第273回
「おはよう」
2015年08月03日
10年以上も前のことだが、標準語から引ける方言辞典の編集を担当したことがある(佐藤亮一監修『標準語引き日本方言辞典』)。この辞典によって方言語彙の豊かさに惹(ひ)きつけられたのだが、中でも面白いと思ったものに「挨拶のことば」の方言がある。たとえば朝の挨拶語は、大方は「おはよう」を思い浮かべるかもしれないが、もう一つ別系統の言い方が存在するのである。それは、「目が覚めたか」とか「起きたか」といった、目覚めを確認する意味の方言である。
「おはよう」系の方言は、「はやい(佐賀県杵島郡)」「はやいなー(三重県上野市)」「はやいのー(福井県遠敷郡、三重県志摩郡、香川県男木島・伊吹島、大分県大分郡・北海部郡)」のように、ほとんどそのままの言い方ではないかというものもあるし、「おはやがんす(岩手県和賀郡)」「おはよーさん(三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、島根県、大分県)」のような、どこかで聞いたことのあるような方言もあるが、比較的全国に満遍なく分布している。
これに対して「起きたか」系の方言は、「おひなりましたか」とか「おひんなりまいたか」とかいうもので、富山、石川、大阪、徳島、愛媛、高知、島根、広島、山口、長崎など主に西日本に分布している。この「おひなる」「おひんなる」の「おひる」は貴人が眠りから覚めることをいう古語である。「おひるなる」はその動詞形で、お目覚めになる、お起きになるという意味の女房詞による。「おひる」は「お昼」で、しゃれでもなんでもなく、「お昼」だから目が覚めるというわけである。ちなみに、反対語の貴人がお休みになることをいう意味の語は「およる」で、ご想像通り「お夜」である。
いずれにしても、「おはよう」系の方言は「早い」という状況を述べているだけであり、「起きたか」系の方言は目覚めたか(眠れたか)と聞いているだけであるのに、ちゃんと朝の挨拶のことばとなっているという、とてもユニークなことばなのである。
ところで、この挨拶のことばから日本語と英語の違いを論じた、とても刺激的な本を読む機会が最近あった。『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』という本で、著者の金谷武洋氏は元モントリオール大学東アジア研究所日本語科科長で、カナダで25年間にもわたり日本語教師をなさっていた方である。
金谷氏は、たとえば「おはよう」と「Good morning」には、日本語と英語の根源的な発想の違いがあるのだという。それは何かというと、「おはよう」は会話の場面にいるはずの「話し手」と「聞き手」がどちらも文章に出てこず、まだ朝早いという状況に、「話し手」と「聞き手」とが「共感」していることばだというのである。これに対して、「Good morning」は、「I wish you good morning」の省略形で、「話し手」である「私(I)」が「聞き手」の「あなた(you)」に、この朝がよいものであるように祈るという積極的行為を表現した文章が元になっているのだという。金谷氏はこの文の中に人間が出てくるか否かが日本語と英語の決定的な相違点で、この違いをはっきりと理解して意識できれば英語力もついてくるはずであるにもかかわらず、日本の学校ではこんな大切なことを教えてくれないと嘆いているのである。
この「おはよう」と「Good morning」のことばの発想の違いは、本書で紹介されている日本語と英語の違いの一例であるが、このような毎日何気なく使っていることばからも日本人固有の発想が読み取れるなんて、実に面白い話ではないか。
「おはよう」系の方言は、「はやい(佐賀県杵島郡)」「はやいなー(三重県上野市)」「はやいのー(福井県遠敷郡、三重県志摩郡、香川県男木島・伊吹島、大分県大分郡・北海部郡)」のように、ほとんどそのままの言い方ではないかというものもあるし、「おはやがんす(岩手県和賀郡)」「おはよーさん(三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、島根県、大分県)」のような、どこかで聞いたことのあるような方言もあるが、比較的全国に満遍なく分布している。
これに対して「起きたか」系の方言は、「おひなりましたか」とか「おひんなりまいたか」とかいうもので、富山、石川、大阪、徳島、愛媛、高知、島根、広島、山口、長崎など主に西日本に分布している。この「おひなる」「おひんなる」の「おひる」は貴人が眠りから覚めることをいう古語である。「おひるなる」はその動詞形で、お目覚めになる、お起きになるという意味の女房詞による。「おひる」は「お昼」で、しゃれでもなんでもなく、「お昼」だから目が覚めるというわけである。ちなみに、反対語の貴人がお休みになることをいう意味の語は「およる」で、ご想像通り「お夜」である。
いずれにしても、「おはよう」系の方言は「早い」という状況を述べているだけであり、「起きたか」系の方言は目覚めたか(眠れたか)と聞いているだけであるのに、ちゃんと朝の挨拶のことばとなっているという、とてもユニークなことばなのである。
ところで、この挨拶のことばから日本語と英語の違いを論じた、とても刺激的な本を読む機会が最近あった。『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』という本で、著者の金谷武洋氏は元モントリオール大学東アジア研究所日本語科科長で、カナダで25年間にもわたり日本語教師をなさっていた方である。
金谷氏は、たとえば「おはよう」と「Good morning」には、日本語と英語の根源的な発想の違いがあるのだという。それは何かというと、「おはよう」は会話の場面にいるはずの「話し手」と「聞き手」がどちらも文章に出てこず、まだ朝早いという状況に、「話し手」と「聞き手」とが「共感」していることばだというのである。これに対して、「Good morning」は、「I wish you good morning」の省略形で、「話し手」である「私(I)」が「聞き手」の「あなた(you)」に、この朝がよいものであるように祈るという積極的行為を表現した文章が元になっているのだという。金谷氏はこの文の中に人間が出てくるか否かが日本語と英語の決定的な相違点で、この違いをはっきりと理解して意識できれば英語力もついてくるはずであるにもかかわらず、日本の学校ではこんな大切なことを教えてくれないと嘆いているのである。
この「おはよう」と「Good morning」のことばの発想の違いは、本書で紹介されている日本語と英語の違いの一例であるが、このような毎日何気なく使っていることばからも日本人固有の発想が読み取れるなんて、実に面白い話ではないか。
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