」は、残念という意味である。功があったのに(『信長公記』で記載が)漏れてしまった人の残念に思う気持ちはいかばかりであろうかと思うままに、ともかくも(そういった人たちの功績を)探し求めて拾い出し、以前に著わした書物を見直してもう一度書くという意味であろう。
 やがてこの残念だという意味に、抗議や非難をするという意味が加わっていく。だがそれがいつの頃からなのか、残念ながら私の力では特定できない。その意味だと思われるいちばん古い文献の例が、見つけられないからである。ただ、1945年以降の国会の会議録を見ると、抗議の意味で使っているものが散見されるようになる。
 こうして最近では、「社員の過失に対して心から遺憾の意を表します」「遺憾ながら本日は欠席させていただきます」のように、自分の側の行為について残念な結果となって申し訳ないと謝罪する場合と、「領海侵犯に対して遺憾の意を表する」「いまだお返事をいただけず遺憾に存じます」のように、相手の側の行為についてそのようなことをされては残念だということから抗議する意味合いを持たせた場合と、2つの意味で使われるのである。
 この2つの意味の違いは、文章をぱっと見ただけではけっこう判別が難しい。政治家や企業の経営者が使っているときも、相手と自分のどちらの行為について言っているのかすぐに判断できないこともある。多分それは私だけではないであろう。ひょっとするとそれを狙っているのではないかと勘ぐってしまうことすらある。
 このようなことばは、決まり文句に近いので、そう言っておけば間違いない、皆もなんとなく分かってくれるという安心感はある。だが、それで真意が伝わるだろうかという気がしないでもない。
 なんでもかんでも「遺憾」を使えばいいということではなく、このことばを使うときは、どちらの意味で使っているのか相手にすぐにわかるようにするという配慮も必要なのではないだろうか。別のことばに置き換えることも、選択肢のひとつだと思う。

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 タイトルを見て、「おもわく」に決まっているだろう、と思ったかたの方が多いかもしれない。だが、「思惑」を「しわく」と読む人がいるらしいのだ。そう読む人の割合がどれくらいかは不明だが。
 インターネットで検索すると、「思惑」を「おもわく」と読むのと、「しわく」と読むのとではどう違うのかという質問も見つかる。アナウンサーが「しわく」と読んでいたと、わざわざ報告しているものもある。
 結論から言えば、「思惑」は通常は「おもわく」と読むべきもので、「しわく」と読むと別のことばになってしまう。
 先に「しわく」を説明しておく。これは仏教語で、仏道を修めることによって断ち切られる煩悩のことをいうのである。
 一方の「おもわく」は、動詞「おもう(思)」のク語法から生じたことばである。ク語法とは、活用語の語尾に「く」がついて全体が名詞化されるものをいう。「言はく(=言うこと。言うことには)」「語らく(=語ること。語ることには)」「悲しけく(=悲しいこと)」「老いらく(=年をとり老いてゆくことや老年のこと)」などである。
 「おもわく」の用例はかなり古く、日本最古の歌集『万葉集』にも見られる。たとえば『万葉集』には七夕を歌った歌が130首以上収録されているのだが、その中の1首、

 「ま日(け)長く川に向き立ちありし袖(そで)今夜(こよひ)まかむと思はくのよさ」(巻10・2073)

という歌にもある。「ま日(け)長く」は長い間、「まかむ」は「枕にするだろう」ということで、歌全体の意味は、長い間川に向かって立っていた妻の袖を、今夜枕するだろうと思うことのうれしさよ、というもの。なぜこの歌が七夕の歌になるのかというと、1年に1回しか会うことのできない、牽牛(けんぎゅう)星と織女(しょくじょ)星のことを、牽牛星の思いとして歌った歌だからである。
 この思うことという意味の「おもわく」が転じて、考え、意図や見込み、あるいは評価、評判の意味で使われるようになるのである。従ってこの語の語構成は「おも‐わく」ではなく「おもわ‐く」で、「思惑」と書くのは当て字ということになる。「思惑」の表記がいつごろから生まれたのかは不明だが、残された文献例からすると、どうも江戸後期以後のようである。
 「思惑」を「しわく」と読んでしまう人は、たぶん仏教語の影響ではなく、ワクは「惑」の字音なので、それの類推から「思」も字音でシと読んで、「しわく」と言ってしまうのであろう。
 新聞の表記は「思惑」としているが、「思わく」と書いた方がいいことばなのかもしれない。

