第449回
「是々非々」と太宰治

 政治用語ではないのだが、政治家が好んで使う語がある。今回取り上げる「是々非々」も、間違いなくその一つだろう。よいことはよいと、悪いことは悪いと、公平な立場で判断するという意味の語である。
 インターネットで公開されている「国会会議録検索システム」でこの語を検索してみると、2020年12月10日現在、全体で398件使われている。最新の使用例は、2020年10月30日の「第203回国会参議院本会議第3号」にある

 「私ども日本維新の会は、菅政権に対しても前政権と同様、是々非々主義で対してまいります」

というものである。
 「是々非々」には出典があり、中国、戦国時代(前313年ころ~前238年ころ)の思想書『荀子(じゅんし)』に出てくる。読みやすくするために書き下し文にすると、以下のような内容である。

 「是を是とし非を非とする、これを知といい、是を非とし非を是とする、これを愚という」(修身)

 この「是々非々」はけっこう古くから政治家が好むことばだったらしく、最初に示した「第203回国会参議院本会議第3号」の例にある「是々非々主義」について、『日本国語大辞典(日国)』は面白い例を引用している。

*新しき用語の泉〔1921〕〈小林花眠〉「是々非々主義(ゼゼヒヒシュギ)〈略〉これが原政友会総裁の常套句となってから、その不断の行動と性格とに照らし見て、言外の意味を蔵する一種の新流行語となった」

 「是々非々主義」は大正時代に平民宰相と呼ばれた原敬(はらたかし)の決まり文句で、一種の流行語になっていたというのである。『新しき用語の泉』は当時の新語辞典である。だが、実は原は、この新語辞典が刊行された年の11月4日に、東京駅で暗殺されてしまう。
 「是々非々主義」という語も国会でしっかりと使われ続けていて、「国会会議録検索システム」によれば、これまでに35件見つかる。
 ところで、私が「是々非々」を「国会会議録検索システム」で検索する気になったのは、政治家がしばしばこの語を口にするのに気づいたからだが、もう一つ大きな理由がある。『日国』の「是々非々」の解説の中で、太宰治の小説『ロマネスク』(1934年)のこんな例を見つけたからなのだ。後半を補って引用する。

 「彼の気質の中には政治家の泣き言の意味でない本来の意味の是々非々の態度を示さうとする傾向があった。それがために彼は三島の宿のひとたちから、ならずもの、と呼ばれて不潔がられてゐた」(喧嘩次郎兵衛)

 太宰は政治家が「是々非々」を使う心理を見抜いていたのだ。そしてそれをさりげなく小説の中で使ってみせる。この言語感覚こそ、私が太宰を愛してやまない理由の一つなのである。

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