第455回
「豊臣秀吉は人たらしの名人だった」
2021年04月05日
表題のような言い方をすることはないだろうか。
実は、このような意味で使われる「人たらし」は本来のものでないため、誤用だという人がいる。『日本国語大辞典(日国)』では、「人をだますこと。また、その人」と説明しているのだが、これが「人たらし」の本来の意味である。ところが、表題で使われている「人たらし」は、多くの人に好かれる、とりこにしてしまうといった意味である。ほとんど正反対の意味といえるだろう。
『日国』もそうなのだが、この語を立項している辞書のほとんどは、「人誑し」という表記だけを示している。「誑」という漢字は、訓は「たらす」で、たぶらかす、あざむくという意味である。「人たらし」は、まさに人のことをだますということなのである。「女たらし」「男たらし」という語もあるが、これは女(男)を誘惑してもてあそぶことや、そのようなことをする人をいう。決していい意味ではないし、今でもそれは変わっていない。
ところが、「人たらし」の方はどうだろう。近年、プラスの評価で使われることも増えてきたのである。
この新しい意味の「人たらし」は、作家の司馬遼太郎が使ったために広まったといわれている。たとえば、豊臣秀吉の半生を描いた『新史太閤記』(1968年)でも、「人蕩(たら)し」が繰り返し使われている。
「猿はこの点、天性の人蕩しらしい」(上総介)
「これは容易ならぬ人蕩しかもしれぬな」(半兵衛)
「そのあたりが、この男の人蕩しの機微であるのかもしれない」(南殿)
といったように。これらの例はいずれも秀吉のことである。
ここで一つ注目していただきたいのは、司馬が「人蕩し」と表記している点である。「蕩」という漢字は「トウ」と読むが、揺れ動くとか豊かに広がる、ほしいままにするといった意味がある。また、「とろける」「とろかす」とも訓(よ)み、惑わされて本心を失う、またそのようにさせるという意味もある。私は、司馬が「誑」ではなく「蕩」を使ったところに、意図的なものを感じるのである。つまり、自身が使う「人蕩し」は本来の意味とは異なると表明しているような。実際、『新史太閤記』の中では、「蕩」を単独でも使っている。
「半兵衛も、猿のその、いわば滴(したた)るような可愛気に蕩(とろ)かされた」(調略)
この、司馬によって新しい意味が付け加えられた「人たらし」だが、どうしたわけか小型の国語辞典では、本来の意味も含めて、『三省堂国語辞典』しか立項されていない。中型の国語辞典になるとさすがに立項されているが。私は、司馬が使ったからというわけではなく、この新しい意味も誤用ではないと思うので、いずれ『日国』にも、多くの人に好かれる、とりこにしてしまうという意味を追加したいと思っている。もちろん司馬遼太郎の例を添えて。
最後にもう一つ、司馬遼太郎はやはりすごいと思うことがある。司馬以外が使った「人たらし」の使用例を見ると、そのほとんどが豊臣秀吉についてのものだからである。秀吉にそのようなイメージを定着させたのも、間違いなく司馬だろう。
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実は、このような意味で使われる「人たらし」は本来のものでないため、誤用だという人がいる。『日本国語大辞典(日国)』では、「人をだますこと。また、その人」と説明しているのだが、これが「人たらし」の本来の意味である。ところが、表題で使われている「人たらし」は、多くの人に好かれる、とりこにしてしまうといった意味である。ほとんど正反対の意味といえるだろう。
『日国』もそうなのだが、この語を立項している辞書のほとんどは、「人誑し」という表記だけを示している。「誑」という漢字は、訓は「たらす」で、たぶらかす、あざむくという意味である。「人たらし」は、まさに人のことをだますということなのである。「女たらし」「男たらし」という語もあるが、これは女(男)を誘惑してもてあそぶことや、そのようなことをする人をいう。決していい意味ではないし、今でもそれは変わっていない。
ところが、「人たらし」の方はどうだろう。近年、プラスの評価で使われることも増えてきたのである。
この新しい意味の「人たらし」は、作家の司馬遼太郎が使ったために広まったといわれている。たとえば、豊臣秀吉の半生を描いた『新史太閤記』(1968年)でも、「人蕩(たら)し」が繰り返し使われている。
「猿はこの点、天性の人蕩しらしい」(上総介)
「これは容易ならぬ人蕩しかもしれぬな」(半兵衛)
「そのあたりが、この男の人蕩しの機微であるのかもしれない」(南殿)
といったように。これらの例はいずれも秀吉のことである。
ここで一つ注目していただきたいのは、司馬が「人蕩し」と表記している点である。「蕩」という漢字は「トウ」と読むが、揺れ動くとか豊かに広がる、ほしいままにするといった意味がある。また、「とろける」「とろかす」とも訓(よ)み、惑わされて本心を失う、またそのようにさせるという意味もある。私は、司馬が「誑」ではなく「蕩」を使ったところに、意図的なものを感じるのである。つまり、自身が使う「人蕩し」は本来の意味とは異なると表明しているような。実際、『新史太閤記』の中では、「蕩」を単独でも使っている。
「半兵衛も、猿のその、いわば滴(したた)るような可愛気に蕩(とろ)かされた」(調略)
この、司馬によって新しい意味が付け加えられた「人たらし」だが、どうしたわけか小型の国語辞典では、本来の意味も含めて、『三省堂国語辞典』しか立項されていない。中型の国語辞典になるとさすがに立項されているが。私は、司馬が使ったからというわけではなく、この新しい意味も誤用ではないと思うので、いずれ『日国』にも、多くの人に好かれる、とりこにしてしまうという意味を追加したいと思っている。もちろん司馬遼太郎の例を添えて。
最後にもう一つ、司馬遼太郎はやはりすごいと思うことがある。司馬以外が使った「人たらし」の使用例を見ると、そのほとんどが豊臣秀吉についてのものだからである。秀吉にそのようなイメージを定着させたのも、間違いなく司馬だろう。
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