第428回
「逸話」は何に関する話か?

 まずは以下の文章をお読みいただきたい。

 「ある人に関する、世間にあまり知られていない話。その人の隠れた面をよく表わしているような話。」

これは、『日本国語大辞典(日国)』の「逸話」という語の語釈である。そしてこれは、他の国語辞典もほとんどが同じ内容である。『日国』ではこの語釈に続いて2つ用例が引用されていて、いずれも近代以降のものである。古い方の例は、

*思出の記〔1900~01〕〈徳富蘆花〉六・一六「伯父の死を聞き知って『彼お丈夫な御方が』とくやみを述べ、猶一場の逸話を語った」

というもの。この用例文中の「逸話」とは、亡くなった「伯父」の隠れた面の話ということであろう。つまり、「ある人」「その人」に関する話だという、『日国』の語釈の内容と合致する。
 ところが、こんな例はどうだろうか。

(1)「先日(こないだ)硯と阿波侯についての話しを書いたが、姫路藩にも硯について逸話が一つある」(薄田泣菫『茶話』1916年)

(2)「かわうその伝承は日本各地に伝わるが、それもかつては身近にいたからこそ。もはや幻となってしまったニホンカワウソからは新たな逸話はうまれない。」(青木奈緖『幸田家のことば 知る知らぬの種をまく』2017年)

 これらの例に共通するのは、いずれも『日国』や他の国語辞典の語釈とは違って、人に関することではないという点である。(1)は「硯」、(2)は「ニホンカワウソ」である。ただ、(1)は前後を読むと「硯」に関するある人物の話のことではあるのだが。だが、私だったら、どちらのケースも、「伝説」とか「エピソード」などとすると思う。もっとも「エピソード」にも「逸話」同様、ある人に関する話という意味もあるのだが。
 また、私の知人は「○○市の逸話」のように、人ではなく地名に対してこの語を使っていた。「硯」「ニホンカワウソ」「○○市」に人格的なことを認めて、「逸話」と言っているのだと説明できるのかもしれないが、少し無理がありそうだ。さらに、テレビでよく顔を見かける日本語学者が書いた文章で、「北風と太陽」の話を「逸話」と言っているのを読んだこともある。私だったら、これは「寓話」にする。
 いずれにしても、辞書に記載された「逸話」の意味では説明しきれない使用例が、多くはないが見られるということである。「逸話」の意味の範囲が拡大しているということなのだろう。
 だとすると、今後「逸話」の語釈は、元来は人限定なのでその意味は残しつつも、そのものやものごとにまつわる興味深い話という意味を追加した方がいいのかもしれない。そう思って『三省堂国語辞典』第7版を引いてみたら、すでにそのように書かれていた。恐らく現状をふまえての判断なのであろう。さすがである。

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