第392回
「思惑」をなんと読むか?

 タイトルを見て、「おもわく」に決まっているだろう、と思ったかたの方が多いかもしれない。だが、「思惑」を「しわく」と読む人がいるらしいのだ。そう読む人の割合がどれくらいかは不明だが。
 インターネットで検索すると、「思惑」を「おもわく」と読むのと、「しわく」と読むのとではどう違うのかという質問も見つかる。アナウンサーが「しわく」と読んでいたと、わざわざ報告しているものもある。
 結論から言えば、「思惑」は通常は「おもわく」と読むべきもので、「しわく」と読むと別のことばになってしまう。
 先に「しわく」を説明しておく。これは仏教語で、仏道を修めることによって断ち切られる煩悩のことをいうのである。
 一方の「おもわく」は、動詞「おもう(思)」のク語法から生じたことばである。ク語法とは、活用語の語尾に「く」がついて全体が名詞化されるものをいう。「言はく(=言うこと。言うことには)」「語らく(=語ること。語ることには)」「悲しけく(=悲しいこと)」「老いらく(=年をとり老いてゆくことや老年のこと)」などである。
 「おもわく」の用例はかなり古く、日本最古の歌集『万葉集』にも見られる。たとえば『万葉集』には七夕を歌った歌が130首以上収録されているのだが、その中の1首、

 「ま日(け)長く川に向き立ちありし袖(そで)今夜(こよひ)まかむと思はくのよさ」(巻10・2073)

という歌にもある。「ま日(け)長く」は長い間、「まかむ」は「枕にするだろう」ということで、歌全体の意味は、長い間川に向かって立っていた妻の袖を、今夜枕するだろうと思うことのうれしさよ、というもの。なぜこの歌が七夕の歌になるのかというと、1年に1回しか会うことのできない、牽牛(けんぎゅう)星と織女(しょくじょ)星のことを、牽牛星の思いとして歌った歌だからである。
 この思うことという意味の「おもわく」が転じて、考え、意図や見込み、あるいは評価、評判の意味で使われるようになるのである。従ってこの語の語構成は「おも‐わく」ではなく「おもわ‐く」で、「思惑」と書くのは当て字ということになる。「思惑」の表記がいつごろから生まれたのかは不明だが、残された文献例からすると、どうも江戸後期以後のようである。
 「思惑」を「しわく」と読んでしまう人は、たぶん仏教語の影響ではなく、ワクは「惑」の字音なので、それの類推から「思」も字音でシと読んで、「しわく」と言ってしまうのであろう。
 新聞の表記は「思惑」としているが、「思わく」と書いた方がいいことばなのかもしれない。

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