日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第29回
あの「あっぱれ!」が
もう一度聞きたくて!

 プロ野球の日本ハムやロッテで監督を務めた大沢啓二氏が10月7日に亡くなった。毎週日曜日の朝、「サンデーモーニング」というテレビ番組での「あっぱれ!」「喝!」という威勢のいい声を楽しみにしていたので、残念でならない。そこで、大沢氏が名プレーに対する賞賛のことばとして使っていた、この「あっぱれ」のことを書いて哀悼の意を表したいと思う。
 「あっぱれ」は元来は「あわれ(哀)」で、促音化して意味を強めた語である。中世の初めごろから文献に見られるようになり、
たとえば『平家物語』では、
 「あっぱれ、この世の中は只今(ただいま)乱れ、君も臣もほろびうせんずるものを(=みな滅んでしまうだろうに)」(文覚被流)
のような、「ああ」という悲哀を込めた強い感動を表す例や、
 「あっぱれ剛の者かな。是をこそ一人当千の兵ともいふべけれ」(二度之懸)
のような、「みごとな」という賞賛を表す例が混在している。
 大沢氏の「あっぱれ!」は、もちろん後者の意味である。
 その後、「あっぱれ」は賞賛する気持ちを表す例が主流となり、しみじみとした情趣・感情を表す「あわれ」とは別語として意識されるようになっていくのである。
 なお、「あっぱれ」は「天晴」と当てることもあるが、いかにも賞賛語らしいうまい当て字だと思う。さらに近世には「遖」とも書いた。これは「しんにゅう」と「南(太陽の光で明るい)」を合わせて「天」が「晴れる」という意味を表した、判じ物のような和製漢字である。

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