日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第46回
「矢先」はいつのこと?

 朝日新聞の販売店が月1回折り込みで配布している地域情報紙(販売店のホームページにも掲載)に、千葉県館山支局長の清水弟さんという方が「美しい日本語」というコラムを連載している。面識はないのだが、タイトルに惹かれて毎回楽しみに読ませていただいている。
 昨年の12月には「矢先」ということばを取り上げ、「誤用がはびこっている」という指摘をなさっていた。「矢先」の本来の意味は「事が始まろうとする、しようとする、ちょうどそのとき」(『日本語新辞典』)という意味だが、「直後」の意味で使われているものがあるというのである。
 確かにそうした用例があることは筆者も確認していて、たとえば岡本綺堂の『半七捕物帳』(1917~36)の「雷獣と蛇」にも、
 「このあいだの事件のあった矢先であるので、重吉の死は雷獣の仕業であると決められてしまった。」
とある。
 新聞や放送などは、「直前」の意味で「直後」の意味とはしないとしているのだが、清水記者も触れているように、辞典では『広辞苑』だけが「その直後」という意味を付け加えている。その意味が加わったのは1991年の第4版からで、どのような判断がその時にあったのか辞典編集者としては気になるところだ。
 清水記者は「慣用・誤用であってもそれが世の中に広がって定着すれば、そちらが正しくなる」「それだからこそ、言葉へのこだわりを守って、小さな抵抗を続けていきたい」と結んでいる。
 辞典は規範性を重んじるべきか、ことばの現象の後追いに徹するべきか、辞典編集者としては常に悩むところだが、肝に銘じなければならないことばだと思う。

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