日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第396回
「なす」と「なすび」

「一富士(いちふじ) 二鷹(にたか)三茄子(さんなすび)」は、夢に見ると縁起が良いとされているものを順にならべた文句である。正月二日に見る初夢について言われる。
 実は私は子どものころからこの文句が不思議で仕方がなかった。といっても、なんで富士と鷹と茄子なのかということではない。なぜ「なす」ではなく、「なすび」なのかということである。勝手に、「さんなす」と言うよりは、5音の「さんなすび」と言った方が据わりがいいからそう言うのだろうかなどと思っていた。私の周りには、八百屋でこの野菜を見たとき、「なす」とは言っても「なすび」と言う人は誰もいなかったからである。
 「なす」を「なすび」とも言うと知ったのはたぶん中学生になってからで、さらに「なすび」の方が古い言い方だと知ったのは辞書編集者になってからである。
 ナスの起源地はインド東部らしいのだが、西域(せいいき)を通って中国に入り、さらに日本に伝わったらしい。『日本国語大辞典(日国)』によると、『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年頃)という日本最初の漢和薬名辞書に「茄子 和名奈須比」とあり、この「奈須比」が「ナスビ」の例としてはもっとも古い。
 一方の「なす」はというと、やはり『日国』で引用されている、

*御湯殿上日記‐文明一五年〔1483〕五月一五日「松木よりなすの小折まいる」

という例がもっとも古い。『御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)』は、室町時代、禁中の御湯殿(宮中にある天子の浴室)に奉仕する女官が交代でつけた日記で、かな文で書かれている。その中には女房詞が多数見られ、「なす」も女房詞だった可能性が高い。ただ、なぜ「なすび」が「なす」になったのかはよく分からない。
 なお、『日国』は、古くはナスビといったその語末のビは、「アケビ(木通)、キビ(黍)などの植物名に通じるものか」と推測している(「なす(なす)」の語誌)。ではこの「ビ」とは何だろうと思うのだが、残念ながらそこまでは言及していない。だが確かに他にも「アセビ」「ワラビ」など、語末が「ビ」の植物はある。
 また『日国』は、「女房詞の『ナス』が全国的に広まり、近代以降はナスが主流となる。ただ、現在でも西日本ではナスビ、東日本ではナスの形を用いる傾向が見られる」とも述べている。千葉県出身の私が「なすび」を不思議に思っていたのは、このようなわけだったようである。皆さんはいかがであろうか。

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