ことわざの誤解
2012年03月26日
タイトルを見て、ほとんどの方は、また「情けは人のためならず」「流れに棹(さお)さす」などの話かとお思いになったかもしれない。だが今回はことわざそのものの意味のことではなく、ことわざの中で使われていることばを間違って理解しているものがあったという話である。
“あった”というのは実は筆者自身のことで、いささか恥をさらすことにもなるのだが。というのも、先ごろ刊行された『故事俗信ことわざ大辞典 第2版』を校正段階で読ませてもらって、ヘェーそうだったんだ、知らなかった!と思うことがしばしばあったのである。
具体例を挙げてみる。
まずは「灯台もと暗し」の「灯台」。何の疑問ももたずに、今まで岬の灯台だとばかり思っていた。だが、『ことわざ大辞典』には、灯火をともす台、つまり室内照明具のことだとあるではないか。なぜなら、「岬の灯台は遠方を照らし、洋上の船に位置の基準を示すもので、周囲を明るくするものではないから、比喩の理解に無理が生じる。」というのである。言われてみれば確かにその通り。みごとにやられたといった感じである。
「覆水盆に返らず」の「盆」もそうであった。何で「盆」、つまりトレーに水を入れるのだろうと不思議に思ってはいたのだが、深く追求することはしなかった。『ことわざ大辞典』には、「この場合の『盆』は、食器などを載せる盆ではなく、素焼きで浅めの容器をさす。」と解説されている。長年の疑問が氷解したわけだが、変だと思ったことはすぐに調べなければいけないと反省もさせられた。
もうひとつ、「年寄りの冷や水」の「冷や水」。「冷や水」は、冷水で水浴びをすることだと思い込んでいた。だが、『ことわざ大辞典』によれば、「冷や水」は「用例や江戸いろはかるたの絵札をみると飲料水」なのだそうである。つまり元来はお年寄りが生水を飲むことをたしなめたことわざであったらしい。
皆さんはご存じだっただろうか。筆者などは30数年辞書に関わってきたが、まだまだこの程度である。だからこそ日本語は面白いと言ってみても、今回は負け惜しみにしか聞こえないかもしれない。
“あった”というのは実は筆者自身のことで、いささか恥をさらすことにもなるのだが。というのも、先ごろ刊行された『故事俗信ことわざ大辞典 第2版』を校正段階で読ませてもらって、ヘェーそうだったんだ、知らなかった!と思うことがしばしばあったのである。
具体例を挙げてみる。
まずは「灯台もと暗し」の「灯台」。何の疑問ももたずに、今まで岬の灯台だとばかり思っていた。だが、『ことわざ大辞典』には、灯火をともす台、つまり室内照明具のことだとあるではないか。なぜなら、「岬の灯台は遠方を照らし、洋上の船に位置の基準を示すもので、周囲を明るくするものではないから、比喩の理解に無理が生じる。」というのである。言われてみれば確かにその通り。みごとにやられたといった感じである。
「覆水盆に返らず」の「盆」もそうであった。何で「盆」、つまりトレーに水を入れるのだろうと不思議に思ってはいたのだが、深く追求することはしなかった。『ことわざ大辞典』には、「この場合の『盆』は、食器などを載せる盆ではなく、素焼きで浅めの容器をさす。」と解説されている。長年の疑問が氷解したわけだが、変だと思ったことはすぐに調べなければいけないと反省もさせられた。
もうひとつ、「年寄りの冷や水」の「冷や水」。「冷や水」は、冷水で水浴びをすることだと思い込んでいた。だが、『ことわざ大辞典』によれば、「冷や水」は「用例や江戸いろはかるたの絵札をみると飲料水」なのだそうである。つまり元来はお年寄りが生水を飲むことをたしなめたことわざであったらしい。
皆さんはご存じだっただろうか。筆者などは30数年辞書に関わってきたが、まだまだこの程度である。だからこそ日本語は面白いと言ってみても、今回は負け惜しみにしか聞こえないかもしれない。
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「満面の笑顔」「汚名挽回」「的を得る」……従来誤用とされてきたが、必ずしもそうとは言い切れないものもある。『日本国語大辞典』の元編集長で、辞書一筋37年のことばの達人がことばの結びつきの基本と意外な落とし穴を紹介。
