第256回
「近江県」
2015年04月06日
滋賀県が県名を「近江(おうみ)県」に変更するための検討を始めたという。滋賀県の認知度があまり高くないことがその理由らしい。
第55回の「志賀で『うみ』といえば」でも触れたのだが、「近江」は滋賀県の旧国名で、これは大化改新のときに定められたものである。「おうみ」は「淡水のうみ」を意味する「あはうみ」の変化した語で、「淡海」とも表記された。旧国名の「近江」は中央に琵琶湖があるところからの名称である。「うみ」は古くは塩水をたたえた海洋だけでなく大きな沼や湖のこともいったのだが、「うみ」だけで特に琵琶湖を指すこともあったからである。
「近江」の「江」も本来は大きな川をいうのだが、日本では琵琶湖の別称でもあった。「近」が付くのは都(京都)に近いからで、「遠い江」すなわち「遠江(とおとうみ)」という旧国名もある。こちらの「江」は浜名湖のことで、現在の静岡県の一部にあたる。こうしたことから、それぞれ「近淡海(ちかつおうみ)」「遠淡海(とおつおうみ)」とも呼ばれた。
現在の県名である「滋賀」は、かつては滋賀県南西部の郡名であった。琵琶湖と比良山地にはさまれた地域で、現在の大津市の北郊にあたる。天智天皇(てんじてんのう)の大津宮が置かれた地と推定されていて、古くは、「志賀」とも表記された。
滋賀県が誕生したのは1872年(明治5年)のことである。その前年に行われた廃藩置県により大津県と長浜県の2県が成立し、翌年、大津県は滋賀県に、長浜県は犬上県に改称され、さらに滋賀県が犬上県を合併して現在の県域が定まった。
このことからもわかるように「滋賀」は現在の県域のすべてを覆う地名ではなかった。そういった意味では「近江」の方が県を表す呼称としてはふさわしいのかもしれない。
伝統的な地名がどんどん失われていくなかで、由緒ある地名、それも県名でそれを復活させようという動きは画期的なことだと思う。法律的な手続きはどのようになるのかわからないが、しっかり議論していただきたい。
第55回の「志賀で『うみ』といえば」でも触れたのだが、「近江」は滋賀県の旧国名で、これは大化改新のときに定められたものである。「おうみ」は「淡水のうみ」を意味する「あはうみ」の変化した語で、「淡海」とも表記された。旧国名の「近江」は中央に琵琶湖があるところからの名称である。「うみ」は古くは塩水をたたえた海洋だけでなく大きな沼や湖のこともいったのだが、「うみ」だけで特に琵琶湖を指すこともあったからである。
「近江」の「江」も本来は大きな川をいうのだが、日本では琵琶湖の別称でもあった。「近」が付くのは都(京都)に近いからで、「遠い江」すなわち「遠江(とおとうみ)」という旧国名もある。こちらの「江」は浜名湖のことで、現在の静岡県の一部にあたる。こうしたことから、それぞれ「近淡海(ちかつおうみ)」「遠淡海(とおつおうみ)」とも呼ばれた。
現在の県名である「滋賀」は、かつては滋賀県南西部の郡名であった。琵琶湖と比良山地にはさまれた地域で、現在の大津市の北郊にあたる。天智天皇(てんじてんのう)の大津宮が置かれた地と推定されていて、古くは、「志賀」とも表記された。
滋賀県が誕生したのは1872年(明治5年)のことである。その前年に行われた廃藩置県により大津県と長浜県の2県が成立し、翌年、大津県は滋賀県に、長浜県は犬上県に改称され、さらに滋賀県が犬上県を合併して現在の県域が定まった。
このことからもわかるように「滋賀」は現在の県域のすべてを覆う地名ではなかった。そういった意味では「近江」の方が県を表す呼称としてはふさわしいのかもしれない。
伝統的な地名がどんどん失われていくなかで、由緒ある地名、それも県名でそれを復活させようという動きは画期的なことだと思う。法律的な手続きはどのようになるのかわからないが、しっかり議論していただきたい。
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