第489回
増殖を続ける「っぽい」
2022年09月19日
他の語について形容詞を作る接尾語の一つに「っぽい」がある。「子どもっぽい」「白っぽい」「俗っぽい」「飽きっぽい」などの「っぽい」である。「ぽい」の形でも使われるが、通常は促音「っ」の入った「っぽい」の形で使われることが多い。
『日本国語大辞典(日国)』では、「っぽい」を4つの意味に分けて説明している。
(1)名詞に付いて、それを含む度合いが大きい、それによく似た性質である、の意を表わす。多くは、好ましくないことについていう。
(2)色の名に付いて、その色を帯びているの意を表わす。
(3)形容詞・形容動詞の語幹に付いて、その性質が表面に現われている、いかにもそういう感じであるの意を表わす。好ましくないことについていう。
(4)動詞の連用形に付いて、すぐに…する傾向が強い、の意を表わす。好ましくないこと についていう。
冒頭で掲げた語例では、(1)「子どもっぽい」、(2)「白っぽい」、(3)「俗っぽい」、(4)「飽きっぽい」ということになる。(2)以外は、「好ましくないことについていう」といった補足説明があるが、なぜそのような意味になるのかよくわからない。そもそも、この「っぽい」がどうして生まれたのかもよくわからない。ただ、「飽きっぽい」は滑稽本『浮世風呂』(1809~13年〕の、「荒っぽい」には雑俳『柳多留・一五編』(1780年)の例があるので、江戸時代から使われていたことだけは確かである。
「っぽい」は造語力が強いらしく、「~っぽい」という語を盛んに増殖させている。どれくらい造語力が強いかというと、固有名詞とも結びついて「神永っぽい」などと言うこともあるくらいだ。もっともこの手の語が辞典に載ることは絶対にないが。
『日国』の編集委員だった松井栄一先生は、この「っぽい」の付く語は積極的に『日国』に載せるべきだと考えていたようだ。
御著書の『国語辞典にない言葉』(南雲堂 1983年)、『続・国語辞典にない言葉』(南雲堂 1985年)を見ると、『日国』第一版で立項はされているものの用例が無い、あるいは1つだけしか用例の無い語や、「寒っぽい」「涙っぽい」のようなやや特殊な語について、第一版刊行後採集した用例を紹介している。これらの用例は、その後刊行された第二版でほとんど反映されている。
現在、『日国』の第二版には数え方にもよるが、末尾に「っぽい」「ぽい」が付く語は128語ある(方言も含む)。ただ、現時点でも用例のない語がいくつかある。松井先生は2018年に逝去されたので、それらの語の用例を探し出すことは、後を引き継いだ者の使命だと考えている。
同時に、第二版では立項されていない「っぽい」の付く語を増補することも忘れてはならないだろう。収録できなかった語がまだ見つかるからだ。
たとえば、徳田秋声の『縮図』(1941年)という小説には、「人情っぽい」(素描・四)がある。また、やはり徳田秋声の『仮装人物』(1935~38年)には「濁りっぽい」(一七)がある。
太宰治は、『音に就いて』(1937年)というエッセーの中で、「ごみっぽい」を使っている。この「ごみっぽい」は『日本方言大辞典』(小学館)によれば、長野県佐久地方の方言である。太宰は津軽出身だから、太宰の「ごみっぽい」は方言ではなく太宰が普通に使っていた語なのかもしれない。確かに日常会話の中でそのように言ってもおかしくはない。
「っぽい」の付く語は、集中的に探せばさらに見つかりそうだ。松井先生がご存命だったら、用例があるのなら積極的に『日国』に載せようよ、とおっしゃるに違いない。
『日本国語大辞典(日国)』では、「っぽい」を4つの意味に分けて説明している。
(1)名詞に付いて、それを含む度合いが大きい、それによく似た性質である、の意を表わす。多くは、好ましくないことについていう。
(2)色の名に付いて、その色を帯びているの意を表わす。
(3)形容詞・形容動詞の語幹に付いて、その性質が表面に現われている、いかにもそういう感じであるの意を表わす。好ましくないことについていう。
(4)動詞の連用形に付いて、すぐに…する傾向が強い、の意を表わす。好ましくないこと についていう。
冒頭で掲げた語例では、(1)「子どもっぽい」、(2)「白っぽい」、(3)「俗っぽい」、(4)「飽きっぽい」ということになる。(2)以外は、「好ましくないことについていう」といった補足説明があるが、なぜそのような意味になるのかよくわからない。そもそも、この「っぽい」がどうして生まれたのかもよくわからない。ただ、「飽きっぽい」は滑稽本『浮世風呂』(1809~13年〕の、「荒っぽい」には雑俳『柳多留・一五編』(1780年)の例があるので、江戸時代から使われていたことだけは確かである。
「っぽい」は造語力が強いらしく、「~っぽい」という語を盛んに増殖させている。どれくらい造語力が強いかというと、固有名詞とも結びついて「神永っぽい」などと言うこともあるくらいだ。もっともこの手の語が辞典に載ることは絶対にないが。
『日国』の編集委員だった松井栄一先生は、この「っぽい」の付く語は積極的に『日国』に載せるべきだと考えていたようだ。
御著書の『国語辞典にない言葉』(南雲堂 1983年)、『続・国語辞典にない言葉』(南雲堂 1985年)を見ると、『日国』第一版で立項はされているものの用例が無い、あるいは1つだけしか用例の無い語や、「寒っぽい」「涙っぽい」のようなやや特殊な語について、第一版刊行後採集した用例を紹介している。これらの用例は、その後刊行された第二版でほとんど反映されている。
現在、『日国』の第二版には数え方にもよるが、末尾に「っぽい」「ぽい」が付く語は128語ある(方言も含む)。ただ、現時点でも用例のない語がいくつかある。松井先生は2018年に逝去されたので、それらの語の用例を探し出すことは、後を引き継いだ者の使命だと考えている。
同時に、第二版では立項されていない「っぽい」の付く語を増補することも忘れてはならないだろう。収録できなかった語がまだ見つかるからだ。
たとえば、徳田秋声の『縮図』(1941年)という小説には、「人情っぽい」(素描・四)がある。また、やはり徳田秋声の『仮装人物』(1935~38年)には「濁りっぽい」(一七)がある。
太宰治は、『音に就いて』(1937年)というエッセーの中で、「ごみっぽい」を使っている。この「ごみっぽい」は『日本方言大辞典』(小学館)によれば、長野県佐久地方の方言である。太宰は津軽出身だから、太宰の「ごみっぽい」は方言ではなく太宰が普通に使っていた語なのかもしれない。確かに日常会話の中でそのように言ってもおかしくはない。
「っぽい」の付く語は、集中的に探せばさらに見つかりそうだ。松井先生がご存命だったら、用例があるのなら積極的に『日国』に載せようよ、とおっしゃるに違いない。
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