日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第369回
「茨城」──イバラギではありません!

 今年放送されたNHKの朝の連続ドラマ「ひよっこ」をご覧になったというかたは、大勢いらっしゃることであろう。かく言う私も毎回欠かさず見ていた。主人公が生まれ育ったのは茨城県奥茨城村という架空の地名ではあるが、私のルーツも茨城県北部なので、何となく親近感を覚えていたのである。
 このドラマの中で、東京に出てきた主人公の母親が、警察官から「イバラギ」と言われると、「イバラギではありません、イバラキです」と言い返す場面があった。
 ルーツは茨城だが千葉県で生まれ育った私にも、とてもよくわかる台詞であった。「茨城」を「イバラギ」と言う人は、私の周りでもけっこう多いのである。ほんとうはこの母親の言う通り「イバラキ」なのに。そして茨城県市出身者が「イバラギではありません、イバラキです」と言っているのも、幾度となく耳にしている。
 なぜ「イバラキ」ではなく「イバラギ」と言ってしまうのだろうか。ひとつには「イバラギ」と、末尾を濁音にした方が発音しやすいということがあるのかもしれない。
 だがもうひとつ、茨城弁の特質も関係しているような気がする。と言うのも、茨城弁では、カ行は濁音になりやすいという性質をもっているからである。例えば、カギ(柿)、ハグ(掃く)などのように。従って、茨城出身者が「イバラキ」と言っているつもりでも、県外の人間には「イバラギ」と聞こえることがあるのかもしれない。そのため茨城県人だって「イバラギ」と言っているではないかと、誤解されている可能性はないだろうか。
 しかし繰り返すが「城」は「ギ」ではなく、「キ」と清音なのである。
 茨城という地名は、『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』(奈良時代成立の常陸国の地誌)の本文冒頭にある常陸国司の解文(げもん=報告書)に見える。

 「古(いにしえ)は、相模の国足柄の岳坂(やまさか)より東の諸(もろもろ)の県(あがた)は、惣(す)べて我姫(あづま)の国と称(い)ひき。是の当時、常陸(ひたち)と言はず。唯(ただ)、新治・筑波・茨城・那賀・久慈・多珂の国と称(い)ひ」

 ただし、この「茨城」は「うばらき」と読まれてきた。
 そして、『常陸風土記』には以下のような茨城の地名起源説話を二種類記載されている。

・朝廷から派遣された大臣の同族黒坂命(くろさかのみこと)が、服従しない民を征伐するため、彼らが外に出ている時をねらって住居の穴倉に茨棘(うばら)を仕掛け、突然騎馬の兵で彼らを追い立てた。彼らは穴倉に逃げ帰ったが、うばらの棘でみな傷つき死んだり散っていったりしてしまった。そこで茨棘にちなむ名を付けた。
・山の佐伯(さえき=抵抗する者の意)と野の佐伯が土地の人々に危害を加えるので、黒坂命はこの賊を計略で滅ぼすのに、茨(うばら)で城(き)を造ったため、茨城と呼ぶようになった。

 「茨城」と書かれるようになったのは、おそらく二番目の説話が根拠になっているのであろう。「城(き)」は「柵(き)」で、外部からの侵入を防ぐために、柵をめぐらして区切ったところ、すなわちとりでのことである。この字は「ギ」とは読まない。
 ちなみに似たような地名が大阪にもある。茨木市である。こちらもやはり「イバラキ」と読む。

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