第460回
「故郷」は「ふるさと」ではない?

 「兎(うさぎ)追いしかの山 小鮒(こぶな)釣りしかの川」という歌い出しの唱歌「故郷」は、多くのかたがご存じだろう。1914年(大正3年)の『尋常小学唱歌6』に収録された、高野辰之作詞、岡野貞一作曲のいわゆる文部省唱歌である。作詞の高野辰之は国文学者で、東京音楽学校の教授も務めていた。
 この曲のタイトルは、「故郷」と書いて「ふるさと」と読む。そして、おそらくこの曲の影響が大きいからだろう、私の場合、「ふるさと」を漢字で書くときは「故郷」と書く。
 ところが、新聞では、「ふるさと」は「故郷」とは書かない。いや、普通はそう書けない。ではどう書くのかというと、「古里」である。たとえば、

 「『古里に支えられている』 都会に転出の学生に食料送り『つながり』強化の試み」(毎日新聞 2020年11月27日)

のように。記事によっては、「ふるさと」と仮名書きのものもあるが、圧倒的に「古里」の方が多い。この表記が、「ふるさと=故郷」派の私には気になって仕方がないのである。
 もちろん、常用漢字表では「故」に「ふる」という読みが無く、「郷」にも「さと」という読みが無いため、「故郷」を「ふるさと」と読むのは、常用漢字表に従う限り無理だということは知っている。おまけに、常用漢字表の「故」の「コ」の読みのところには、語例として「故郷」が示されているので、「故郷」は「コキョウ」と読むしかないということも。
 一方の「古」「里」は、常用漢字表にそれぞれ「ふる」「さと」の読みがあるので、新聞では「古里」という表記になったと理解できる。たとえば時事通信の用字用語集『最新用字用語ブック』第7版を見ると、「古里」または「ふるさと」と書くようにし、記事中に「故郷」とある場合は、特に読みが示されていなければ、「こきょう」と読むべきものだということがわかる。
 新聞の表記は基本的には、「法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において、現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示すもの」(「常用漢字表」前書き)と定められた常用漢字表に従っているのだから、文句のつけようもない。だが、できれば「ふるさと」を「故郷」と表記することも、多くの人が知っている唱歌の曲名に使われているだけに、認めてほしいのである。
 『明鏡国語辞典』第3版では、「ふるさと」の表記について、「もと『故郷』が好まれたが」と書かれていてなるほどと思ったが、私の場合「もと」ではない。今でも好んで使っている。だからこそ、『明鏡』も述べているように、古い時代の表記は「故郷」だったということは、ここで強調しておきたいと思うのである。
 『日本国語大辞典』では、平安時代から明治中期までに編まれた辞書の中から代表的なものを選んで、その辞書にある漢字表記を示している。「故郷」の表記は、室町時代中期に成立した『文明本節用集』や、江戸時代中期の『書言字考節用集』に見える。一方の「古里」の表記が現れるのはかなり新しく、明治になってからの『言海』(大槻文彦著の明治24年刊初版)なのである。あくまでも辞書における漢字表記の話だが。
 もちろん、古くからあるものがよくて、新しいものはだめだと言いたいわけではない。「故郷」と書くと、「こきょう」なのか「ふるさと」なのかわからないという意見があることも承知している。ただそうではあっても、新聞の表記に従わなければならないという決まりなどなく、ルビを付ければ解決することなので、「ふるさと=故郷」の表記も残していってほしいと思うのである。

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