日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第470回
「手ぐすねする」は誤用か?

 女性週刊誌「女性セブン」の新聞広告に目を通していたら、「手ぐすねする」と書かれているのを見つけた(2021年11月11・18日号)。「小室眞子さん 手ぐすねする『ニューヨークの黒幕』」という記事である。「手ぐすね」は「引く」とともに使われることが多いので、珍しいなと思って同誌を一応確認してみたら、表紙や記事では「手ぐすねひく」になっていた。
 私は雑誌編集の経験がないのでわからないのだが、記事の見出しが新聞広告と本紙とで異なるのはけっこうあることなのかもしれない。たまたまことばに関するものだったので、気づいてしまったのだろう。
 「手ぐすね」は、漢字で「手薬練」と書く(辞書によっては「手薬煉」と表記)。「くすね」は「くすねり(薬練)」の略で、松脂(まつやに)を油で煮て、練りまぜたものである。主に弓の弦に塗って、補強するのに用いる。そして「手ぐすね」で、手に薬練(くすね)をとることをいい、それが転じて、用意して機会を待つという意味になった語である。
 「手ぐすね引く」の「引く」は、「油を引く」「紅を引く」などと同じ、延べて塗り付けるという意味だろう。弓を射るとき、矢を射放した勢いで弓弦が肘(ひじ)の外に回ってくるのを防ぐため、弓手(ゆんで)に薬練を塗って滑りをとめることもしたようだ。
 現在では、「手ぐすね」を単独で使うことは少なく、通常は「手ぐすね(を)引く」と「引く」と結びつけて使われることが多い。国語辞典では、たとえば、『新明解国語辞典』第8版、『明鏡国語辞典』第3版は、「てぐすねひく【手薬煉引く】」という慣用句が見出し語になっているのはそのためだろう。『岩波国語辞典』第8版もこの扱いに近く、見出し語は「手ぐすね」だが、その説明はなく「手ぐすね(を)引く」の説明だけをしている。
 だが、新聞広告にあった「手ぐすねする」が間違いかというと、必ずしもそうとは言い切れない。というのも、『日本国語大辞典(日国)』では、「てぐすね【手薬練】」で引用している江戸時代の2例は、いずれも「手ぐすねする」の例なのである。たとえばその一つはこのような例だ。

*仮名草子・竹斎〔1621~23〕下「さりやこそ左様にあらんと言ひ、てぐすねしてこそ見えにけれ」

 『竹斎』は、「やぶ医竹斎と下僕にらみの介の、京から江戸までの道中記の形をとり、二人の笑話的な行為の描写や名所旧跡の見聞を中心に、狂歌的発想や修辞を生かした文体で書かれた滑稽文学」(『日国』)である。
 もちろん、「手ぐすね(を)引く」の例の方が古くから存在し、圧倒的に多いことは確かである。『日国』を見ると、実際に弓手に薬練(くすね)を塗る意味の例は鎌倉時代から、あらかじめ用意して待ち構える意味は、室町時代から使用例がある。
 小型の国語辞典の中で、唯一「手ぐすねする」を認めているのは、『現代国語例解辞典』第5版である。「てぐすね【手薬練】」で立項し、その使用例として、「てぐすねして待ち構える」と「てぐすねを引く」という例文を載せている。この辞典の初版は私が担当したので、それは『日国』に「手ぐすねする」の例があるからだと断言できる。
 そのようなことから、私は「女性セブン」の新聞広告の「手ぐすねする」を誤用だとは思わないが、「手ぐすね引く」の方が一般的なので、表紙と本文で「ひく」と改めたのは良い判断だったと思う。

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