日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第193回
「やるせない」の誤用はどこで広まっているのか?

 思いを晴らすべき手立てがないという意味の「やるせない」を、「やるせぬ」と言うような誤用が広まっているらしい。たとえば、「やるせない思い」を「やるせぬ思い」としているというのである。“らしい”とことわったのは、実際にはその誤用例をめったに見かけることがないからである。インターネットで検索しても、ほとんどヒットしない。唯一検索に引っかかった、いかにも誤用らしい誤用は、
「市議リコールに経費1172万円 やるせぬ思いの妙高市民」(『上越タウンジャーナル』2010年5月25日)
というものだけである。
 しかし、「やるせぬ」は誤りだと注記している国語辞典も存在する(『明鏡国語辞典 第2版』)。この辞典では誤用が広まっていると判断したからこそ、このような注記をしたのであろう。にもかかわらず、その誤用例をあまり見つけることができないというのはどうしたわけなのであろうか。
 かなり有名な誤用例があるにはある。
 古賀政男の『影を慕いて』の中にある「月にやるせぬ我が思い」という部分がそれである。
 では、なぜ「やるせぬ」だと誤りなのか。文法の話で恐縮なのだが、少しお付き合いいただきたい。
 「やるせない」は、名詞「やるせ」に否定の意味の形容詞「無い」が付いた形容詞である。当然のことだが、「無い」は形容詞なので他と同じように語尾は「かろ/かっ・く/い/い/けれ」と活用する。見ておわかりのようにどこにも「ぬ」などという活用は出てこない。ところが、なぜそれが「やるせぬ」になってしまったのかと言うと、この形容詞「ない」を同じ語形の打消しの助動詞「ない」だと勘違いして、やはり同じ打消しの助動詞「ぬ」でも言い換えができると考えたらしいのである。
 助動詞「ない」「ぬ」ならそれと結びつく「やるせ」は動詞でなければならないのだが、もちろん「やるせる」などという動詞は存在しない。
 それにしても、なぜ誤用が目立たないのであろうか。
 考えられることは、「やるせない」という語自体、もはやあまり頻繁に使われる語ではなくなっているということである。あるいは、それほど頻繁に使われることはなくなっても、文章ではなく口頭語として広まっているということがあるのかもしれない。
 誤用が水面下で広まっているのかもしれない、不思議な語ではある。

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