第393回
「遺憾(いかん)」は政治用語ではない

 「遺憾」という語は、「今回の決定に対して遺憾の意を表明する」といった言い方で、おなじみだと思う。だが、意外と本来の意味は知らないという人が多いのではないだろうか。政治家がよく使うが、だからと言って政治用語ではない。簡単に言えば、残念に思う、という意味である。この残念だという意味から、釈明をしたり、抗議や非難をしたりする意味になったのである。
 『日本国語大辞典(日国)』によれば、「遺憾」の語が文献に登場するのは室町時代からである。室町時代中期の国語辞書である『文明本節用集(ぶんめいぼんせつようしゅう)』に「遺憾 イカン」とあるのだが、残念ながら意味の説明はない。ついで『日国』では以下のような『信長記(しんちょうき)』(1622年)の、
 「功あって洩れぬる人、其遺憾(イカン)いかばかりぞやとおもふままに、かつかつひろひもとめ、これを重撰す」(起)
という例を引用している。「起」は前書きのことで、執筆の動機などが書かれている部分である。『信長記』は小瀬甫庵(おぜほあん)が太田牛一(おおたぎゅういち)の『信長公記』をもとに物語風に加筆、潤色を加えた織田信長の伝記である。
 ここで使われている「遺憾」は、残念という意味である。功があったのに(『信長公記』で記載が)漏れてしまった人の残念に思う気持ちはいかばかりであろうかと思うままに、ともかくも(そういった人たちの功績を)探し求めて拾い出し、以前に著わした書物を見直してもう一度書くという意味であろう。
 やがてこの残念だという意味に、抗議や非難をするという意味が加わっていく。だがそれがいつの頃からなのか、残念ながら私の力では特定できない。その意味だと思われるいちばん古い文献の例が、見つけられないからである。ただ、1945年以降の国会の会議録を見ると、抗議の意味で使っているものが散見されるようになる。
 こうして最近では、「社員の過失に対して心から遺憾の意を表します」「遺憾ながら本日は欠席させていただきます」のように、自分の側の行為について残念な結果となって申し訳ないと謝罪する場合と、「領海侵犯に対して遺憾の意を表する」「いまだお返事をいただけず遺憾に存じます」のように、相手の側の行為についてそのようなことをされては残念だということから抗議する意味合いを持たせた場合と、2つの意味で使われるのである。
 この2つの意味の違いは、文章をぱっと見ただけではけっこう判別が難しい。政治家や企業の経営者が使っているときも、相手と自分のどちらの行為について言っているのかすぐに判断できないこともある。多分それは私だけではないであろう。ひょっとするとそれを狙っているのではないかと勘ぐってしまうことすらある。
 このようなことばは、決まり文句に近いので、そう言っておけば間違いない、皆もなんとなく分かってくれるという安心感はある。だが、それで真意が伝わるだろうかという気がしないでもない。
 なんでもかんでも「遺憾」を使えばいいということではなく、このことばを使うときは、どちらの意味で使っているのか相手にすぐにわかるようにするという配慮も必要なのではないだろうか。別のことばに置き換えることも、選択肢のひとつだと思う。

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