第406回
「口を濁(にご)す」は誤りか?

 都合の悪いことなどをはっきり言わずにあいまいに言う、という意味で使われる、「ことばを濁(にご)す」という表現がある。「ことばを濁してなかなか本音を明かさない」などと使う。この「濁す」は、よくわからないようにぼやかす、あいまいにしてごまかすという意味である。
 ところがこれと同じ意味合いで、「口を濁す」と言っている人がいる。文化庁が発表した2016年度の「国語に関する世論調査」でも、「口を濁す」を使う人が17.5パーセントいた。本来の言い方とされる「ことばを濁す」を使う人は74.3パーセントなので、少数派ではあるが無視できない数である。
 ところで、文化庁はこの調査では「ことばを濁す」を本来の言い方だとしているのだが、もちろんそれについて異論があるわけではない。だが、では「口を濁す」は本来の言い方ではないと断言できるのだろうか、という気がしないでもないのである。
 『日本国語大辞典(日国)』によれば、「ことばを濁す」の最も古い例は末広鉄腸(すえひろてっちょう)の政治小説『花間鶯(かかんおう)』(1887~88年)の、
 「声を掛けたらハイと答へて跡で詞を濁(ニゴ)したので、愈(いよい)よ夫れと見抜いたが」
である。
 一方の「口を濁す」だが、『日国』では用例付きで立項されている。その例とは、平野謙が書いた評伝『田山花袋』(1956年)の、
 「口をにごして兄の失職の真因を衝かなかった花袋の怯懦を責めているのである」
というものである。
 ところが、『日国』では引用されていないのだが、それよりも30年ほど古い吉川英治の『鳴門秘帖』(1926~27)という小説の、
「『だが? ……まあ待て』と重苦しい口を濁して、そして、何かいおうとしたことまで黙ってしまった」
という使用例もある。
 もっと綿密な調査が必要なのだが、現時点でいえることは、「ことばを濁す」「口を濁す」ともに近代の例しかなく、それから考えると、どちらが本来の言い方か断定することは難しいのではないかということなのである。

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