第440回
「ぞっとしない」は怖いわけではない

 「ぞっとする」といえば、恐怖などを感じて、からだが震え上がるという意味である。たとえば、太宰治の『ヴィヨンの妻』(1947年)に

 「女のほそい声が玄関で致します。私は、総身に冷水を浴びせられたように、ぞっとしました。」

とあるように使う。この場合は、泥酔した夫が帰宅したあとに、「ごめん下さい」という女の声が玄関でしたので、「私」が動揺したり恐怖を感じたりしたという意味であろう。
 ところで「ぞっとする」に対して、「ぞっと」と「しない」が結びついた「ぞっとしない」という言い方がある。「ぞっと」を否定しているわけだから、恐ろしくないという意味のように思えるかもしれないが、実はそうではないのである。
 たとえば、『日本国語大辞典』で引用されている夏目漱石の『草枕』(1906年)の例、

*草枕〔1906〕〈夏目漱石〉五「然もそれを濡らした水は、幾日前に汲んだ、溜め置きかと考へると、余りぞっとしない」

は、数日前にくんだ古い水に対して「ぞっとしない」と言っているが、その水が恐ろしくないという意味ではなさそうだ。ためおかれた古い水なので、いい気持ちがしないと言っているのである。
 つまり「ぞっと」は、「ぞっとする」と「ぞっとしない」とで、「ぞっと」の意味が異なるわけである。
 ところが、文化庁が発表した2016年度の「国語に関する世論調査」では、「今回の映画は、余りぞっとしないものだった」を、「面白くない」と「恐ろしくない」の、どちらの意味だと思うかと尋ねたところ、「面白くない」と答えた人が、22.8パーセント、「恐ろしくない」と答えた人が、56.1パーセントという結果になった。文化庁は、「面白くない」の方を本来の意味だと説明しているが、確かにその通りで、「今回の映画は、余りぞっとしないものだった」は、映画は怖くなかったという意味ではなく、面白くない、感動することのない映画だったという意味なのである。だが、この調査ではそう答えた人の方が少ない。
 実は、「ぞっと」には、恐ろしさなどでからだが震え上がるようなさまという意味の他に、美しいものなどに出会ったときに、強い感動が身内を走り抜けるという意味があり、「ぞっとしない」はそれを否定した言い方なのである。
 ただ、「ぞっとしない」という語は、ひょっとすると日常語として使っている人はかなり減っているのかもしれない。そのため、文化庁の調査でも、文字通りの意味に解釈して「恐ろしくない」と答えた人が多くいた可能性はある。そうではあっても、「ぞっとしない」という言い方がまったくすたれたというわけではなさそうなので、本来の意味も知っておいた方がいいと思うのである。

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