第459回
蝶を「羽(わ)」で数えてはいけない?

 前回、動物を数えるのに古くから「頭」を使っていた証拠として、『延喜式(えんぎしき)』(927年)の「二〇・大学寮」の例を引用した。実はその直後にとても興味深い部分があるので、まずはそれを紹介したい。前回引用したものと一部重複するが、再度引用する。

 「右六衛府別大鹿。小鹿。豕各一頭。先祭一日進之。以充牲。其莵一頭」

 『延喜式』は、平安時代中期に完成した法典である。引用した部分は、孔子を祭る儀式(釈奠(せきてん))に供える、三種類のいけにえについて述べている。三種類というのは大ジカ、小ジカ、イノシシ(豕)のことだが、儀式に先立ち、「莵一頭」もいけにえにしたようである。「莵」はもちろんウサギのことである。
 ここでウサギを「一頭」と数えている点に注目していただきたい。最近のペットショップなどでは、ウサギを「頭」で数えているところもあるが、やはりウサギは、「匹」か「羽(わ)」で数えるのが普通だろう。だが、それは現代人の勝手な思い込みで、古くはけっこう自由に数えていたのかもしれない。あるいは、いけにえとするものは「頭」と数えていたのだろうか。
 ウサギを数えるとき、「羽(わ)」で数えると教わった人もいるかもしれない。鳥ではないのに「羽」を使って数える理由として、昔は獣 (けもの) を口にすることができなかったので、二本足で立つことが多いウサギを鳥だとこじつけて食べたためだとか、ウサギの大きな耳が鳥の羽のように見えるためだとかいった説を聞いたことがあるだろう。実は諸説あって、その理由はよくわからないのである。ただ、今ではウサギを数えるときは、「匹」の方が一般的だろう。
 ところで、前回も触れた『数え方の辞典』(2004年 小学館)の「わ【羽】」のところに、以下のような説明がある。
 「トンボやセミのように羽があって飛ぶ昆虫や、羽のある空想上の動物のペガサスを『羽』で数えることはできません」
 「羽」は鳥を数えるときに使う語で、昆虫や、ましてやペガサスを数えるときには使わないということだが、もちろんこの説明に対して異議を唱えるつもりは毛頭ない。
 ただ、実際には昆虫を「羽」で数えている例があるということを、述べておきたいのである。それは芥川龍之介の『妖婆』(1919年)という小説の中にある。このような部分だ。

 「新蔵のかぶってゐる麦藁帽子の庇をかすめて、蝶が二羽飛び過ぎました」

このチョウは、「烏羽揚羽」だという。カラスバアゲハで、クロアゲハの別名である。クロアゲハは「羽(はね)」の大きなチョウなので、ひょっとすると芥川は「羽(わ)」で数えたくなったのかもしれない。
 芥川のこの例だけだったら、芥川独自の用法だと結論づけることもできそうだ。ところが、昆虫を「羽」で数えているのは、実は芥川だけではない。たとえば、夏目漱石は『草枕』(1906年)の中でやはりチョウを、泉鏡花は『夫人利生記(ぶにんりしょうき)』(1924年)の中で赤トンボを「羽」で数えている。
 チョウやトンボを「羽(わ)」で数えるなんて、『数え方の辞典』だけでなく、一般的な感覚からしても誤用と言うべきなのかもしれない。だが、私にはそれらをまったくの誤用だとは言い切れない気がするのである。
 原則は大事だが、ことばづかいはあまり窮屈に考えない方がいいと思うからである。

●神永さん著『辞書編集者が選ぶ美しい日本語101』発売中!
 辞書編集者・神永さんが厳選した、100年後にも残したい美しい日本語101について解説することばについてのコラム集。文学作品から使用例を取り上げているため、作家の言葉に対する感性も知ることができます。作品や作家の隠れたエピソードもふんだんに紹介されており、文学案内としても楽しめます。
『辞書編集者が選ぶ美しい日本語101~文学作品から知る100年残したいことば』は時事通信社より発売中!

キーワード:

ジャパンナレッジとは

ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額600万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題のインターネット辞書・事典サイト。
日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。

ジャパンナレッジ Personal についてもっと詳しく見る