日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第400回
『玉水物語』のこと

 2019年の大学センター試験で、古文の問題として出題された『玉水(たまみず)物語』が試験の当日から話題になった。その理由というのが面白く、センター試験で「百合物語」を出題するのかというのである。この「百合」ということばの意味は、辞書に載っていない。若者ことばで、女性の同性愛を意味するらしい。かくいう私もその意味を今回のことで初めて知った。
 『玉水物語』は室町時代に成立した御伽草子(おとぎぞうし)である。「御伽草子」とは室町時代から江戸初期にかけて作られた短編物語で、空想的・教訓的な内容で童話風の作品が多い。
 『玉水物語』も高柳(たかやなぎ)の宰相の美しい姫君を見そめた雄ギツネが姫君のおそばにいたいと思い、美少女に変じてある家に養われ、ついに望み通り姫に仕えるというストーリーである。「玉水」というのは姫に仕えたキツネが「玉水の前」と呼ばれたことによる。だが、やがて悲しくも切ない結末が訪れるのだが、ここではそれを詳しく述べることが目的ではない。結末をお知りになりたければ、京都大学図書館機構がインターネットでわかりやすいあらすじを公開しているので、そちらをお読みいただきたい。
 ではこの『玉水物語』の何を話題にしたかったのかというと、文中で使われているオノマトペについてなのである。オノマトペとは、ものの音や声などをまねた擬声語と事象の状態などをまねた擬態語のことだが、一般庶民を対象に書かれた御伽草子にはこれらのことばがけっこう多く使われている。
 センター試験の問題となったのはこの小説のほんの一部分だが、それでも「つくづくと座禅して」「さめざめとうち泣きて」「つやつやうちとくる気色もなく」「ぐちぐち申しければ」などが出てくる。中には現代語としても今でも使われているものもある。
 「つやつやうちとくる気色もなく」の部分は設問にもなっている。「この娘、つやつやうちとくる気色もなく、折々はうち泣きなどし給ふ」という文章について、娘はどのような思いからこのような態度を示したのか、という設問である。これは「つやつや」の意味が分からないと答えられないかもしれない。「つやつや」は古語の重要語で、ここでは下に打ち消しの表現を伴って、まるっきり、きれいさっぱり、まったく、少しもという意味で使われている。この娘(キツネが化けた娘)がまったく打ち解けるようすもなく、ときどきお泣きになる、という意味である。姫君にお仕えする前の、養家での娘の様子を描写した部分で、そのような態度をしているわけは、養母がもってきた縁談を喜ばず沈んだようすを見せれば、自分の願いを養母に伝えるきっかけが得られるだろうという期待からである。高柳の姫君に仕える手だてを練っている、娘(キツネ)のいちずな思いが伝わってくる場面といえる。
 また、「ぐちぐち申しければ」の「ぐちぐち」も面白い。現代語だと「ぐちぐちと文句を言う」の「ぐちぐち」である。ものの言い方が、つぶやくようでよく聞き取れないという意味である。
 この語が使われている場面は、娘が姫に仕えるようになってからのこと。五月半ばのある夜に、ほととぎすがやって来て飛び去っていったので、姫が、ホトトギスが遠く離れたところで鳴いているという意味の和歌の上の句を詠むと、娘が、深い思いと同じようなことで鳴いているのだろうと続けたのである。そしてすぐに娘は、「私の心のうち」とぼそぼそとつぶやくように申し上げたのだ。遠くで鳴くホトトギスの声に、届かぬ姫に対する自分の秘めた思いをなぞらえているのはいうまでも無い。うまい描写だと思う。
 それはさておき、『玉水物語』は古文とはいっても比較的読みやすい文章だと思う。こうした内容の古文をもっと若い人たちに読んでもらったら、古文が面白いと思う人も増えるかもしれない。大学入試の問題で使うだけではもったいない気がして、ついこのような文章を書いてしまった。

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