第469回
「聞く耳」は辞書に載せられるか?

 岸田文雄氏が内閣総理大臣に就任した際に、「聞く耳」を持つ人なのかどうかということが話題になった。岸田氏自身が、「特技は人の話をよく聞くこと」と述べたからだが、氏自身が「聞く耳」という語を使ったわけではないようだ。
 だが、たとえば立憲民主党の安住淳氏が記者団に、「(岸田氏は)聞く耳を持っていると言っているので、国民の声、野党の声も聞くと信じている」などと述べている。こうしたことから、「聞く耳」が新聞やテレビのニュースの中でも使われていた。
 この「聞く耳」だが、どの国語辞典にも載っていない。そのような「耳」はないからというよりも、「聞く耳」が単独で使われることがなかったというのがその理由だろう。辞書にない語だし、岸田氏自身がそう言ったわけでもないので、一部の記事では、「聞く力」と括弧付きで言い換えているものもあった。
 「聞く耳」は単独では辞書に載っていないが、「聞く耳を持たない」「聞く耳持たぬ」「聞く耳なし」という形では、いくつかの国語辞典に立項されている。いずれも、「きく(聞・聴)」の子見出しとしてだが。
 子見出しとは、「辞書で、親見出しに対して、その親見出しではじまる成句、ことわざ、あるいは複合語などを示す見出し」(『日本国語大辞典(日国)』)のことをいう。つまり、「聞く耳」は成句の中だけで使われるのが普通だということになる。しかもそれは、否定形で使われることが多いと考えられているのだ。
 たとえば、『日国』では、

*人情本・仮名文章娘節用〔1831~34〕前・二回「ヲヲ釈(わけ)もあらふし義理もあらう。けれどもそりゃア聞耳ゃもたねへ」

という江戸時代の人情本の例を引用している。何かわけや義理があるのかもしれないが、そのようなことを聞く気はないと言っているのである。
 だが、「聞く耳を持つ」「聞く耳がある」という肯定形の使用例がまったくないのかというと、そういうことはない。「持たない」「持たぬ」「ない」というのだから、その反対もありだと考えるのは当然だろう。「聞く耳が備わっている」という使用例もある。
 それなら、「聞く耳(を持つ)」を見出し語にしてもいいのではないかという意見もあるかもしれないが、それほど単純な話ではない。
 「聞く耳を持たない」は、相手の発言を聞く気が無いという意味で使われ、二つ以上の単語が必ず同じような結びつきをして、全体が特定の意味を表す言いまわしという、成句、慣用句の基準に合致する。これに対して「聞く耳を持つ」は、今のところ、単に人の話を聞くというそのままの意味しかなく、成句、慣用句とは言えない。従って、「聞き耳を持たない」以外の立項は難しそうだ。
 だが、「聞く耳(を持つ)」に、「忖度」がそうだったように新しい意味が加わって、たとえば、人の話を聞いて何か配慮をするというような意味で使われるようになったら別かもしれない。ただその可能性は低いだろうから、今のところ辞書には「聞く耳を持たない」しか立項できそうにない。

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