日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第247回
取り付く「しまもない」?「ひまもない」?

 「つっけんどんで取り付く○まもない」の「○」の中に入るひらがな一文字を答えなさい。
 こんな問題があったとしたら皆さんは何と答えるであろうか。正解は「し」、すなわち、「取り付くしま」が正しい。「しま」の意味は頼りにしてとりすがる所、頼るべき所ということである。「取り付くしまがない」のように打消表現を伴って用いることが多い。
 ところがこの「しま」を「ひま」だと思っている人が増えているらしい。
 文化庁が発表した2012(平成24)年度の「国語に関する世論調査」では、本来の言い方である「取り付くしまがない」を使う人が47.8パーセント、本来の言い方ではない「取り付くひまがない」を使う人が41.6パーセントと、かなり拮抗(きっこう)した結果が出ている。
 「しま」が「ひま」になってしまったのは、別に東京方言などに多くみられるような「し」と「ひ」の混同などではなく、「しま」は正しくは「島」であるのに、これを「暇」だと誤解しているからだと思われる。
 「島」とはもちろん周囲を水で囲まれた陸地のこと。この「島」がなぜ頼るべき場所という意味になるのかというと、船人にとって洋上にある島は、航海の際にもっとも頼りとすべき場所だからである。
 井原西鶴の小説『日本永代蔵』〔1688〕には、そうした原義を踏まえて、以下のような文章がある。
 「何に取附(とりつく)嶋もなく、なみ(波)の音さへ恐しく、孫子(まごこ)に伝て舟には乗まじきと〔=舟には乗せまいと〕」
 現在では「取り付く島もない」の形で使われることが多いが、以前は「頼る島もない」の形で使われることもあったようだ。要するに「取り付くしまがない」は便りとすべき島(所)がないという意味で、人にすがりつく暇(わずかの時間)もないという意味ではないのである。

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