日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第305回
「願わくは」か?「願わくば」か?

 「願わくは今年も家族全員が元気に暮らしていかれますように」

 この文章を読んだとき、「あれ?」と思いになった方もけっこういらっしゃるのではないだろうか。「願わくは」ではなく「願わくば」が正しいのではないかと。
 だが、「願わくは」が本来の言い方で、「願わくば」は実は新しく生まれた言い方なのである。
 「願わくは」は、願うところは、望むことはという意味で、願望や希望の表現を伴って、ひたすら願うという意味を表すことばである。強調して「こい願わくは」と言うこともある。
 文法的な話をさせていただくと、「願わく」は動詞「ねがう(願)」のク語法(活用語の語尾に「く」などがついて、名詞化される語法)で、これに助詞「は」が付いたものが「願わくは」である。もともとは漢文訓読から生まれた語法で、「願わくは、~せんことを」「願わくは~したいものである」といった形で使われた。そのため現代でも、文語調の文章で用いられることが多い。
 「願わくば」はその語源意識が失われて、助詞「は」を濁らせて使うようになった言い方なのである。
 古典の中でこの「願わくは」を使った用例として最も有名なものは、平安後期の歌人西行の歌集『山家集』(12C後)に載せられた以下の歌であろう。

 「ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃」

 願うことなら桜の花の下で春に死にたいものである。陰暦二月の十五夜のころにといった意味である。
 「願わくば」と濁った用例は時代が下って、江戸時代から見られるようになる。たとえば、

 「南無薬師十二神、願はくば、みづからに、男子にても、女子にても、子だねを一人、さづけたまへ」(浄瑠璃『十二段草子』1610~15頃か)

のような用例がそれである。
 『十二段草子』は浄瑠璃とは言っても現在でも上演されている人形浄瑠璃とは違う、それ以前に発生した、牛若丸と浄瑠璃姫の恋物語を元にした語り物である。今では神仏に祈るとき、ここにあるように「願わくば」という人も多いのではないだろうか。
 最近の国語辞典では「ねがわくは」を見出しとして、そこで「ねがわくば」ということもあると注記しているもの、「願わくば」を空見出しとしているもの、「願わくば」は誤りだと言い切っているものの3種類に大きく分けられる。
 私は、確かに文法的には誤りかもしれないが、だからといって誤用だと言い切るのはいかがなものかと思っている。

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