第450回
「善処」──政治用語ではないが・・・
2021年01月25日
政治家が好んで使う語のランキングを調べたら、間違いなくこの語はトップテンに入るだろう。「善処」のことである。
そう思って、第1回国会(1947年5月)から国会会議録で検索してみることにした(2020年12月まで)。ただし、単に「善処」で検索すると21,127件もある。その中には自分から「善処する」と言っているのではなく、相手に「善処」を求めているものもあったので、政治家が好んで使いそうな形をいくつか想定して検索してみた。私が思いつかなかった言い方も他にあると思うが、以下のような結果となった。
「善処したい」 2,668件
「善処いたしたい」 3,630件
「善処してまいりたい」 1,006件
「善処してまいる」 130件
「善処する所存」 34件
「善処していきたい(行きたい)」 667件
これらを多いとみるべきかどうか・・・・・・
当然のことながら、「善処」は政治用語ではない。にもかかわらず、『日本国語大辞典(日国)』で「善処」を引いてみると、「事に応じて、適切に処置すること。うまく処理すること」という語釈に続いて、まず政治にかかわる用例が引用されている。このような例だ。
*内閣告諭号外‐昭和一四年〔1939〕八月一一日「事変の推移に善処し、国際政局の情勢に対応し」
1939年に内閣が発した告諭からのものだが、近現代史に詳しいかたなら、この日付を見て、何に対しての告諭か即座におわかりかもしれない。「事変」とは、この年に満州国とモンゴル(外蒙古(もうこ))の国境ノモンハン付近で起きた、日本とソ連両軍の大規模な武力衝突「ノモンハン事件」のことである。
告諭では「事変の推移に善処し」と書かれているが、この9日後の8月20日から、ソ連軍から大規模な総攻撃を受け、日本の部隊の多くは壊滅的な大敗を喫してしまった。さらに8月23日には独ソ不可侵条約が成立し、この事態を予測できなかった平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)内閣は同じ月の28日に総辞職している。何を「善処」しようとしたのだろうか、という気がしないでもない。
話を「善処」という語に戻すと、この告諭の例が『日国』では「善処」の最も古い例になっている。だが、だからといって、このとき初めて「善処」が使われたということではない。『日国』第2版編纂時には、これ以上古い例が見つけられなかったのである。
ただ、帝国議会会議録検索システムの方で検索すると、1923年(大正12年)12月11日の「第47回帝国議会 衆議院 開院式勅語奉答文起草の件委員会 第1号」に、
「聖旨を奉体し慎重審議協戮して災後に善処し上」
という使用例のあることがわかる。これは、「開院式勅語奉答文起草の件」とあるように、帝国議会では開院式(現在の開会式に当たる)に天皇から開会の勅語を賜わる式を行っていたのだが、その勅語に対する奉答文の文案に関する討議内容のようだ。もし、この開院式勅語奉答文が文書化されていて、そこに「善処」が使われていたら、現在の『日国』の「善処」の例よりも16年ほど古い例ということになる。ただ、現時点では未確認である。
難解な語が多いので『日国』によって語句の説明をしておく。「聖旨」:天子の思し召し、「奉体」:うけたまわって、よく心にとめること。また、それを実行すること、「協戮」:ともに心や力をあわせて、事に当たること、という意味である。また「災後」はこの年の9月1日に起きた「関東大震災」以後ということである。
「善処」の古い例が、政治家が使っているものが多いというのは、私の調べ方が偏っているせいなのかもしれないが、政治家が好んで使う語であることは間違いないだろう。
適切に処置をすると言っているだけで、具体的な内容には触れないでも済むところが、このことばが好まれる最大の理由なのかもしれない。だが、もちろんそれは「善処」のせいではなく、使う側の意識の問題である。
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「善処したい」 2,668件
「善処いたしたい」 3,630件
「善処してまいりたい」 1,006件
「善処してまいる」 130件
「善処する所存」 34件
「善処していきたい(行きたい)」 667件
これらを多いとみるべきかどうか・・・・・・
当然のことながら、「善処」は政治用語ではない。にもかかわらず、『日本国語大辞典(日国)』で「善処」を引いてみると、「事に応じて、適切に処置すること。うまく処理すること」という語釈に続いて、まず政治にかかわる用例が引用されている。このような例だ。
*内閣告諭号外‐昭和一四年〔1939〕八月一一日「事変の推移に善処し、国際政局の情勢に対応し」
1939年に内閣が発した告諭からのものだが、近現代史に詳しいかたなら、この日付を見て、何に対しての告諭か即座におわかりかもしれない。「事変」とは、この年に満州国とモンゴル(外蒙古(もうこ))の国境ノモンハン付近で起きた、日本とソ連両軍の大規模な武力衝突「ノモンハン事件」のことである。
告諭では「事変の推移に善処し」と書かれているが、この9日後の8月20日から、ソ連軍から大規模な総攻撃を受け、日本の部隊の多くは壊滅的な大敗を喫してしまった。さらに8月23日には独ソ不可侵条約が成立し、この事態を予測できなかった平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)内閣は同じ月の28日に総辞職している。何を「善処」しようとしたのだろうか、という気がしないでもない。
話を「善処」という語に戻すと、この告諭の例が『日国』では「善処」の最も古い例になっている。だが、だからといって、このとき初めて「善処」が使われたということではない。『日国』第2版編纂時には、これ以上古い例が見つけられなかったのである。
ただ、帝国議会会議録検索システムの方で検索すると、1923年(大正12年)12月11日の「第47回帝国議会 衆議院 開院式勅語奉答文起草の件委員会 第1号」に、
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という使用例のあることがわかる。これは、「開院式勅語奉答文起草の件」とあるように、帝国議会では開院式(現在の開会式に当たる)に天皇から開会の勅語を賜わる式を行っていたのだが、その勅語に対する奉答文の文案に関する討議内容のようだ。もし、この開院式勅語奉答文が文書化されていて、そこに「善処」が使われていたら、現在の『日国』の「善処」の例よりも16年ほど古い例ということになる。ただ、現時点では未確認である。
難解な語が多いので『日国』によって語句の説明をしておく。「聖旨」:天子の思し召し、「奉体」:うけたまわって、よく心にとめること。また、それを実行すること、「協戮」:ともに心や力をあわせて、事に当たること、という意味である。また「災後」はこの年の9月1日に起きた「関東大震災」以後ということである。
「善処」の古い例が、政治家が使っているものが多いというのは、私の調べ方が偏っているせいなのかもしれないが、政治家が好んで使う語であることは間違いないだろう。
適切に処置をすると言っているだけで、具体的な内容には触れないでも済むところが、このことばが好まれる最大の理由なのかもしれない。だが、もちろんそれは「善処」のせいではなく、使う側の意識の問題である。
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