第447回
「却下」するものは何?

 とあるサイトでことばに関するコラムを連載しているのだが(このJapanKnowledgeではない)、少しストックを作っておこうと思って、前倒しで原稿を何本か送ったときのことである。担当者から、そのうちの2本は、内容が「ユーザーの年代を考慮すると、たぶん反応が悪いので、却下とさせていただきます」という連絡をもらった。
 読者対象に合わせた原稿でなかったことは、私のいたらなさなのだが、「却下」と言われて、これは「日本語、どうでしょう?」のネタになると思った。もちろん、そう言われて腹を立てたわけではない。純粋にことばの話である。
 「却下」は、例えば『デジタル大辞泉』によれば、

(1) 願い出などを退けること。
(2)裁判所・官庁などの国家機関が、訴訟上の申し立てや申請などを取り上げないで排斥すること。民事訴訟では、訴えの内容を審理しないで不適法として門前払いすることをいい、棄却と区別される。

と説明されている。この語釈の内容は、ほとんどの国語辞典も同様だろう。最近第8版が刊行された『新明解国語辞典』も、(2)の意味だけである。だがこれだと、私の原稿を採用しないということに対して担当者が使った「却下」は説明できない。私は、願いや申請、申し立てをしたわけではなく、ましてや法律上の行為をしたわけではないのだから。
 このような場合、俗に「ボツ(没)」と言う。ひょっとすると、その担当者は「ボツ」の方がきつい表現だと考えたのかもしれない。だがそれとは裏腹に、言われる側としては、「却下」の方が問答無用で門前払いを食らったような気がしないでもない。おそらく、本来の意味を考えてしまうからであろう。
 だが、実際には、原稿を採用しない「ボツ」という意味で「却下」を使うこともあるようで、以下のような使用例がある。

 「同時にこれまで何度も描き直しては持ち込むものの却下され続けた自分の漫画の欠点に気が付きました。」(嶽本野ばら『変身』 2007年)

 この例は、ひとつだけ私の場合と違う点がある。「却下」する側ではなく、「却下」される側が使っているということである。面白いことに立場の違いによって、ことばから受ける印象が違うように感じられる。私自身もいささか自虐的な意味合いを込めて、「原稿を書いて送ったんだけどさ、却下されちゃった」などと言いそうだ。
 このような「却下」の新しい意味は、ほとんどの国語辞典の語釈では説明できないと書いたが、実は『三省堂国語辞典』第7版では、法律用語の他に、「採用せず、しりぞけること。」という意味を載せ、「提案を却下する」という例文を添えている。この説明だと、「却下」は願いごと、申し立て、申請以外にもいえることになるので、私の原稿が「却下」されたことも説明できる。今後この新しい意味を載せる、あるいは語釈を改変する辞書は増えていくかもしれない。
 ただ、定年退職後も一応編集者のつもりである私としては、多くの辞書にこの新しい意味が載るようになったとしても、原稿を不採用にする際に、相手に「却下」と言うことはないと思う。

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