第448回
「教鞭(きょうべん)をとる」と言ってはいけない?

 教師となって教えることを、「教鞭をとる」という。たとえば、『日本国語大辞典(日国)』で引用されている、国木田独歩作の短編小説『日の出』(1903年)の例のように、

「校長大島氏は四五人の教員を相手に二百余人の生徒の教鞭を採って居られます」

と使う。
 「教鞭」の「鞭」はむちのことで、今では考えられないことだが、かつては教師が授業で教えるためにむちを用いることがあった。このむちは、授業のとき教師が出来の悪い生徒や言うことを聞かない生徒を打つためのものというよりも、教授内容を指示するのに用いるものだった。これを手にとって指導することから、「教鞭をとる」で、教師となって学生や生徒に教えるという意味になったのである。
 ところが物がむちであるため、これで生徒を打つ教師がいたことも確かなようだ。やはり『日国』で引用されているものだが、中勘助の『銀の匙』(1913~15年)にこんな例がある。

「中沢先生は〈略〉どうかしてかっとすれば教鞭でもってぐらぐらするほどひとの頭をぶったりした」(後・一)

 この「中沢先生」のような教師は、昔はけっこういたのかもしれない。私が中学生だったときに、むちではないが「精神注入棒」と書いた棒を授業で使う教師がいた。黒板を指し示すためのものだったのだが、あるとき私の同級生が質問に答えなかったというだけで、それでめった打ちにされるというとんでもない事件がおきた。いつの時代のどこの話かとお思いかもしれないが、戦前のことではない。
 話がいささか脱線したが、実は新聞ではこの「教鞭をとる」を使わないようにしているらしい。たとえば、共同通信社の『記者ハンドブック』で「教鞭を執る」を見ると、「教える」「教壇に立つ」などと書き換えるようにしている。なぜそのように書き換えなければならないのか。
 「鞭」という漢字は常用漢字でないため、「教べん」と書くと意味がよくわからなくなることから、「教鞭」を使わないように書き換えるのだろうかと考えたのだが、そうではなさそうなのだ。というのは、別の用字用語集である時事通信社の『最新用字用語ブック』を見ると、『記者ハンドブック』にはない[注]が添えられている。そこには、「『鞭』が体罰を連想させるため、言い換える」という説明がある。おそらく、『記者ハンドブック』も同様の判断なのだろう。
 だが、これは実に不思議な理由だ。確かにかつてはむちで生徒を打つこともあったかもしれない。だが、「教鞭をとる」は教えるという意味の普通の慣用句なのである。しかも「鞭」という漢字は「鞭撻」という熟語でもよく使われるが、この「鞭撻」だって本来の意味はむちで打って懲らしめるということである。それが、努力するように励ますことをいうようになり、「御指導御鞭撻のほどお願い申しあげます」と広く使われるようになったのである。
 ことばづかいはあまり神経質になりすぎて制限を加えると、なんだか息苦しくなりそうだ。

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