日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第417回
何でバカって言うの?

 「ばか」の語源を聞かれ、考える機会があった。『日本国語大辞典(日国)』には、「梵語のmoha =慕何(痴)、またはmahallaka =摩訶羅(無智)の転で、僧侶が隠語として用いたことによるという」と説明されているので、今まで何の疑問も抱かずに、そうなのかと思い込んでいた。「梵語(ぼんご)」とは、古代インドの文章語サンスクリット語のことである。ところが、念のためにいくつかの国語辞典を引き比べてみると、必ずしも梵語説は定説ではないらしいことがわかり、今まで確信していたものがかなり怪しくなってきたのである。
 もちろん、梵語語源説が完全な誤りだとは言えない。『日国』をはじめとして、『広辞苑』『大辞泉』『大辞林』などの中型の国語辞典は、梵語語源説を採っているのだから。ところが、小型の国語辞典では、語源説を示していないものがほとんどなのである。語源説を載せない理由はよくわからないのだが、ひょっとすると、梵語語源説に疑問があるからなのではなかろうかと思えてくる。
 確かに、よくよく考えてみると、なんで、moha =慕何、mahallaka =摩訶羅が、バカになるのかという疑問は存在する。この説は、『広辞苑』の編者として知られる新村出の説なのだが。
 「ばか」の語源説とされるものは、他にもある。「ばか」は漢字で「破家」と書き、これは家財を破るの意で、家財を破るほどの愚かなことという意からその意味になったという説である。
 また、漢字で「馬鹿」と書くが、そのように書く理由とされる故事もある。中国の史書『史記』に見えるもので、秦(しん)の始皇帝の死後に丞相(じょうしょう)となった宦官(かんがん)の趙高(ちょうこう)が、おのれの権勢を試すために、二世皇帝に鹿を献じて馬だと言い張り、群臣の反応を見たという話によるというものである。だがこれは、「馬鹿」という当て字からこじつけた、日本で生まれた俗説であろう。
 このような諸説を並べてみると、「ばか」は、語源のはっきりしない語と考えた方がよさそうな気がしてくる。
 ただ、語源説を調べていく中で、ひとつ心惹かれる説があったので紹介したい。『新明解国語辞典』に載っている、「『はかなし』の語根の強調形」からだという説である。
 「はかなし(はかない)」の意味は、つかの間である、頼りにならないということで、「はかない命」「はかない望み」などと使う語である。「はか」は「計(はか)」のことで、農作業など仕事の目標量、またその実績という意味である。この「はか」は、「はかる(計・量)」「はかどる(捗)」「はかがゆく」などの「はか」と同じ仲間のことばだと考えられている。
 この「はかない」には、思慮分別がじゅうぶんでないという意味もあり、古くは浅はかである、愚かだという意味でも使われていた。例えば、『源氏物語』の「若紫」に、

 「いとはかなう物し給ふこそ、あはれにうしろめたけれ。かばかりになれば、いとかからぬ人もあるものを」

という例がある。幼いときに光源氏に見いだされ、引き取られて後に光源氏の妻となる紫の上のことをいった文章である。その幼げな姿を、ほんとうにたわいなくいらっしゃるのはふびんで気がかりなことです。これくらいのお年になれば、ほんとうにこのようではない人もおりますのに、という意味である。
 この、たわいない、思慮分別がじゅうぶんでないという意味の「はかなし(はかない)」が、強調形となって「はか(ばか)」と言われるようになり、今の愚かだ、無能だという意味で使われるようになった可能性は大いにあるのではなかろうか。
 「ばか」の語源説としてあまり知られてはいない説だが、個人的にはかなり説得力があるような気がしている。そして、それと同時に、ことばに関しては、すべて単純な思い込みは危険だと思ったのであった。

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