第405回
新元号と『万葉集』

 新しい元号「令和」の出典が『万葉集』だったということで、『万葉集』がにわかに脚光を浴びている。その上、従来の元号の出典はすべて漢籍だったのだが、新元号は、初めて国書から採られたことでも話題になっている。
 「令和」の出典となった『万葉集』の文章は、皆さんもすでにご存じかもしれない。念のためにおさらいをしておくと、730年正月13日に、九州太宰府にある大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で、梅の花見の宴が催されたときのものである。当時旅人は大宰帥(だざいのそち)、すなわち大宰府長官の地位にあった。この旅人宅に集まった客人たちが、おのおの梅の歌を詠み、それが漢文の序文とともに『万葉集』に収録されているのである。実は『万葉集』では梅の歌は、桜の歌よりも多い。そして、『万葉集』の梅の歌はすべて白梅だと考えられている。
 漢文の序文の書き出しは、「時に初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぐ。梅は鏡前(きょうぜん)の粉(ふん)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」(原文は漢文)とある。折しも、初春のよい月に集えば、気候は良く風は穏やかで、梅の花は鏡の前にある白粉のように白く咲き、その匂いはまるで匂い袋のように香っている、といった意味であろう。この中にある「令月」の「令」と、「風和ぐ」の「和」から、「令和」としたというのである。「令月」とは、何事をするにもよい月という意味。漢字の「令」は、「法令」や「命令」の「令」で、おきて、いましめなどの意味があり、どこか冷たい印象を受ける字だが、「令名」「令夫人」のように、よいという意味もある。「令月」はまさにその意味なのである。
 『万葉集』のこの序文は、実は執筆の際に手本にしたと考えられている中国の文章がある。東晋の書家、王羲之(おうぎし)らが353年3月3日に会稽山陰(浙江(せつこう)省紹興市)の蘭亭に集い,曲水に觴(さかずき)を流し、詩を賦したのだが、そこで作られた詩をまとめた詩集の序文として書かれた「蘭亭序(らんていのじょ)」と呼ばれるものである。また、「令月」は、中国の『文選(もんぜん)』に収録された「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡『帰田賦』文選巻十五)」にあるという「新日本古典文学大系」の指摘もある。『文選』は6世紀前半に成立した、詩文のアンソロジーである。
 古い時代の日本の文学は中国文学から多くを学び発展してきた。そもそもことば自体も漢籍に由来するものも多い。『日本国語大辞典』で日本の文献例のあとに漢籍例を示しているのもそのためなのである。
 こうしたことを踏まえて、「令和」は必ずしも国書だけに拠ったものとはいえないという意見もある。だが、私は「令和」の典拠が『万葉集』だといっても、なんの問題もないと思っている。中国の古典とのかかわりがあることは、『万葉集』のこの梅の歌の序文を読んだ人の中で、さらに興味をもった人が知るようになれば、それでいいことなのではないかと思うのである。
 初めて国書から採った元号だとことさら強調する必要もない気がするが、今、多くの人が『万葉集』に注目してくれていることの方が、高校生のときからの『万葉集』ファンとしては、喜ばしく感じられるのである。

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