神永さんがジャパンナレッジ講演会に登場!
私たちが国語辞典を引くとき、意味をチェックするだけで、どうしても【用例】を飛ばしがち。でも辞書づくりにおいてはしっかりとした根拠、つまり【用例】が辞書づくりの“命”なのです。神永さんが最近話題になっている言葉を用例を見ながら解説します。辞書を読むことの楽しみがわかる90分です。

日比谷カレッジ 第13回ジャパンナレッジ講演会
「ことばって面白い。辞書って楽しい。~辞書編集者を悩ます、日本語⑥」
■日時:2018年11月28日(水)19:00~20:30(18:30開場)
■会場:日比谷図書文化館4階スタジオプラス(小ホール)
■定員:60名
■参加費:1000円
■お申し込み:ホームページの申し込みフォーム、電話(03-3502-3340)、来館(1階受付)のいずれかにて、①講座名、②お名前(よみがな)、③電話番号をご連絡ください。
くわしくはこちら→日比谷図書文化館

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「借金をなし崩しにする」というときの「なし崩し」だが、皆さんはどういう意味で使っているだろうか。
 少しずつ返していくという意味だろうか、それともなかったことにするという意味だろうか。実は「なし崩し」は、借金を一度に返済しないで少しずつ返してゆく、が本来の意味なのである。ところが、なかったことにするの意味だと思っている人がかなりいるらしい。
 先ごろ文化庁が発表した2017年(平成29年)度の「国語に関する世論調査」でも、なかったことにするだと思っている人が、65.6パーセントもいることが分かった。一方の少しずつ返していくの意味で使う人は19.5パーセントなので、本来の意味はかなり分が悪い。
 「なし崩し」の「なし」は「済し」で、「済す」からきているのだが、「済す」は借りたもの、特に借金を返す、少しずつ返済して借金を減らすという意味である。「崩し」はくだいてこわすことをいう。つまり、少しずつ返して、借金をこわす、なくすという意味になる。
 ところがこれを従来なかったことにするの意味で使うのは、勝手な類推ではあるが「なし」を「無し」、つまり何もないという意味でとらえたのではないだろうか。何もないように崩してしまうと。だから、なかったことにするの意だと思ってしまうのかもしれない。
 また、この語は本来の意味から派生して、物事を一度にしないで、少しずつすませてゆくという意味でも使われる。というよりも、最近ではこちらの意味で使われることの方が多いかもしれない。例えば、『日国』で引用している、夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905〜06)の例、

 「町内中悉(ことごと)く苦手かも知れんが〈略〉漸々(だんだん)成し崩しに紹介致す事にする」

もこの意味である。
 小型の国語辞典では『三省堂国語辞典』だけが、「ずるずると時間をかけてだめにすること。」といった、少し異なった表現ながら新しい意味を載せている。だが、『岩波国語辞典』は、「転義例〔筆者注:物事を少しずつすませること〕などの誤解に発したのだろうが、急に形を失って無くなる意に使うのは誤用。」としていて、辞書でも意見が割れている。
 私は、「なし崩し」の本来の意味である、少しずつ借金を返済するの意味は次第に分からなくなっていて、『吾輩は猫である』の例や「企画がなしくずしに変更される」のように、少しずつ徐々に行うことという意味で使われることが多くなり、さらに意味が転じて、なかったことにするの意味で使われるようになったと考えている。
 それがたとえ「誤解」であったとしても、誤用とは言い切れず、この意味はさらに広まるのではないだろうか。

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■定員:60名
■参加費:1000円
■お申し込み:ホームページの申し込みフォーム、電話(03-3502-3340)、来館(1階受付)のいずれかにて、①講座名、②お名前(よみがな)、③電話番号をご連絡ください。
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