第430回
「収束」から「終息」へ

 いささか気が早いのだが、期待をこめて書いておこうと思う。「シュウソク」という語についてである。もちろん、新型コロナウィルス感染症のことに他ならない。 「シュウソク」は、同音語の「収束」と「終息」とがあり、同義語ではないが意味はかなり近い。そのためだろう、執筆者や発言者によって、どちらを使うのかいささか混乱があるように見受けられる。文字で書かれたものは見ればわかるのだが、口頭で述べられたものだと、どちらなのだろうかと思うこともある。どちらも、感染症がおさまるという意味で使われているのだから、どちらを使っても問題はなさそうだが、辞書編集者としてはやはり気になるところだ。
 例えば、国会の本会議、委員会での発言を、速記者はどうしているのだろうかと思ったのである。そこで国会会議録検索システムを調べてみると、こんなことがわかった。新型コロナに関しては3月になってからだと、「収束」は26回、「終息」は67回使われている(4月7日現在の数字)。具体的に見てみると、第201回国会-衆議院-経済産業委員会-第3号-令和2年3月18日では以下のようになっている。

 「まずは感染の拡大を防止し、その流行を早期に収束させることこそが、まずは経済の観点からも最大の課題だと考えております」

とある一方で、その直後の別の人の発言では、

「まずは感染拡大の終息を目指していくということがまず第一でありますけれども」、

と書かれている。予想通り、「収束」「終息」が混在しているのだ。発言者は「シューソク」と言ったので、速記者が自分で漢字に変換して書いただろう。わずかな間に異なった語になったのは、速記者は5分ごとに交替していると同システムのサイトで説明しているので、ひょっとすると速記者が交替したのかもしれない。ただ、二番目の発言は、発言者の意図はわからないが、「収束」の方がふさわしいような気もする。
 もちろん私は、どちらかを使うべきだといいたいわけではない。ましてや揚げ足を取ろうなどと思っているわけでもない。ただ、辞書的にこの2語がどう違うのか説明しておきたいと思っただけである。
 「収束」は、文字通り集めてたばねるということで、これが、ばらばらになっていたり混乱していたりしたものが一つにまとまって収まりがつくという意味になる。
 例えば『日本国語大辞典(「日国」)』で引用している「収束」の例、夏目漱石の『道草』(1915年)は、「云ふ事は散漫であった。〈略〉収束(シウソク)する所なく共に動いてゐた健三は仕舞に飽きた」(九六)というものである。これだけだとちょっとわかりにくいので補足すると、留学から帰った主人公の健三は大学教師になり研究に没頭するのだが、縁を切ったはずの昔の養父島田が現れ金を無心してくるのである。引用文は、その島田からの指示で健三のもとに来た男との話し合いに、なかなか収まりがつかないということを述べているのである。
 これに対して「終息」は「終」という漢字が含まれているように、物事がおわること、やむことをいう。『日国』の引用例の一つ、司馬遼太郎の『美濃浪人』(1966年)は、「とりあえず下関海峡での対外戦を終熄(シュウソク)させようとした」
というものだが、戦争をおわらせるという内容である。
 これを新型コロナウィルス感染症に当てはめてみると、こういうことになるだろう。「収束」は感染者の数を小さくおさめるということで、感染者がまだ出ていたとしても新たな感染者は減少し始めている状態、「終息」は新規の感染者がほぼ出なくなった状態ということになるのではないだろうか。つまり、まずは「収束」を目指し、最終的には「終息」を目標にするということになるのではないか。
 このコラムが掲載されたころには、少しでも「収束」の見込みがついていることを願ってやまないのである。

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