日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第484回
「すっとこどっこい」は死語か?

 馬鹿野郎、馬鹿なやつといった意味で使われる、「すっとこどっこい」というののしり語がある。ただ、「馬鹿」のように普通に使われる語ではないようで、私も実際に使った記憶はほとんどない。
 だとすると、もはや死語なのかもしれない。そう思って、小型の国語辞典をいくつか引いてみた。案の定というべきか、私が調べた限りでは『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』にしか立項されていなかった。
 特に『新明解』では、「面と向かって言う場合には悪意のみがこもるが、第三者については愛嬌交じりで言うこともある」とけっこう詳しく解説している。後半の「第三者について」というのは、「あのすっとこどっこいは最近どうしている」などのような使い方をいうのだろう。このことについては特に異存はない。
 だが、前半がいささか気になる。「すっとこどっこい」を面と向かって言ったとしても、「馬鹿」と同じで、悪意ばかりとは言えない気がするからだ。『新明解』は「馬鹿」の「運用」欄で、「馬鹿」は「心を許し合える間柄の人に対しては親近感を込めて何らかの批判をする際に用いられることがある」と解説している。「すっとこどっこい」も同様なのではないか。私がそう感じるのは、「すっとこどっこい」はののしり語ながら、ユーモラスな響きが感じられるからかもしれない。『新明解』とは語感が違うようだ。
 「すっとこどっこい」に愉快な響きが感じられるのは、この語は、東京とその周辺で行われる祭礼で、山車などの上で奏される馬鹿囃子(ばかばやし)の囃子詞(はやしことば)から生まれた語だからだと思う。
 馬鹿囃子は、大太鼓や締太鼓、摺鉦(すりがね)、笛などを用いた、とてもにぎやかな囃子で、馬鹿囃子という名は、おかめ、ひょっとこなどの面をつけた馬鹿踊りがつくところからそう呼ばれるようになったらしい。
 『日本国語大辞典(日国)』では、「すっとこどっこい」の最も古い例として、辰野隆(たつのゆたか)、林髞(はやしたかし)、徳川夢声(とくがわむせい)による座談会の記録『随筆寄席第二集』(1954年)が引用されている。

 「露伴先生はおこると『このスットコドッコイ、オタンチン…』というような言葉が二十くらい機関銃みたいに出たそうですね」

 「露伴先生」は、もちろん小説家の幸田露伴のことである。露伴は生粋の江戸っ子なので、「スットコドッコイ」「オタンチン」といったののしり語は、口をついて出てきたのだろう。
 ただ、この『随筆寄席第二集』の例はかなり新しい。昭和より古い例が見つかっていないのだ。これよりも10年ほど遡れる、正岡容(まさおかいるる)の『小説圓朝』(1943年)の

 「いいんだろう、いまのほうがいいんだろう、ざまアみやがれ、すっとこどっこい、そうなくっちゃならねえところだ」(第二話 芸憂芸喜・三)

 という例を見つけたが、これとても昭和の例である。
 「おたんちん」も人をあざけるときに言う語で、まぬけといった意味である。もともとは、寛政・享和(1789~1804)頃に、江戸新吉原で、いやな客をさして言った語だったようだ。
 この語をやはり小型の国語辞典を引いてみると、「すっとこどっこい」が載っていた『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』の他に、『新選国語辞典』『現代国語例解辞典』などに立項されている。『新明解』では、「おったんちん」とも言うと説明されている。これも私は『新明解』とは違う。子どもの頃、「おんたんちん」と言っていたからだ。
 いずれにしても、「すっとこどっこい」にしろ「おたんちん」にしろ、小型の辞典とはいえ、見出しから消滅させるのは惜しい気がする。

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