第394回
「溜飲」は「下げる」のか「晴らす」のか?

 不平、不満などを解消して、気を晴らすことを「溜飲(りゅういん)」という語を使って「溜飲を―」と言うが、この「―」の部分をなんと言っているだろうか。
 結論から先に述べると、本来の言い方は「溜飲を下げる」である。ところが、「溜飲を晴らす」と言う人がかなりいるようなのである。
 文化庁は「国語に関する世論調査」で、この言い方について、2007(平成19)年度と今年9月に結果を発表した2017(平成29)年度の2回調査を行っている。
 その結果を比較すると、本来の言い方である「溜飲を下げる」を使う人の数がわずかではあるが減少し、新しい言い方である「溜飲を晴らす」を使う人が逆に増えている。そして2017年度の調査では、前者が37.4パーセント、後者が32.9パーセントとそれぞれの割合の差はかなり迫っていることがわかる。
 「溜飲」とは胃の不調による胸焼けなどのことである。それを「下げる」と胸がすっきりするという意味で、「溜飲を下げる」と言い方になった。ただ、日常会話の中で普通に使う語ではないせいか、「溜飲を下げる」という言い方自体よく知らないという人もけっこういそうである。
 文化庁の調査でも、どちらも使わないという人と、わからないという人とを合わせると28.6パーセントもいる。「溜飲を晴らす」と答えてしまった人の中にも、よくわからないままなんとなくこちらの意味だろうと思って、そう答えてしまった人がいるかもしれない。また、「溜飲を晴らす」はふさいだ気持ちを発散させるという意味の「気を晴らす」と意味が似ているので、「晴らす」を使うのではないかと類推した人もいそうである。今年発表された調査でも、10代では56.6パーセントの人が「溜飲を晴らす」を使うと答えているのも、実際に使っているわけではなく、とっさにそのように類推してしまったように思えてならない。
 もしその推察通りだとすると、別の問題も見えてくる。年配者の間ではまだ普通に使われることばを、若い世代にどのように伝えていくかということである。私には従来無かった言い方の「溜飲を晴らす」の割合が増えることよりも、こうしたことばを若者にどうつなげていくかという問題の方が大きいような気がする。

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