第150回
陸前浜街道
2013年03月11日
私が住んでいる千葉県北西部の市では、幹線道路である国道6号線がほぼ南北に走っている。通称水戸街道。東京都中央区から水戸を通って宮城県仙台市に至る道路である。江戸時代の水戸街道は水戸に至る脇街道で、街中を縫うように通っていたらしい。だが、私が5歳のときの1961年(昭和36年)に片側2車線のバイパスが完成すると、それまで水戸街道と呼ばれていた道路は旧水戸街道と呼ばれるようになった。
その旧水戸街道は、かつては「陸前浜街道」とも呼ばれていたという話を、子どもの頃に聞いたことがある。「リクゼンハマカイドー」、声に出して言ってみたときの響きの良さになぜか心惹かれた。
やがて、「リクゼン」は「陸前」で、明治元年(1868)に陸奥(むつ)国から分国して生まれた旧国名のひとつであることを知った。現在の宮城県の大部分と岩手県の一部にあたるという。陸前国が生まれる前は、「陸前浜街道」は単に「浜街道」とも呼ばれていたらしい。江戸から水戸に通ずる水戸街道を北上して勿来(なこそ)関を越え、岩沼(宮城県岩沼市)で奥州街道に合流する道である。一本の道がそんな遠くまで結ばれているのかと思うと胸がときめいた。
さらに、福島では「陸前浜街道」が通じる地域を、「浜通り」と呼んでいると知ったのは、天気予報からであった。福島県の天気の予報区は西から縦に、「会津」「中通り」「浜通り」の3つの地域に分けられていて、東側の「浜通り」は太平洋に面している。
その「浜通り」を南北に走る国道6号線(かつての「陸前浜街道」とほぼ一致する)は、現在、南相馬市小高区下浦字三輪から双葉郡楢葉町上繁岡字山根まで通行止めになっている。原発事故による警戒区域に入っているためであることはいうまでもない。
2年前の今日(3月11日)、あの地震のあと私は仕事で上野にいたのだが、通勤に使っている常磐線が止まってしまったため、深夜に国道6号線を大勢の人たちと5時間以上かけて歩いて帰った。この先に通じる陸前までの地域は、いったいどんなことになっているのだろうかと案じながら。だが、そのときはまさかこの道が途中で通行止めになるとは思ってもみなかった。
通行止めが一日も早く解除されるよう願っていることはもちろんである。だが、たとえ今は通行できなくても、かつての「陸前浜街道」は茨城、福島を経て、宮城、岩手の「陸前」へと通じる道だという思いは少しも変わらない。
その旧水戸街道は、かつては「陸前浜街道」とも呼ばれていたという話を、子どもの頃に聞いたことがある。「リクゼンハマカイドー」、声に出して言ってみたときの響きの良さになぜか心惹かれた。
やがて、「リクゼン」は「陸前」で、明治元年(1868)に陸奥(むつ)国から分国して生まれた旧国名のひとつであることを知った。現在の宮城県の大部分と岩手県の一部にあたるという。陸前国が生まれる前は、「陸前浜街道」は単に「浜街道」とも呼ばれていたらしい。江戸から水戸に通ずる水戸街道を北上して勿来(なこそ)関を越え、岩沼(宮城県岩沼市)で奥州街道に合流する道である。一本の道がそんな遠くまで結ばれているのかと思うと胸がときめいた。
さらに、福島では「陸前浜街道」が通じる地域を、「浜通り」と呼んでいると知ったのは、天気予報からであった。福島県の天気の予報区は西から縦に、「会津」「中通り」「浜通り」の3つの地域に分けられていて、東側の「浜通り」は太平洋に面している。
その「浜通り」を南北に走る国道6号線(かつての「陸前浜街道」とほぼ一致する)は、現在、南相馬市小高区下浦字三輪から双葉郡楢葉町上繁岡字山根まで通行止めになっている。原発事故による警戒区域に入っているためであることはいうまでもない。
2年前の今日(3月11日)、あの地震のあと私は仕事で上野にいたのだが、通勤に使っている常磐線が止まってしまったため、深夜に国道6号線を大勢の人たちと5時間以上かけて歩いて帰った。この先に通じる陸前までの地域は、いったいどんなことになっているのだろうかと案じながら。だが、そのときはまさかこの道が途中で通行止めになるとは思ってもみなかった。
通行止めが一日も早く解除されるよう願っていることはもちろんである。だが、たとえ今は通行できなくても、かつての「陸前浜街道」は茨城、福島を経て、宮城、岩手の「陸前」へと通じる道だという思いは少しも変わらない。
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