第446回
「平素」を何と読むか?

 もちろん「平素」は、通常は「へいそ」と読む。ごくあたりまえの状態や状況の中で生活しているとき、という意味である。「平素から健康にはじゅうぶん注意している」とか、手紙などでは「平素のごぶさたをお許しください」などと使う。
 だったら、他にいったいどんな読み方があるのだ、と思ったかたもいらっしゃるに違いない。
 日本語には、「熟字訓(じゅくじくん)」と呼ばれている読み方ある。漢字2字に一つの訓を対応させた語のことで、「大人(おとな)」「紅葉(もみじ)」「今日(きょう)」などがそれである。「熟字訓」の主なものは、「常用漢字表」の付表に掲載されていて(熟字訓以外の当て字も含む)、この付表はインターネットで見ることもできるので興味のあるかたはぜひご覧いただきたい。けっこう難読語もあると思う。
 今回取り上げた「平素」は付表にはないが、昔の作家はこの語をけっこう自由に読ませようとしていたので、紹介してみたいと思う。引用した例は、その作家独自の読み方とは限らないものも多いし、また、その作家も読みを固定せず、時として使い分けていることもある。

「平素(いつ)」:「糠袋には平素(いつ)よりも多分の洗粉を仕込み」(尾崎紅葉『二人女房』(1891~92))

「平素(ひごろ)」:「さなきだに平素(ひごろ)より随喜渇仰の思ひを運べるもの」(幸田露伴『五重塔』(1891~92))

「平素(つね)」:「平素(つね)には似ず、大袈裟に一つぽっくりと礼をばする」(幸田露伴『五重塔』(1891~92))

「平素(しょっちゅう)」:「平素(しょっちゅう)もう疑惧(うたがひ)の念を抱いて苦痛(くるしみ)の為に刺激(こづ)き廻されて居る自分の今に思ひ比べると」(島崎藤村『破戒』(1906))

「平素(ふだん)」:「平素(ふだん)から芸人には似合はない一本気な我儘な御世辞のない瀬川のこと」(永井荷風『腕くらべ』(1916~17))

「平素(いつも)」:「意外にも、その日の曾根は涙ぐんでゐるやうな人であった。何となく平素(いつも)よりは萎(しお)れてゐた」(島崎藤村『家』(1910~11))

 これらの例を見ると、要するに「平素」は「いつ」「ひごろ」「つね」「しょっちゅう」「ふだん」「いつも」という語と同義語だということがわかる。ただ、それぞれの例文を丹念に見ると意味が微妙に異なるので面白い。中には、「平素」と書いていながら、「へいそ」と読ませると印象が硬くなってしまうため、わざわざ柔らかな和語で読ませようとしたのではないかと思えるものもある。
 このように熟語を自由に読ませることができる日本語って、本当に面白いと思う。そして、それを表現できるルビ(振り仮名)も、すごい発明だったのではないだろうか。感心しているのは私だけかもしれないが。

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