日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第236回
「右に出る者はいない」

 さほど広まっているわけではないのかもしれないが、たとえば「寝起きの悪さでは私の右に出る者はいない」などという文章を見かけたことはないだろうか。寝起きの悪さにかけては自分よりひどい人はいないということを強調した文章である。だが、もちろんこれは「右に出る者はいない」という言い回しの間違った使い方である。
 「右に出る者はいない」は、右を上と考えて、その人以上のすぐれた人はいない、凌駕(りょうが)する人はいないという意味で、自分以下の人はいない、自分よりひどい人はいないという意味ではないのである。なぜ右を上とするのかというと、古代中国では右を上席としたからである。たとえば、今までよりも低い官職、地位におとしたり、中央から地方に移したりすることを「左遷」というが、これも古代中国で右を尊び左を卑しんだことによる。
 しかし、面白いことに日本では古く官職を左右対称に区分したとき、ふつう左を上位としていたのである。
 『源氏物語』(1001~1014)にこんな文章がある。
 「左大臣うせ給て、右は左に、藤大納言、左大将かけ給へる、右大臣になり給」(竹河(たけかわ))
 左大臣が死去して、右大臣が左大臣に昇進し、藤(とう)大納言は左大将兼任の右大臣になるという意味である。左大臣の方が右大臣よりも上位だったことがおわかりいただけたのではないだろうか。ただ、なぜ日本では左が上位になるのかということになるとよくわかっていない。世界的には右を尊ぶ観念のほうが一般的なので、実に不思議なのである。だが、だからといってことばのほうでは左を上として、「左に出る者はいない」とはならなかったところが面白い。

 ちなみに、政治思想に関して「右翼」「左翼」というが、これはフランス革命当時、国民議会で議長席から見て右に穏健派が議席を占め、左に急進派であるジャコバン党が議席を占めたところから生まれた語で、左右どちらを尊ぶかということとは何の関係もない。

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