日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第478回
「多読」から国語辞典の弱点を考える

 「多読」という語は、もちろんご存じだろう。文字通り、本をたくさん読んだり、いろいろな本を読んだりすることである。
 ところが、語学教育の世界では、この語を少しばかり違った意味で使っているようだ。私がそのような「多読」を知ったのは、10年以上も前のことである。当時在籍していた出版社の外国語辞典編集部から、英語の「多読」に関する書籍が何点か刊行されたことによる。
 そのときに「多読」とは、英語の場合だと、やさしい英語で書かれたものをたくさん読み、少しずつレベルを上げて使える英語を身につけるものだということを知った。私も学生時代多少経験のある、辞書を片手に英語のペーパーバックを読むという学習法とはまったく違っていた。ただそのときは、このような「多読」の意味を国語辞典にも載せるべきかどうか少し考えただけで、担当していた辞典には時期尚早だと判断して載せず、それっきりにしてしまった。
 それが最近になって、日本語学習者の「多読」のお手伝いをすることになった。「日本語多読道場 yomujp 」というウェブサイトから、私に「多読」のための文章を書いてほしいと依頼されたのである。私が書くものだから、辞典や日本語に関する話でいいという。
 このサイトは、言語学や日本語教育などの書籍を主に出版している株式会社くろしお出版が運営している。「道場主」である同社社長が、日本語学習者向けの「多読」のための読み物が少ないことを見かねて、自ら立ち上げたと聞いた。
 日本語教育の知識などまったくない私が、恐る恐る何本か文章を書いてみると、文章チェック担当の日本語教育の専門家から、思いがけない指摘を受けた。それが、国語辞典の弱点だとかねがね私が思っていたことなので、前置きがいささか長くなったが、この場をかりてそのことについて触れてみたい。

 ひとつは、連語を多用しない方がよいということであった。連語とは「二つ以上の単語が連結して、一つの単語と等しいはたらきをもつ一まとまりをなしているもの」(『日本国語大辞典(日国)』)のことだが、特に注意すべきだと指摘されたのは、助詞に相当するような連語の多用である。たとえば、「をして・について・をもって・によって」などがそれで、このような語を「複合辞」と呼ぶこともある。
 私が注意されたのはたとえば以下のような文章である。

 私は長い間、国語辞典(こくごじてん)の編集(へんしゅう)の仕事をしてきました。国語というのは日本の言語、日本語のことです。つまり国語辞典(こくごじてん)というのは、日本人向(む)けの日本語の辞典(じてん)ということになりますです。

 文中の「という」が、取り消し線もあるようにそれに該当する。確かにこれだけの文章の中に「という」を3回も使っていて、我ながら悪文もいいところである。どうもこの「という」は私の書き癖で、いままでも頻繁に使っていたということを思い知らされた。
 それはさておき、この手の連語は、実は小型の国語辞典ではあまり立項されていない。載せだしたらキリがないということもあるが、あまり重視されていなかったことも事実なのである。
 私もかねがねそのことが気になっていて、かつて『使い方の分かる 類語例解辞典』という類語辞典の編集を担当したときに、助詞・助動詞の解説欄で、執筆者に積極的に連語を取り上げてもらったことがある。ちなみに「という」は、『類語例解辞典』では、「同格・内容説明を表わす」語として、「といった」「との」と比較して解説している。

 もう一つ注意するようにと言われたのは、複合動詞はなるべく避けるということだった。複合動詞とは、「動詞を後部要素として、これに動詞、または他の品詞が複合してできた動詞。『呑み込む』『恥じ入る』『長びく』『相手取る』『値する』の類」(『日国』)である。
 日本語学習者は、単独の語の意味は理解できても、単語が結びつくと意味がわからなくなることがあるらしい。このような複合動詞も、小型の国語辞典では積極的に立項していない。やはり、キリがないというのがその理由である。
 すべての国語辞典を、日本語学習者向けにすることなど、無理な話だろう。だが、もう少しそのような人向けに配慮した辞書も必要なのではないかと思った。

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